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元チームメイト、コーチが語るヴィクター・ギョクレス

こんにちは。

今晩は、ノースロンドンダービー@香港。これは、初めての海外でのNLDだそうで、それなりに特別な試合になりそうだ。香港の皆さんおめでとう。このために香港を訪れているあなたもおめでとう。

でも、ノースロンドンの地元民はあんまり訪れていなさそう。彼らはリーグ試合を国外開催するアイディアなどにも強く反発しているみたいだし、これもあまり快くは思っていないのかも。あるいは無関心? そのあたりは、アメリカのMLBみたいなのと全然違う。

さて、Gyo。チーム加入後も連日彼のインタビューなどがメディアを賑わせていて、かなり忙しい日々を過ごしていそう。珍しく、CNNのようなメディアも彼を取材していた。

彼のNo 14シャツが売り出されるや、AFCとして過去最高の売上を記録したというので、あたかもいまVGフィーヴァーの真っ最中といったところである。

そんな彼について、このブログですこし前に、彼のスポルティング以前(コヴェントリー以前)のキャリアについてのエントリをアップしたのだが、The Athleticに似たようなテーマでより濃密な記事がアップされていた。

Viktor Gyokeres, as told by his team-mates and coaches

彼がこれまでプレイしてきたクラブでの当時の様子を、元チームメイトや、元コーチといった彼の成長におけるキーマンに直接取材している。

今回はこの記事を紹介しよう。

こちらと合わせてお読みくだされば。

Viktor Gyokeres発表前夜。スウェーデン人視点によるこれまでのキャリア(スポルティング以前) | ARSENAL CHANGE EVERYTHING



ヴィクター・ギョクレス。彼のチームメイト、コーチが語ったこと

基本的にコメント部分のみ。

「彼がスーパースターになるとは思わなかった」

David Eklund(IF Brommapojkarnaのスカウト。アマチームAspudden-Tellusにいた11才のVGに目をつける):当時はすぐには確信できなかった。彼はとても力強かった。当時はあまり大きくはなかったが、強くて、ハードワーカーだった。

彼は離れた距離からシュートできたし、頭でゴールも決めていた。ペナルティエリアでの彼はキラーだったね。しかし、技術的にはあまりうまくはない。わたしは、彼はスーパースターになるとは思わなかった。スウェーデンの最高レヴェルでプレイできるかどうか、というくらい。

 

Bjorn Thuresson(Aspudden-Tellusのプレジデント):とてもはっきりしていたのは、彼のトレイナー全員が云っていた、彼の超献身性だ。それが早くからあった。

彼は大きな子じゃなかった。しかし、つねにフィジカルだった。いまの彼を見ればおかしなことだけど。彼のそういった側面は、子どものころからずっとあるものだった。彼のチームがプレイするときは、たくさんの大人たちが観に来たよ。

ちびGyo

彼はとにかくゴールを目指す子だった。ピッチの中央に長くいることに興味がない。彼はつねにゴールに向かい、そしてたくさん決めた。

ヴィクトルが、彼の友人たちとトレイニングの前に練習する姿はよく見かけたものだ。彼は自分のフットボールに完全に集中していた。誰もがそう云っていた。そして、彼が何ゴール決めたかについて話している大人たちの声が聴こえてくる。

「彼がわれわれとスタートしたのは砂混じりのピッチ」

彼がスタートしたのは、うちの砂混じりのピッチでだ。それはもう変わっていったが。それ以降は人工芝が増えていった。しかし当時はそれしかなかった。だから、ヒザをケガしないよう特殊なパンツを履かざるを得なかった。とても地味なやつ。

われわれのチームは、プレイしたいという子は誰でも受け入れる。だから同じチームでもスキルレヴェルはかなり違うこともある。

だから、それによって子どもたちはいろいろなタイプの試合をプレイすることになる。ベストでプレイすることもあれば、技術を磨くためだけの試合もある。そしてまた別の試合ではレヴェルの低いチームメイトたちといっしょにプレイし、また違うタイプの責任を負うことになる。

