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Arsenal, Wenger

ヴェンゲルはスター選手の扱い方がわからない

昨日、少し遅れて先日の日曜のチェルシー戦レビューエントリをアップした。

【マッチレビュー】17/18EPL チェルシーvsアーセナル(17/09/2017) サンチェス・エジルの不在で成功のきざし

このなかで、サンチェスとエジルについて書いているうちにヒートアップして軽く追記なんかもしていたらすっかり長文になってしまったのだけど、まだ語り足りない気がしていてしつこく続けたいと思う。

そこではこんなふうに書いた。

彼らがこの試合にいなくてうまくいったという事実はあるにせよ、エジルもサンチェスもいい選手だということは間違いがないのだ。当然ながら決して選手に問題があるんじゃない。

問題は彼らを適材適所で使えないとか(強豪相手にあえてエジルを外すなんて采配をかつてボスがしたことがあったろうか?)、プレイの自由を与えすぎだとかそういった思考停止の放任マネージメントのほうだ。

たぶんシメオネのような監督なら、必要があればエジルだってサンチェスだって外すし(サンチェスは外さないか)彼らにもほかの選手と同じコレクティブなプレイを求めるだろうさ。ときにサッカーチームを軍隊に例えたりするが、規律を重んじない軍隊など存在しないのだ。規律がなければ戦争に勝てないからだ。フットボールも同様である。

エジルやサンチェスが試合のなかで時折見せる不貞腐れたようなふるまいを見ていると、いかに彼らが普段から傲慢な態度を取ることが許されているかがわかるし、彼らとの人間関係でボスが主導権を握っているように見えないのだ。



アーセン・ヴェンゲルの放任主義の失敗

ヴェンゲルはサンチェスやエジルのような一癖も二癖もあるスター選手の扱いに手こずっているように見える。

ヴェンゲルは彼らの天才性を尊重しすぎるあまりプレイに規律を求めることができないでいる。組織性を失ったチームはビッグマッチでなかなか結果を残せず、やがて彼らはますます自己中心的なプレイに傾いていくという悪循環。そして彼らへの特別扱いがほかのチームメイトたちに決していい影響を与えないということも忘れてはならない。

彼らの不在でチームが機能したチェルシー戦は、エジルやサンチェスがいかにチームの守備戦術から野放しにされていたかに加え、現在チームが抱える「ちぐはぐさ」を図らずも露呈することとなった。スター不在の彼らが躍動したのは決して偶然ではない。

エジルとサンチェス、とくにエジルはこの試合を見ていてどのように感じただろう。

しかし、何度もいうように彼らがきちんと指示を受けて動いている限り、選手たち自身に責任はない。彼らはあくまで素材や材料であって料理ではないからだ。料理に責任を持つのはシェフだ。素材の良し悪しすら責任を持たねばならない。ただそれだけでおいしい素材使うのが難しいアクの強さにシェフが調理を放棄してしまった。アーセナルはそんな状況じゃないか。本来、監督というものは確固たるビジョンを持って、もっと選手に要求していくべきものではないだろうか。それがマネージメントというものだろう。もしかしたらヴェンゲル監督はそれができていないのではないかと感じさせる試合だった。

監督と選手が衝突したという話はアーセナルではほとんど聞いたことがない。それはなぜか。AWが放任主義だからだろう。あるいは放任主義は言い訳で、選手たちとの濃いコミュニケーションを避けているだけかもしれない。ボスがエジルにボールを持っていないときの動き方を教えていたり、彼が指示通りに守れないからといって口を酸っぱくして諭すなんて想像できるだろうか? ぼくには想像できない。

ベンチへ下がったサンチェスが落胆の態度を隠さなかったときに、ボスは彼に何もいわなかったのか。チームの和を大事にするような厳格な監督だったら何試合か干してもおかしくはない事案だったはずだ。そんな事なかれ主義がまかり通るチームとはいったい何なのか?

