どうも。
アーセナルのファンとしてはなかなかDAZ~Nとした気分が抜けない今日このごろ。外の陽気はすてきなのに気分が…… 個人的には非常に春という感じがする。春はなんだかいつも憂鬱になってしまう。
さて、いっぽうのヨーロッパに目を向けると。まさかまさかでウーナイ・エメリのヴィヤレアルが、UCLのQFという大舞台で、あのFCハリウッドこと(古い)タレント集団バイエルン・ミュニック相手に勝ち抜けを決めてしまった。先週のファーストレグの結果ですでに驚愕だったが、昨日のセカンドレグ(アウェイ)でも逆転を許さず。ラスト16でのユーヴェ撃破につづいて、これはなんという快挙なのか。
ウーナイといえば、イングランドでの残念な18ヶ月で、とくにアーセナルファンにはあまりいい印象を残していないわけだが、その期間(PSG時代も?)を除いては、やはりかなり優秀な結果を残している。今回のことで「トップ4まであと1ポイントだった」とか「チームをELファイナルまで連れて行った」とか、アーセナルのファンのあいだですら、彼についてポジティヴな振り返りがあるほど。
そんないまの彼と、われわれがミケルの下で現在置かれている状況を思うと、ちょっと複雑な心境になってしまう。
また、チーム(クラブ)とコーチ/マネジャーの相性という点でも、これは非常に興味深い事例だなと思う。恵まれた環境と優秀なコーチの組み合わせで、かならず成功が約束されるわけではないという。
そういうわけで、今回はウーナイ・エメリのインタヴューを紹介したい。
これは先週のバイエルンのファーストレグの前に発表されていたインタヴューで、アーセナルについても語っているため、その試合後には紹介しようと思っていたもの。先週彼らがファーストレグでジャイアントキリングをやったあとにアップできず、すっかりタイミングを逃したつもりでいたが、こうなったら、むしろ少し待ってよかったのかもしれない。
今回も要サブスクの『The Athletic』がネタ元ゆえに、記事のすべては訳さず、基本的にウーナイの発言のみとする。また、われわれが興味をひかれなさそうな箇所は割愛する。くわしくは、The Athleticに登録して読もう。
ウーナイ・エメリのロングインタヴュー「わたしは以前よりもいいコーチになっている」
エメリ:わたしがセグンダディヴィジョン(ラ・リーガ2)でコーチを始めたとき、プリメーラディヴィジョン(ラ・リーガ)へ行くことが夢だった。それはかなった。
そして、わたしがヴァレンシアにいたときには、CLでのプレイを夢見ていた。セヴィーヤではELで勝つことを夢見た。
パリでは、CLで勝つことを夢見た。しかし、それを勝つことはなかった。アーセナルにいたときは、トロフィを取ることを夢見ていた。ELファイナルではチェルシーとプレイした。
ヴィヤレアルでは、トロフィを取ることを夢見て、それは去年に実現した(昨シーズンのEL)。
そして、わたしはいまだにCLタイトルを夢見ている。それはわたしの夢だ。いつかCLを勝ちたい。
ニューカッスルのオファーを断ってヴィヤレアルに残ったこと
(去年11月ニューカッスルのオファーを断った件)ニューカッスルのプロジェクトは魅力的ではあったんだ。築くものがあった。アーセナルとは違って。アーセナルでは、まず壁を打ち破らねばならなかった。それはハードなワークだったよ。そこからビルドをあらためて始めるというような。
ニューカッスルでは違う。ただビルドを始めるということだった。だから、違いがあったということだ。わたしはそのアイディアを気に入っていた。だが、わたしは機会を与えてくれたヴィヤレアルにも感謝をしていた。それに、われわれはチャンピオンズリーグにいたのだ。
プレミアリーグはどんなコーチにとっても魅力的なリーグだよ。だからニューカッスルから声がかかったときには、イングランドへ戻るチャンスだとよく考えた。シリアスなプロジェクトがあった。わたしにとってそれは、プライドと満足の源だったから、うれしかったよ。ニューカッスルのようなクラブのチャンスであり、そこでどうなることができるか、オファーを聴いて検討するのはおかしいことじゃない。
わたしはオファーのことを考えて、Fernando Roig(ヴィヤレアルのプレジデント)にも相談したんだ。結局、両方のクラブをリスペクトして、わたしはここに残ることを決めた。わたしはそれで満足だし、われわれはいま重要な仕事をしている。
(当時エメリはニューカッスルのマネジャー就任にかなり近づいていたとリーク報道。ニューカッスルのサウジオーナーで人権問題もあり面倒なことに)スポートでは、われわれも、社会のこと、特定の政治問題には気をつけておかねばならないし、尊重せねばならない。