それが彼の役にたったんだ。彼はそれを楽しんでいた。なぜなら、もしプロクラブのアカデミーに入れば、チームメイトのレヴェルは一定になるから。その責任を負うことで、彼はより成長した。

 

「彼は両足と頭でもゴールできた。尻でだって……」

David Eklund(IF Brommapojkarnaのスカウト):わたしはしばらく彼を追っていて、彼が13才のときに最初に彼にアプローチした。そのあと何年か彼の父親とのやりとりを続けた。

われわれはテクニカルなフットボールをプレイするチーム。だから、あの年齢での彼のテクニックの未熟さは、やや問題ではあった。しかし、テクニカルな選手に向かっても、うまくいかないことだってある。

彼の得点能力はかなり優秀だったので将来が楽しみだったし、うちのコーチたちが彼を成長させられると考えた。彼はどちらの足でも、頭でもゴールを決められたし、お尻でだった決めていたくらい(笑)。

(13才の時点では体の成長も始まっていた)初めて彼とちゃんと面会したときに握手をしたら、わたしの手は彼の手に飲み込まれてしまいそうになった!

(獲得競争があった)彼の家族とはわれわれがもっともいい関係があったし、若い選手の育成では定評がある。スウェーデン以外で彼のことを観ているものは誰もいなかった。彼がデンマークでもノルウェーにいたとしても、誰も気づかなかっただろう。彼はつねに遅咲きだったんだ。

彼の父親でコーチだったStefanは、ナイスガイだよ。彼は、息子を強引に特定のポジションでプレイさせるみたいなタイプでもなかった。「ヴィクトルは自分でやらなきゃいけない」と、彼はいつも云っていた。彼にとって、もっとも重要なことは息子をちゃんと観てくれるクラブとコーチがいることだった。

「彼が16才のとき「もう十分ファーストチームでプレイできる」と云った」

わたしが思い出すのは、2015年のシーズンにファーストチームにたくさんケガ人が出たときのこと。コーチがわたしを呼んで、アカデミーのなかにファーストチームでプレイできそうな選手がいるか尋ねたんだ。

わたしは云ったよ。「ヴィクトル・ヨクレスはもう十分そこでプレイできますね」と。彼が16才のときだった。

彼らはそこで彼を起用して、その年以降も、彼はとてもうまくやり始めた。まるでもう大人のようだった。(※2017の冬ウィンドウでBHAに加入)

 

「契約の前日にNando’sで彼と会った」

Steven Alzate(ブライトンU-23の元チームメイト):彼がぼくらと契約する前日、ぼくは彼とNando’sで会ったんだ(※ファミレス)。その日はトレイニンググラウンドでヴィクを見かけていて、その夜ぼくとRobert Sanchez(GK)でご飯に行ったら、発表になる前の彼がガールフレンドとそこにいた。

そのときぼくらは少し話しができたから、彼がクラブに加入した翌日も気安かったんだろう、ぼくらを見つけるとリラックスしていた。

ぼくらはよくブランチにも行ったね。夜に会って、いっしょにCLの試合を観たりもした。

彼はいつもジムにいた。彼は体幹ワークがとても好きで、自分のルーティーンをやるために毎日ジムにいた。

いまの彼の身体を見れば、とても引き締まっている。彼はあの規律だった取り組みをハードに続けていたに違いない。彼は自分でコントロールできるすべてをやっていた。そしてそれ以外のすべても身についている。

 

「彼は天性のゴールスコアラーじゃない。彼のフィニッシングはハードワークの結晶」

Dale Stephens(ブライトンの元チームメイト):彼の姿勢と貪欲なところは際立っていた。当時のぼくらは初めてのPLシーズンで苦しんでいて、彼はまだかなり若かった。だから、彼の機会は限定されてしまっていた。

