hotいま読まれているエントリ

Arsenal, Player

オーデガードとティアニー。来シーズンのアーセナルのキャプテンにふさわしいのはどちら?

キーラン・ティアニーのインタヴュー「ファンがぼくのキャリアを築いた」

Long read: Kieran Tierney on fans in football

ファーストチームで100試合出場に満たないのに、キーラン・ティアニーは、アーセナルでもうファンフェイヴァリットになっている。今回は、彼がセルティックで感じていたのと同じように、アーセナルでもファンのサポートがいかに重要か語っている。

セルティックにいたティアニーほど、ファンと強いきずなを築いていたフットボーラーは珍しい。少年時代は彼自身もBhoyであり、たった17才でデビューしてからはただちにファンからの信頼を得た。彼らのきずなは、彼がスタンドからチームに入っていったからだけでなく、彼がつねに見せていたコミットメントとプライドによるものだ。

そしてまた、彼のそういったクオリティは、アーセナルファンもまた享受している。

どんなファンでもすぐに思い浮かぶであろう彼のアプローチ。キーランのプレイ。それが驚きではないのは、彼がフットボール命の一家のなかで育ってきたから。

KT:ぼくのいちばん最初のファンとしての記憶は、3才とか4才くらいのとき。

ぼくはMuirhouseのタワーブロックに住んでいて、父さんがこう云ったのをおぼえてる「今週はみんなでセルティックの試合を観に行くぞ」。その前にもTVでは観ていたんだけど、それが実際に試合を観に行った最初の記憶。セルティックのシャツもスカーフも持っていたし、すごく興奮しながら寝たのを思い出す。

そのあとの記憶は、サポーターズバスで試合に向かうところ。対戦相手とか何点取ったとかそういうのは忘れちゃった。おぼえてるのはステディアムに行ったという記憶だ。フットボールステディアムに行ったのも初めてだった。

(生粋のセルティックファン)イェア。家族全員がセルティックファンだ。うちは、サポーターズバスもやってた。いまもそれを使ってるよ。ぼくの地元にある「the Kieran Tierney Supporters Club」にもバスがある。

それがぼくの地元。たくさんの友だちも試合に行くし、ぼくの応援もしてくれた。地元にそんなのがあるのだから、すごいよ。ぼくがとても誇れるものだ。いまや自分の名前がついたサポーターズバスがあるとか、ヤバい!

マン島生まれで幼少のころにスコットランドへ。7才でセルティックに入ると、すぐに観客の前でプレイするようになる。彼はいまだに最初にサポーターが自分を観に来るようになったときのことをおぼえている。

KT:8才か9才のときか、ジャーマニーでのトーナメントだった。インドアで5 v 5(five-a-side)。でも座席エリアもあって、観客が観に来ていた。

200人くらいはいたのかもしれない。それが最初に観客の前でプレイした記憶。すごく緊張した。全然慣れてなかったから。ユースフットボールでは、ステディアムでとか観客の前でプレイすることはほとんどない。16か17くらいまでは。だからすごくおぼえてる。

(ファンの影響力)ぼく自身もフットボールクラウドだったから、それがどういうものかわかる。もちろん、自分だってみんなを驚かせたいし、うまくやりたいから、そういう動機が加わる。当時もいいプレイをすることについてはすごくハングリーだった。でも、すこしばかり追加のモチヴェイションを与えてくれる人たちがいたということかもしれない。自分がいい選手なんだと証明したい人たちが。

ユースチームの試合でよくおぼえているのは、当然レンジャーズ戦だ。彼らのファンも多少は入場を許されていて、若い選手としては、それがいつもグレイトな経験だった。

セルティックとレンジャーズのファーストチームの試合と比べられるものはないね。Celtic ParkだろうがIbroxだろうが、アトモスフィアはつねにヤバい。ぼくらがIbroxでプレイするときは、セルティックのファンがいつもすごい雰囲気をつくってくれる。

ダービーではライヴァルをアウェイで倒したときのほうが気分がいい。相手のたくさんのファンがそこで観ていることがわかっているのだから。数少ない自分たちのファンもそこにいて楽しんでいる。それがベストフィーリング。ぼくが知るかぎりでは、そこにはもっともインテンスなアトモスフィアがある。

でも、ホームなら、ずっとうたを歌ってくれる。自分もそういった試合をファンとして観てきたのだから、それがファンにとってどういう意味があるかわかる。そんなに昔のことじゃないから。