ヴェンゲル監督のカリスマはどこへ? ボスのコミュニケーション問題

仮にヴェンゲルが彼らにも熱心に守備戦術やコレクティブな動きの重要さを説いていたとしようか。でもそれは一向に守られる気配がない。チェルシー戦でウェルベックやイウォビが見せた献身的で組織的な動きをどうして彼らは行うことができないのか。(いや、エジルだってアルシャビンだって、チームに合流した時点に比べれば、その後ははるかにマシな守備をするようになったけれど。それでも要求されるレベルに足りない)。11人で攻め、11人で守る。それが現代のフットボールである。トップレベルであればあるほど何人も守備タスクを免れない。

これは選手の能力についての話ではない。あくまで試合に取り組むメンタリティや姿勢の問題だ。ギャリー・ネヴィルが指摘していた”right attitude”。モラルといってもいい。評論家たちからしつこく何度も何度も何度も指摘されてきた問題でもある。

そもそも選手がボスのいうことを聞かないのは、ボスが選手から舐められている証拠だし、それを諌めることができないならそのマネージメントはもう末期であるといえる。また選手が監督を軽視するのは「カリスマ」がないからだともいえる。とくに自尊心の強いスター選手からすれば、オーラのないボスは師と崇める対象でもなければ、本当は信頼も尊敬もないのかもしれない。

インヴィンシブルズの時代にヴェンゲルにカリスマがなかったなんていったら笑われるだろう。先日、当時のマンUからファーガソンの後釜にとヴェンゲルにオファーがあったことが明かされたように、英国フットボールに革命をもたらし我が世の春を謳歌していたヴェンゲル監督はいろんな意味でカリスマの塊だった。

そしてそれ以降成功できないままズルズルと時が経ち、今回チェンバレンの放出が象徴的な出来事のように思えたが、われわれアーセナルのファンが誇りにすら感じていたヴェンゲル監督のカリスマ性というものは、とくに若い選手たちにとって今日ほとんどないに等しいものになりつつあるのではないだろうか。

この20年間でヴェンゲルがカリスマを失っていった理由はいくつも考えられるが、もっとも大きなものは戦術の進化についていけなくなったということ。端的にいえば勝てなくなった。フットボールの歴史は戦術進化の歴史でもある。アーセナルはモダン・フットボールの進化のスピードについていけなくなった。勝てない監督が野心あふれる選手たちにとって魅力的に見えるとは思えない。たしかに昨季終盤に3CBを採用してフォームをいくらか持ち直したことは賞賛されたが、はっきりいって判断が遅すぎる。悪いときのロブ・ホールディングなみの判断の遅さである。結局それが1ポイントでUCLを逃すという致命傷となった。

カリスマを失いつつある理由をもうひとつ挙げるなら、やはり選手たちとのコミュニケーションの問題があるように思う。チェンバレンがリヴァプールでの移籍後最初のインタビューで語っていたように、クロップが選手たちと取るような密なコミュニケーションをヴェンゲルは取らないのだ。以前はもっと積極的だったのかあるいは以前からそうなのか。それはわからない。

アーセン・ヴェンゲルはクラス担任ではなく、もはや校長である

まあヴェンゲルに魅力がなくなったというよりも、ほかに魅力的な監督たちが台頭してきたといいかえてもいいが、それは結局同じことだ。きっとヴェンゲル監督は選手たち(とくに若手)とのコミュニケーションに問題があるのだと思う。

フットボールクラブの監督が選手たちにアプローチする方法はさまざまあれど、AWのような校長然とした態度が血気盛んな若い選手たちに好まれているとは思えない。そういう意味では、いつもゆかいなジャージ姿でときにはおっちょこちょい。熱血漢で涙もろいクラス担任のほうが生徒には好かれるだろう。「熱中時代」ならクロップは水谷豊、ヴェンゲルは船越英二がぴったりじゃないか。たしかにクロップはフィーバーしてる。※何をいっているかわからなかったらすまない。

そして、このあたりの選手との距離感はおそらくチェンバレンだけが感じていることではないという気がする。アーセナルのほかの多くの選手たちもそう感じ始めているとしたら、それは本当に恐ろしいことだ。若く優秀な選手ほど移籍を志願するような未来はアーセナルにとって糸色望的としかいいようがない。ぼくがヴェンゲル監督自身がアーセナルFCの価値を毀損していると考える理由でもある。このままじゃ本当にダメになる。時間がたてばたつほどダメージは大きい。



ヴェンゲルはスター選手の扱い方を知らない

さて、本題に入ろうか。本題といいつつ長くなりすぎてしまったので手短にしたい。

じつはヴェンゲル監督はスター選手の扱いに慣れていないのではないか?という問いかけがこのエントリの論旨である。

なぜなら、ヴェンゲル監督がアーセナルで育てたわけではない、すでに完成された外様のスター選手をチームの中心に据えようとしているのは、じつはエジルが初めてだったのだから。このレベルのビッグクラブとしてはかなり特殊な状況だが、実際そうだったのだ。翌年にサンチェスが加入するが、ふたりのビッグ・スターが来てからまだ3-4年しか経っていない。AWのアーセナル20年の歴史からしたら本当につい最近の出来事である。