でも、注目すべきは子どもにしては大きな彼の身体のサイズだった。彼は大きくてパワフルで、脅威になれる少年だった。そして、さらにもっと強くなろうと貪欲だった。

いまぼくらが観ているのは、彼がそうしたマインドセットを何年も続けてきた結果なんだろう。

彼の素晴らしさは、信じられないほどアスレティックでパワフルで、そして裏へのペイスで脅威になれること。でも、当時ぼくは彼が天然のゴールスコアラーだとは思っていなかった。

そのとき彼は21才ということは、それは自然に授かったものとは云えないだろう。それは、彼のハードワークの賜物だ。彼はのフィニッシングは、ハードワークの結晶なんだ。

U-23プレイヤーとしてクラブに加入するのは、かなり気が重くなるものだが、それでも彼はつねにファーストチームのぼくらとトレイニングはしていた。彼はトレイニングでも挑戦を挑むことを恐れなかった。

彼がいかにトレインしていたかがわかったし、ジムセッションを欠かしたこともない。彼は自分の強みを活かそうとしていた。それが彼にとって重要だったから、それを維持しようとした。トップレヴェルでプレイするためにどんな武器が必要か、彼もわかっていたんだ。

「コヴェントリーはステップダウンでも彼は飛躍的に成長した」

彼はプレイ機会が得られなくて、コヴェントリーに行くことになった。レヴェルではステップダウンだったが、彼は成長という意味では飛躍的に前進したんだ。

彼は自分のチャンスをつかみ、うまくやることで、その後にはスポルティングへの移籍を得た。これは多くの若い選手にとっていい例になるはずだ。

 

「練習試合でも勝てなかったら彼は赤ちゃんのようにかんしゃくを起こす」

ベン・シーフ(コヴェントリーの元チームメイト。アーセナルからのローン):彼がローンでやってきたとき、彼はチームに入ったり出たりしながらも、クオリティを垣間見せていたね。

彼の最初のローンのあと、パーマネント契約にサイン。彼がチームに戻ってきたときには、もっと筋肉をつけて、さらにフィジカルになっていたんだ。

彼は練習量もハンパなかった。トレイニングのあとに、たっぷりフィニッシングドリルをやるんだ。

いつだったかトレイニングで覚えているのは、ぼくらは11対11をやっていて、スローインから彼にボールが渡ったとき。そのときぼくは彼に対峙していた。彼はぼくを押さえつけて、かわしていくんだけど、ぼくはまったく何もできなかった。あれが初めてこんなふうに考えたときだ。「なんてこった。これが相手チームが彼に感じることなんだ」と。彼のフィジカリティを実感したのは、あれが初めてだった。

彼はトレイニングでもつねに超競ってくる。もし勝てなかったから、それが練習試合でも、彼は(赤ちゃんみたいにかんしゃくを起こして)乳母車からおもちゃを投げ捨てるだろうね。

彼はチームのメインマンだったよ。彼は裏に走り込めるし、高い位置でボールを持てる。とてもフィジカルだ。ぼくらは、彼のそういう能力に合わせてプレイした。

ぼくらはボールを持つのが好きだったけど、深く落ちることもあった。でも彼がいたから、カウンターではぼくらは彼に引っ張られた。

「うちのGKは彼のことをよく“ミートボール頭のスウェーデン大男”と呼んでた」

彼のもっとも際立ったゴールは、2023年のウィガン戦だった。

クリアボールが大きく蹴り出されると、彼はそれをハーフウェイラインで受け、誰にもつかまらずに抜け出したんだ。ぼくはもうただ彼を追いかけるだけのひとになっていて、実際つかまえようといくら走っても、ドリブルする彼は遠ざかっていくばかりだった。どっちにしろ、彼はひとりでゴールを決めるんだけどね。