そういう試合ではとてもプレッシャーがある。どんな選手だろうと、ホームグロウンであれば、スタンドで観た経験があれば、それにどれだけ意味があるかをわかっている。それがさらなるプレッシャーになるんだ。

キーランとセルティックファンのきずなは、メガフォンをつかった試合後のチャントにもよく現れている。

2018にセルティックがレンジャーズに5-0勝利で7シーズン連続タイトルを決めたとき、キーランはすぐにGreen Brigade(セルティックのウルトラス)のそばに向かい、メガフォンを借りてサポーターたちとセレブレイションをやった。

KT:ああいうのは……、ただWOW。この世のなかでも、あんなフィーリングは何とも比べることはできない。幽体離脱みたいな経験(out of body experience)だった。

ぼくはメガフォンを借りて、かつてスタンドで一緒に座っていたみんなのチャントをリードした。ぼくはピッチから、一緒に育ってきた友だちを見上げる。彼らもそこにいて一緒にうたっている。こんなのもうおとぎ話だろう。あとになるまでわからないことがある。あるいは、それを見返してみて、それがどれだけヤバかったかほんとうに理解する。あれがどれだけすごかったか。

(2018の終わりにはリーグカップのタイトルでも同じことをやった)ウルトラスとは知り合いだった。彼らと一緒に育ってきたから。試合後に来てくれと頼まれた。メガフォンを渡され、スカーフを渡され、チャントをリードした。ステディアム全体が揺れるのを観るのはクレイジーだった。

これは、これまでインタヴューなんかで話したことはないんだ。あまり話してこなかった。みんなもそれがぼくにとって大切なことだと思ったから、あえて訊かれなかったんだろう。でも、いまそれをあらためて考えて、それはほんとうにすごかった。なんて経験だったのか。

そんな感じになれるのはシンガーくらいだろう。ギグで一緒にみんながうたってくれる。まるでギグでお客さんがいて、つぎに何をうたうかを自分が決めるみたいな!

そのときはただ興奮していただけ。でも、あとで思い返してみれば、それが実際どんなにすごかったか実感する。観客とうたっていたということだけじゃなく、ぼくらはトロフィを取ってきたということなんだ。トレブルをやって、大きな試合にも勝ってきた。

もし成功がなければ、メガフォンもなにもない。まずピッチでやることがすべて。ハードワークでそこにたどり着ける。そうなれば、ご褒美がある。

キーランはセルティックで4連続リーグタイトルを取っている。そのうちには、ふたつの国内ダブルとひとつのトレブルが含まれる。またYoung Player of the Yearも3度受賞。彼は21才にしてクラブアイコンになった。

この成功は、彼をアイドルとして自分たちに重ね合わせるようなファンのおかげだと思っている。

KT:そこでぼくのキャリアを築いたのが彼らだったことには、なんの疑いもない。彼らがしてくれたことで間違いない。ぼくとファンの関係はとても重要だった。それがあれば、ぼくはいつでも気分がよかったし、仮にぼくが悪いプレイだったとしても、それで応援をつづけてくれた。

いいときのなかには、悪いときもある。悪い結果があっても、彼らはそこにいてくれた。それがどれだけのことだったか。どれだけぼくが楽しみ、どれだけみんなと一緒に楽しんだか。セルティックでは、ぼくの生活にとって彼らが大きな大きなパートを占めたのは疑いない。

彼らはまるでぼくをすぐに立ち直らせてくれるみたいだった。みんなでぼくの面倒を見てくれているとすごく思った。彼らはぼくを応援し、ぼくのためにうたを歌い、ぼくらのあいだにはすごいフィーリングがあった。それは、彼らがぼくのバックグラウンドを知っていたからでもあると思う。ぼくは、労働者階級の生涯セルティックサポーターであり、試合にも足を運んでいた。それがすこしは関係があるかもしれない。彼らはいつもとてつもなくぼくの助けになっていた。

だからこそ、クラブを去る決断はつらかった。キーランは22になっていて、スコットランドNTでも12キャプス。ヨーロピアンフットボールでもホットな選手になっていた。アーセナルが獲得レイスに勝利し、2019の夏にウナイ・エメリのアーセナルにやってきた。

そのときまで、キーランは生涯ワンクラブマンだと思っていたのだろうか?

