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Arsenal, Player

ヘンリク・ミキタリアンのインタヴュー。ウクライナ時代、BVB、マンU、アーセナルのこと

モウリーニョとのコンフリクト

(モウリーニョとの衝突……)

ミキタリアン:いつかモウリーニョが朝食でぼくを見かけてこう云ってきたんだ「キミのせいでわたしはプレスに批判されたぞ」と。ぼくはこう答えた「ほんとうですか? ミスター。ぼくはあれはわざとやったわけでもないのに」。

マンチェスターUでは、週に3日はパパラッツィがいたものだ。車に載るところを撮られたり、着替えすら…… スポーツセンターに到着したときには、もうすでに彼らが待ち構えているんだ。すべてのステップがコントロールされていた。

モウリーニョがぼくのキャリアのなかでもっとも難しいコーチだったか? イエスだ。そうだと云えるかもしれないね。

彼は生来の勝者だ。彼は選手を勝たせたくて、自分の云うことをきかせたがる。誰にとっても難しいさ。見解の相違や衝突はずっとあった。しかしそれがいい仕事に対して強いインパクトがあったわけでもなく、3つのトロフィを勝つこともなかった。

試合後に彼がぼくを攻撃し、どつきながらトレインしろと云ったのは本当かって? そう、本当だよ。すべてそこから始まったんだ。

ぼくはこう思った。もうマンチェスターに加えられるものは何もない。ぼくはワークして、チームを助け、得点もした。それでも不満だというひとがいる。

ぼくはもう時間を無駄にしたくなかったし、フットボールがプレイしたかった。

マンチェスターでプレイすることは、いまでも人生で一度あるかないかのチャンスだ。イブラヒモヴィッチやポグバ、マタにデ・ヘア…… 当時に戻れるのならレッドデヴィルズと契約を更新したい。でも、ぼくの決断には後悔はしていない。

夢のアーセナルへ

(アーセナルへの移籍……)

ヴェンゲルとアーセナルがぼくに興味を持っていることは知っていた。モウリーニョとの確執があったときだ。ヴェンゲルはぼくをガナーズに欲しがっていた。彼らとプレイすることは、ぼくの子どもの頃からの夢を叶えることだった。

過去にはたくさんのフレンチプレイヤーズが、シャツを擦り切らせていた。アンリ、ピレス、ベルカンプ、プティ、ヴィエラ。

ぼくはとても乗り気だったが、エミレーツがスポンサーになって以降は、経済的な問題を抱えることになり、若い選手に投資をするようになっていた。ヴェンゲルのアーセナルに移籍することは、夢だった。おとぎ話だよ。

父との死別、アルメニアンであること、アゼルバイジャン……

(腫瘍と父の死……)

困難のときだった。父がどこにいるのかわからなかったんだ。ぼくは自分自身に問いかけた「どうして彼はぼくらと一緒にいないのか?」。フットボールに集中することにしたよ。

若い頃は、トレイニングを楽しむことだけ考えるものだ。父を失ったことが、ぼくにフットボールというものを、よりシリアスに捉えさせることになったのかもしれない。

(アルメニアンフットボールの未来……)

最大の問題はアルメニア人は学ぼうとしないところだ。選手とコーチは怠けている。

ぼくは誰のことも批判したくはないし、誰かのことを話しているわけでもない。アルメニアとヨーロッパでは、ひとが根本的に違うんだ。多くのひとはこう考える「眠りたい。起きたら枕元に100万ドルが置いてあるかも」。

ぼくが最初にに20ドルを稼いだのは15のときだ。それから40になり、80、120になり…… ぼくは不満を云ったことは一度もない。働いて、働いて、それを楽しんでいる。

(アゼルバイジャンとの状況……)

アゼルバイジャンがぼくを脅迫していたか? そうだ。何度もだ。インスタグラムやフェイスブックのメッセイジだとか。でもぼくは彼らのことは気にしないことにしている。ぼくはアルメニアンであることを誇りに思っている。ぼくをサポートしてくれる祖国、人々には感謝している。

以上。

新しく知った事実というのはとくにないように思えるが、どうだろう。

ローマへのローンが突然のように決まったという話は知られたことだし。ライオラとの契約は選手サイドからオファーしていたというのは初めて聞いたかも?

やはりモウリーニョのくだりはおもしろい。彼の人間性というか、マジでろくなもんじゃないってことがわかりましたね。ぼくはやっぱりそんな彼が大好き。笑えるから。

それと最後のアゼルバイジャン人からの脅迫。

去年のELファイナルは思い出しても腹が立つ。敗けたことではなく、UEFAがあの地をファイナルに選んだことに。

もうみんな忘れているかもしれないが、UEFAが国際社会から人権問題を糾弾されているアゼルバイジャンのバクーという都市をファイナル開催地に選んだことは、「Sports Wash」だと一部からはだいぶ批判されていた。

それにぼくらにとっては、ミキタリアンを政治的な理由で「シーズン最大の試合」に連れていけないという重大な影響も及ぼした。こんな馬鹿げたことが果たして許されるのか??

オリンピックもそうだけれど、こういった大規模スポーツイヴェントの商業主義。ほんとうにひどい。なにがアスリートファーストか。モウリーニョよりひどい。

 

おわる



PS

そういえば、エメリが来るときにも、このブログでミキタリアンのインタヴュー@FourFourTwoを紹介したことがあった。

ミキタリアンが改めてマンUよりアーセナルのほうが楽しいと語る。そしてエメリ下でのミキタリアン出場機会の展望 | ARSENAL CHANGE EVERYTHING

ぼくはミキタリアンのことが好きだったのかも。

※コメントくださるかたにお願い
プレヴューエントリでは、試合の結果がわかるようなコメントはお控えください
お互いリスペクトしあって楽しく使いましょう

3 Comments on “ヘンリク・ミキタリアンのインタヴュー。ウクライナ時代、BVB、マンU、アーセナルのこと

  1. 更新お疲れ様です!

    英文が読めないわけでもないのですが、こういう風に分かりやすく丁寧に翻訳してくださるサイトがあることに本当に感謝です。。。

    Twitterでchanさんがシェアされてたミキタリアンの記事の英語原文を読もうとしましたが疲れて途中でやめてしまいました。笑

    このブログは本当に貴重な情報ソースになっています。ありがとうございます!

  2. 個人的にはムヒのこと嫌いじゃなかったですね。パフォーマンスが一貫しないことがありましたが、エメリ時代はみんな同じような感じでしたしね(笑)

    やはりオーバとの阿吽の呼吸というか、二人にしか見えてない細いラインがあるような変態的なパスには痺れましたね。

    ローマにフィットしてるみたいだし、アーセナルは変にけちらず放出してあげた方がいいと思いますね。

    1. 現状ではムヒタリアン以上に攻撃的にバランスのいいMFがアーセナルにいるのかしら、と思う節はあるけど、年齢的に放出した方がいいのだろうなあ、と

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