だが、われわれはあまり政治に深入りすべきではない。わたしの仕事はスポート。そんなわたしが社会的・政治的な意見を云えるか? わたしはスポーティングプロジェクトだけに集中しないと。それが、わたしがサウディアレイビアからもらったオファーだ。彼らとは、ほかのことは一切話していない。
スポーツへの集中。スター選手のエゴへの対処
わたしは、PSGでもアーセナルでもよくワークしていたよ。そこでなんの問題もなかった。問題は、パフォーミングしない選手がいるとき。
わたしにもビッグプレイヤーたちがいた。パリでは、キリエンバッペ、ネイマール、ティアゴ・シルヴァ、マルキーニョス、マルコ・ヴェラッティ、ティアゴ・モッタ。彼らは、ここ(ヴィヤレアル)よりももっと大きなエゴがある。だが、わたしは彼らとだって楽しんでワークした。
アーセナルでは、オバメヤン、ラカゼットがいて、サカやスミス・ロウのような若いキッズがいた。
わたしは自分の仕事を楽しんだ。結果に関しては、個々にいいとか悪いとかはあったし、ファンともそう。わたしはいつでも同じやりかたで仕事をしてきた。
アーセナルにおけるヴェンゲル22年間のあとの再構築の難しさ
どんなコーチにだって、あれは難しかっただろう。自分自身を証明するのは。ある重要な選手たちがいる、しかし今後はそうじゃない。理解が難しいということがわかる。ファンもまた、そこに進化が必要であることを理解するのが難しいということがわかる。
変化は必要だったし、わたしはそうした変化を始めた。
アーセナルでの最初のシーズンはかなりよかった。シーズンの終盤にもCLへの復帰に近づいていた。しかし、われわれはELのファイナルに残っていた。あのファイナルでは、エナジーをどこへ持っていくべきか自分たちのやりかたを見失っていた。あのシーズンは、CLの復帰ができていたら、完璧だったのだと思う。
(アーセナルの2年めの混乱)最初の年に5人のキャプテンがいた。そこにはたくさんの変化があり、忍耐も必要だった。それは簡単なプロセスではなかった。ファンも忍耐がなかった。ジャカはファンと問題を起こして、ドレッシングルームでは、ほかの経験ある選手たちがキャプテンとしての役割を理解しなかった。ジャカはわたしにとっては重要な選手だった。彼はいい人間であり、とてもコーチにコミットしていた。
クラブはわたしに満足していたが、ファンは変化を求めた。だから(解任は)不可避だった。
チームで問題が起きたのは、彼の言語スキルのおかげ?
パリでは、わたしはフランス語を話した。イングランドでは英語だ。完璧な英語ではないよ。でも、わたしが20分話して、選手も理解した。わたしのメッセージは伝わった。プレスコンファレンスでも指摘されたことがあるが、わたしからすれば、イングランドでもフランスでも、ことばがバリアになったことはない。
(選手として)レアル・ソシエダにいたとき、John Toshack(ウェールズ人)がコーチだった。彼は完璧なスペイン語ではまったくなかったし、独特な発音もあったが、われわれはそれをユーモアと受け取ったし、彼の云うことは完全に理解できた。
わたしの英語も完璧な発音じゃない。だが英語だ。Toshackがスペイン語を話したのと同じ。「Good ebening」については、わたしはBにかなりアクセントを置く。スペイン語ではよくやるから。でも、それはべつにいやじゃないけどね。気に入ってるよ。
若い選手たちの起用
そこは変化だった。サカもスミス・ロウもプレイを始めたのはわたしのときだ。わたしは、サカをフラム戦でPLデビューさせた。1月1日、彼が17のとき。そうした若い選手を起用しなければならないということは、そこに以前いた選手を変えるということだ。ガブリエル・マルティネリもそのあとに来た。わたしは、彼は輝く選手になるとわかっていた。
同郷のミケル・アルテタについて
彼らは、全員同じ方向を向いているグループだ。ともにワークし、リスペクトを示しあう。わたしは、ヴェンゲルのあとなら、誰が始めようと難しくなるのはわかっていた。そこに起こさねばならない変化を理解してもらうのが難しい。
アルテタは、わたしが始めたことをつづけて、いい仕事をしている。彼にはファンからの忍耐もあるし、それはわたしにはなかったものだ。でもそれも理解しているよ。
アーセナル後
わたしは、また野心的になろうとしていた。どのクラブがそれをやらせてくれる? トロフィを取るのはとても難しいことだし、それがヨーロッパとなればなおさら。わたしは自分にとても厳しいし、ヴィヤレアルの可能性についてもかなり要求していた。