KT:何にでも準備できてるという気持ちを持たねばならないと思った。もちろん、一生そこにいるんだろうと思っていたこともあった。幸せだったから。

でも、ほかの道に進むことはある。セルティックで十分でなければ、去らねばならないのだし。あるいは、なんとかうまくやることができて、移籍でもっと稼げるし、いいキャリアも築ける。いい選手、いい人間にもなれる。そういうオプションズにも準備をしなければならない。

でも、ぼくは移籍にこだわったことは一度たりとてない。そのときは、もっと刹那的に生きていたし、1日ごとに生きていた。計画はしていなかった。ただそれは起きたんだ。

彼はセルティックに疑いはなかったと述べているが、アーセナルからオファーがあったときにはそれが正しい移籍だと思った。そして、その移籍がよりかんたんだったのは、移籍当時のアーセナルのファンからの愛情があったから。

KT:(新しいサポーターとの関係が深まる早さに驚いた?)100%。ぼくがここに来てから、アーセナルのファンはずっとすごい。来た当初はケガをしてしまっていて、それでも彼らはケガの選手にも愛情を示してくれた。ぼくのこともあまり知らなかったはずなのに。

彼らはどうしてケガしている選手とサインしたのかと、疑問を呈することもできたはず。しかし、彼らが見せてくれたサポートはぼくにはすごく自信になった。そして、デビューで受けた歓迎はマジヤバだった。あのフィーリングはアメイズィング。

(アーセナルのファミリーの一員になった)イエス。ファンのことを愛している。ロンドンは大きい街だから、グラスゴウと違ってあんまり顔バレしないけど、バレたときにはとても愛情を感じるよ。いい気分でいられる。

写真を撮ってほしいとか云われるのが、あまり好きじゃないひともいるかもだけど、ぼくは歓迎さ。ファンとのやりとりは大好きだし、写真やサインを求められることにはいつだって感謝してる。ここに来てからは、アーセナルのファンが馴染むのを助けてくれている。地元から離れるのは辛かったからね。でも、ファンがそれをすごく和らげてくれた。(※訳注:ロンドン・グラスゴウの距離は、東京・岡山くらい)

ファンとうまくやれているのは、それがぼく自身だからだと思う。ぼくはほかの誰かにはなりたくない。ぼくは子どもの頃から変わっていない。もちろん人生はすごく変わったし、ときも過ぎた。しかし、ぼくはいまもぼくだし、それをみんながわかってくれるといいと思う。ぼくはハードワーカーで、ほしいものを得るにはワークが必要だと思っている。労働者階級の人間として育てば、自分の食い扶持は自分で稼ぐことが必要だ。母さんも父さんもそれをぼくに叩き込んだよ。

ぼくがつねにバッジのために100%を捧げていること、それをみんなに観てほしい。プレイがよかろうが悪かろうが、ぼくは100%を出すし、それがアーセナルファンが観たいものだと思ってる。それが、みんながぼくによくしてくれる理由かもしれないし、ぼくもとても感謝している。なぜなら、彼らはぼくに我慢強くいてくれたし、出会ったときはいつでもポジティヴだった。

(いまセルティックとの関係?)いまだに多くの選手たちと話すよ。もちろん何人かはスコットランドチームにいる。彼らのことはいつもTVで観ている。ここからセルティック・パークに観に行くのは難しいし、退団したすぐあとにそうするのもいいアイディアじゃないかなと。そうこうしているうちに、Covidがあって、あそこに行くこともあまりできなくなってしまった。

それに、いまはCovidでリスクをかけたくない。そうしたいのはやまやまだけど。帰省して、また試合を観たい。そのうちできるようになるだろう。間違いなく。

(家族は? セルティックと息子とどちらを気にしている?)いつだってセルティックが家族のプライオリティに決まってる!(笑い) 家族から愛されているし、応援もしてもらってる。でも、セルティックはいつも彼らのNo.1だね。ぼくがアーセナルでプレイしているときだって、父さんは何度かおじさんやいとこたちとセルティックの試合を観に行ってる。 でもそれが彼らの人生なんだ。ずっとそうしてきた。これからもそうするだろう。

それで彼らを責めることはないよ。それはいいことだと思ってる。彼らの人生は変わっていない。いまもセルティックをサポートしている。ぼくを観に来る機会があれば、きっとそうするだろうし。でも、セルティックの試合とかぶらないようにするだろうけど! 間違いない。

以上

訳がすこし難しかった。やっぱりネイティヴスピーカーの英語のほうが難しい。前後の文脈含めて自然になるようにしたけど、誤訳があったらごめん。

 

さて、KT。

Tescoバッグのひと。雪のなかでも半袖短パンのひと。ワーキングクラスヒーローでもあったのだな。ぼくらのような外国のファンはあまり気にならないと思うけど、国内のファンからはそういう側面も愛されているのだろうか。