ヴェンゲルは彼らの扱いに苦労したと思う。スターティングを約束しピッチ上で自由を与えるなど最大限に特別扱いしたし(規律ある守備のタスクを課さなかったというのもそのひとつかも)、その様子は外からは彼らがアンタッチャブルな存在として扱われているとすら見えたほどだ。

にもかかわらず、早くもビッグ・スターたちの心は離れ、結局一度も契約を更新することなく移籍を希望している。ヴェンゲル監督は彼らのマネージメントに失敗したのだ。

エジル以前のアーセナルといえば、新スタジアム建設のために緊縮財政であったという理由はあるにしても、決してエンドプロダクト=完成品を高い価格で買うようなクラブではなかった。オイル成金に買われた金満クラブとは違う。「クラス」や「歴史」は金では買えない。それが金満クラブを相手に優勝を争えないことがわかっているアーセナルのファンたちのささやかなプロテストでもあった。

アーセナルは歴代でさまざまなスター選手を輩出してきたが、アンリやピレス、ヴィエラはもちろん、RVPやファブレガスなど、どの選手も例外なくアーセナルでヒーローになった選手ばかりだ。

彼らアーセナルで育ったスター選手と金で買ったスター選手の違いはシンプルだ。ヴェンゲルを信奉しているかそうでないか。もちろん後者はヴェンゲルの影響が少ないので、ボスを盲目的に信頼するということがない。マネージャーとしての能力や野心、ビジョン、結果でしか評価しないだろう。所詮は傭兵である。生え抜きでも育てられた恩もないクラブに、愛情などというものも期待することはできない。

そういったチームの中心になるほど影響力を持つ完成されたスター選手を指導するのは、ヴェンゲル監督にとってエジルとサンチェスがほとんど初めてだったのだ。そして、扱い方を間違えた。前線で最大限の自由を与えて創造性を発揮してもらうという目論見は、守備の破綻をもたらし皮肉なことに攻撃をも停滞させた。逆効果だったのだ。考えてみればサンチェスというプレミアリーグで最高のアタッカーを擁しながらリーグ4位にすら入ることができなかったなんて、あり得ない話じゃないか? どんな言い訳ができるだろうか。

もちろん、エジルもサンチェスも世界のトッププレイヤーを自負するようなプライドの高い選手だ。多少の扱いにくさは当然のものとして扱う必要があっただろう。ただ残念なことにヴェンゲルにはそういった自分を100%信頼しているわけではないトップレベルのクセのある選手たちと付き合った経験がなかった。これがもし、アンチェロッティやモウリーニョといったビッグクラブを渡り歩き個性的なスター選手たちを扱うことに慣れているような監督がアーセナルを率いていれば、また違った結果になっていた可能性はある。

エミレーツ・スタジアム建設のための緊縮財政が、ヴェンゲル監督からビッグクラブの監督なら誰でもが通過するであろう傭兵スター選手たちを指導する経験を奪っていたという、これもまた悲劇といわざるを得ない。

おわりに

数年前に、PSGやレアル・マドリーがヴェンゲルに興味というゴシップがあって、アーセナルのファンとしてはそれなりに誇らしく感じたものだが、おそらく今ならどのメガクラブもヴェンゲルにオファーを検討することはないだろうと思う。

近年の成績低迷はもちろんだが、エジルやサンチェスを最後まで懐柔できなかったことで、彼がビッグクラブあるいはメガクラブを率いるうえでスター選手たちを手懐けるという不可欠な能力に欠けていることがわかってしまった。それはアーセン・ヴェンゲルというトップクラスだと思われていたマネージャーの経歴をひどく傷つけただろう。

彼はほとんどアーセナルでしか指揮をとったことがない監督で、もともと他のクラブでも同様のクオリティを示せるかどうかは疑いの目を持たれていたふしもあるが、今回のエジル・サンチェスの契約騒動でその評価は決定的となったかもしれない。意地悪くいえば、馬脚をあらわしたといってもいい。

それまでのヴェンゲルにはいつも低予算なのに立派にやっているという言い訳が用意されていたが、スタジアム建設の借金を返済し終えた今となってはもうその言い訳はほとんど通用しないのだ。

本来の実力でしか評価されない厳しい土俵に上がってAWはそれでも生き残れるか。契約更新したこの2年間でアーセナルを蘇らせることができるとはまったく信じていないが、ぼくは最後まで見届けるつもりだ。

 

長くてごめんね。お疲れさま。

 

 

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