ELを勝ったことでバリアを破った。ヴィヤレアルはとてもいいプレイをするため、すでにリスペクトされている。小さな街だ。信用できるスポーティングプロジェクトがある。このトロフィを取ったあと、違いが観られるだろう。タイトルが名声や認識になった。
PL経験者が多くいるチーム
(ヴィヤレアルのスクワッドには12人のPL経験者。とくにトテナムから4人)トテナムはとても大きなクラブだ。だが、彼らはここでなら勝つことができる。トテナムはもう何年も何も勝っていない、ノートロフィーズである。イングランドには、トロフィを取っていなくても、とてもいいチームがほかにもある。勝つのが簡単じゃないから。
リヴァプールとマンシティがいまは勝っている。最近はマンUやチェルシーもだ。ウェスト・ハムのようなチームはとてもよい。しかし、彼らがそこで何かを勝てるチャンスはほとんどない。
(CLについての話題。中略)
コーチとしての成長
イエス。いまわたしは以前よりもいいコーチになっている。すべての経験、教訓、すべてを通して。わたしはいまもとても重要なチャレンジと野心がある。フットボールを仕事にしているものなら、フットボールと情熱を愛さねばならない。わたしのようにそれを愛すなら、いいときも悪いときもありつつ、それを幸せにやれる。
(英国の読者へのメッセージ)わたしは、ふたたび海外でコーチをやらないというわけじゃない。PLへの復帰も除外しない。いまなら、わたしはPLでの仕事を受けるいい準備ができている。
わたしはヴィヤレアルでもつねにすべてを学んでいるところ。成長している。コーチとしては、よりいっそうの経験を積みたい。モティヴェイションもある。まだチャンピオンズリーグの夢もある。
以上。いかがでしたか? トッナムが何も勝ち取っていないというくだりは、アーセナルのファンには大ウケだった。。
さて、今回のウーナイの発言のなかで、個人的にもっとも興味深いと思ったのは「コーチは政治から距離を置くべきであり、スポーツ以外のことに集中すべきではない」という部分。文脈では、政治とはサウジの人権問題のことを云っているのだろうが、クラブのなかにも政治的な問題がつきもの。とくにビッグクラブでは。
この記事中でも触れられているように、彼がスポーツのプロジェクトに集中できたあいだは、つねに結果を出している。
バルサとレアルが牛耳るラ・リーガでもヴァレンシアを3番めの勢力にし、セヴィーヤではEL3連覇。PSGでは10コのトロフィのうち7つを勝ち、アーセナルでも22戦無敗をやるなど、スタートはかなりよかった。そして、スペインに戻ってからは、ヴィヤレアルでまたELタイトルを取って、さらにいまCLでユーヴェ、バイエルンを相手にセミファイナルまで進出。超優秀。
PSGでもアーセナルでも、彼はスター選手とどう向き合うかにエナジーを割かなければならなかった。ビッグクラブでは避けられない舞台裏のクラブポリティクス。
もしそれがなければイングランドでの彼はもっと違っていたのかどうか。そこに興味がある。まあ、それもたらればですがね。
こうしてウーナイのキャリアを観ると、やはりクラブとコーチ/マネジャーの相性は非常に重要だと思える。おそらく、エメリは小さなクラブとの相性がかなりよく、逆にエゴをたくさん抱えているような大きなクラブでは仕事がやりにくい。たとえば、カルロ・アンチェロッティみたいなコーチは、その逆なんだろうか。
ひるがえって、ミケルはどうだろう。
それを書くと長くなりそうなので、べつの機会にしよう。
おわり
アルテタもやりたい事はあるんだろうけど、ここは難しいとこだと思う。2ボランチにするなら前節の方針を撤回して選手に対するハードルを下げることになる。アルテタがそういう事をやるのは、あまり見たことない。と言ってロコンガの1ボランチのままでは前節と同じ展開になる可能性が高いと思う。
勝つ指揮官であることと、厳格な教師である事は両立しにくいのかも。このチームはほんのちょっとでも勝つチャンスがあれば最後の1分まで全力で戦うし、それは厳格な教師であるアルテタが作った規律だと思う。しかし前節は戦術のハードルが高すぎたのか選手が未熟だったのか(両方だろうけど)、肝心の勝つチャンスがまるで見えなかった。
こうなると監督って孤独な稼業だと思う。選手と違って「ゴメン、もしかして俺、判断ミスした?」とは言えない。選手は監督の判断を尊重してくれるけど、それはあくまでも結果を出すためだと思う。エメリのように規律の構築に失敗しても、あるいはハードルが高すぎて結果が出なくても、選手に疑問を持たれたら監督はクビになる。
エメリが昔よりいい監督になってるなら、アルテタもここらで殻を破る可能性がある?もちろんそう信じたい。
ほんとに言い訳がお上手で、感心します。もう関わらないで下さい。お願いします。(´ー`)