(6として)ぼくもつねにワイドにプレイするとか、つねにショートパスをプレイする必要がないことはわかってた。彼がチャネルに走り込む、あるいはボールを奪い取るというオプションがあったから。彼はとてもパワフル。彼がいると自分のパスがうまくなったみたいに見える。

彼のことをよく知ったり、心を開いてもらうまでは、彼のことは真面目なやつだと思ってた。いいやつだしね。でも、トレイニングで議論になるときや、つねに勝ちたがったり、トレイニングのあとでフィニッシングドリルをやったりするのは…… 完全にXXだね。

ぼくらのGKだったBen Wilsonが彼のことをよくこんなふうに云っていたっけ。「ヘイ、そこのミートボール頭のビッグスウェディッシュ」。彼のGeordieアクセントでね。でも彼は、当時のぼくらのなかでも彼ともっとも親しかった。だから、よくそんなふうにお互いに冗談をいい合っていた。

 

「彼はPLに完璧」

David Eklund(IF Brommapojkarnaのスカウト):(彼がPLで輝く準備はできている?)彼は毎週プレイする必要がある。PLにも完璧だ。

Dale Stephens(ブライトンの元チームメイト):(彼がPLで輝く準備はできている?)彼にはすべての能力が備わっているが、それがビッグゲイムでも発揮できるかどうかが問われているんだろう。でも、アーセナルがそんなリスクを取るだろうか。彼らは、CLでも彼がすでにトップチーム相手にプレイしているところを観ている。

ベン・シーフ(コヴェントリーの元チームメイト):(彼がPLで輝く準備はできている?)彼はただのマシーンじゃないよ。相手選手を出し抜けるとか、相手DFをいじめられるとか。彼はもっと複雑なプレイができる。彼もアーセナルのゲイムに適応する必要はあるが、ここからもっとよくなっていくようにしか思えない。

以上

 

ベン・シーフは、VGと同い年だそうだ。まだ若い。アーセナルの評判を彼からも聞いていたかもしれない。

ところで、ひとつお詫びがあるのは、彼の前の記事で、彼が最初にプレイしたアカデミーの“gravel pitch”を「砂利のピッチ」と直訳したんだけど、よく考えたら砂利を敷いたフットボールピッチなんてさすがにありえないんで、芝生が剥がれた砂混じりのピッチのことだなと。この写真を観て間違いを悟った。失礼。

これは関係者のコメントじゃなかったから訳さなかったのだが、この記事のなかに、ブライトンでなぜ彼がファーストチームに昇格されなかったのか、ひとつの理由について言及されている部分がある。

それは当時のヘッドコーチだったGraham Potterが、No 9に「ときにピッチ深くに落ちて周囲の選手とリンクアップする」ことを求めていたからだという。ビルドアップへの関与。少なくとも当時、彼はそういうタイプとはみなされていなかったし、実際そうなのだろう。

ここはアーセナルでも当然求められるだろうプレイゆえに、けっこう気になる部分だった。スポルティングで与えられていただろう彼の自由は、おそらくアーセナルにはない。彼がゴールを量産できたのは、ポジショニングや役割の自由ともまったく無縁でないはずなので、それが許されない環境でポルトガルでの再現を求められることは、彼にはやはり大きなチャレンジになる。

しかし、われわれファンが安心していいのは、彼にはメンタリティがあるということ。そこだけは心配しなくていいと思う。こうした彼のこれまでのキャリアにおける苦労や振る舞いを知れば知るほど、きっと彼ならやってくれると思える。

天才と努力のひと、どっちが推せるってそりゃあ努力のひとだ。応援したいと思わせることができることも、フットボーラーの重要な能力に違いない。

 

ということで、このあとのNLDで彼のデビューがあるかどうか。楽しみ。

 

おわり



※コメントくださるかたにお願い
プレヴューエントリでは、試合の結果がわかるようなコメントはお控えください
お互いリスペクトしあって楽しく使いましょう

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