オーデガードのインタヴュー同様、子ども時代のことについてたくさん語られている。セルティックひとすじという一家で育った子ども時代。それで息子がクラブレジェンドみたいな存在になるって、親からすると最高。というか奇跡。

KTの子ども時代といえば、日本人的には、やはり例のシュンスケ・ナカムラから褒められるという動画か。「キミがいちばんよかった」とブーツをもらうやつ。ちびKTかわいかったな。

ところで、オーデガードもKTもどちらもファンとのつながりについて多くを割いていて、もともとそういうコンセプトのインタヴューだったのかもしれない。

最近のアーセナルは、チームのフォームが上がっていくにつれ、ファンとのきずながますます強くなっている。それは、TVで観ていてもよくわかるほど。ヴェンゲルさんの末期、エメリ氏の末期のガラガラのスタンドからすると、いまの状況は雲泥の差がある。なんてポジティヴなんだ。

だから、今回のこのふたつのロングインタヴューは、意図的にそこにフォーカスする内容にしたのかもしれない。

キャプテン適性について考えるには、とても適しているような話題は少なかったけれど、どちらもなかなかおもしろいインタヴューだった。

※コメントくださるかたにお願い
プレヴューエントリでは、試合の結果がわかるようなコメントはお控えください
お互いリスペクトしあって楽しく使いましょう

8 Comments on “オーデガードとティアニー。来シーズンのアーセナルのキャプテンにふさわしいのはどちら?

  1. お疲れ様です。
    見事にタイトル詐欺にひっかかりました。笑 禁断のテーマを持ってきたなぁと。いちおう自分の中で答えは出しているんですが、両者とも大好きなので公言するのは憚れる感じで。。なんならもう二人で話し合って決めて欲しいですね。笑
    この件も結果がどうなろうと明るい未来にしかならないと思っているので、ワクワクしながら妄想を楽しんでおきます。COYG!

  2. 新しいCF は必ずほしいですが、ラカゼットはベンチにいてほしいですね。彼はこれまでのベテランたちとはハートが違う。

    オーデガードもティアニーもいいですが、ベンジャミンもよさそう。ラムズデールも。
    今は少数精鋭って感じですが、国産のワールドクラスの選手もたくさんいるし、みんな優等生な感じでもう未来しかないですね。
    ここにマルセイユから帰ってくるであろうサリバはなじめるのでしょうか。そこがちょっと気になってます。

  3. 僕が好きなのはラムズデイルかなあ。前節の前半はジャッジがウルブズ寄りで、嫌な雰囲気になりかねない所でも全然動じてなかったと思う。HTから出てくる通路でアトキンソンとゲラゲラ笑いながら話してて、あの筋肉系の陽気さはすごい。

    chanさんが絶賛退団キャンペーン中のラカ(w)も、一番イライラする時間帯に相手の負傷者に肩を貸してたり(早く出てくれって事だが)、アピールはするけど険悪にはならない。ちょっとでもイラついた素振りを見せれば相手を勇気づけてしまうんで、現実問題として必要な態度だったと思う。

    超絶に上手いウーデゴーアがああいう部分まで背負うとしたら、そりゃもう完全人格というか、神様的なリーダーじゃないかと思う。ちょっと怖いくらいの凄みのある。でもその時代が来るとしても少しだけ先で、まず今シーズンを成功させないと。まだこのままスンナリとは行かないんじゃなかろうか。

  4. ウーデゴーはレアルでハブられてたのはなんだったんですかね。とっても好青年です。ティアニーとどちらかというのは甲乙つけがたいですがどちらであっても素晴らしいキャプテンになってくれると期待しています。

  5. 甲乙つけがたいようですが、オーデガードには攻撃のクリエイティブに専念してほしいので、ティアニーの方がいい気がします。(オーバメヤンもキャプテンにならないようが、得点取ることに集中できたのではないかということと同じです。)

  6. ここにラムズデールも加わって甲乙丙つけ難いですが、個人的にはKT推しです。

    上で言ってる人もいますがØにはクリエイティブに集中してもらって。。。

    キャプテンやったらすぐ移籍のジンクス壊して欲しいですねー。

  7. 完全で獲得したばかりのウーデゴールより、3年目でエメリの苦しい時期も経験しているティアニーの方が良いかもしれないですね
    リーダーグループはウーデゴール、ジャカ、ラムズデール、ホワイトらで構成されるのかな
    ガブリエルは熱くなり過ぎるのでそこを治してからですね

    ジャカが残るならラカやホールディング、レノが退団してもある程度安心出来ます

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *