Exclusive: Ozil will snub Arsenal contract offer and wants to join Man United
Mirrorの独占スクープだというこの記事。エジルは来夏のマンU移籍を希望しているのでアーセナルの契約更新オファーは拒否するという内容。夏の移籍市場が終わったばかりのこの時期に出るゴシップなどどうでもいいのだが、エジル to マンUというのは、これはけっこう現実味あるかもなと思った。
エジルはマンUに行きたい? エジル問題はアーセナル問題
モウリーニョはレアル・マドリッド時代に駆け出しのエジルを引っこ抜いた張本人だし、その後も彼はエジルについて他クラブの選手であるにもかかわらず「世界最高のNo.10」などと褒めそやしている。アーセナルでひとり敗戦の責任を負わされ自尊心を傷つけられていた彼が、モウリーニョ時代を懐かしく回顧していたとて不思議はない。
アーセナルにとってエジルという選手は加入以来、攻守における諸刃の剣となってきた。攻撃で天才的なセンスを発揮する一方でとくに守備での貢献が問題となってしまっていた。そして先日のアウェイ・チェルシー戦では、ついに守備だけでなく攻撃ですらエジルが悪影響を及ぼしていた可能性があることが示されたことは、アーセナルにとって大きなターニングポイントになったかもしれない。そういった出来事を含めて、いまのアーセナルにとってエジルへの精神的依存度が微妙な下降傾向にあることも、彼との契約更新交渉に影響しているのではないかと思われる。
彼の存在はゲームプランそのものに影響を与えるほど大きいものだ。彼を残すか残さないかの判断は来季以降のアーセナルの戦い方そのものに影響を与える。
ところで先日ヴェンゲルの問題について長々と書いたように、エジルのディシプリンの問題は、本人の問題というよりは、アーセナル/ヴェンゲル監督に非があるとぼくは考えている。(子どもが悪いのではなく親が悪いというロジック)
たとえば、アーセナルは決して彼をワイドでプレイさせようとはしないが、もしエジルをワイドでプレイさせることができたら、そのオプションがあるだけでアーセナルはどれだけ戦術的な恩恵を受けることができるだろうか。現状エジルを使うときは(フィットしていれば無条件で使うのだからほとんどすべての試合)必ず中央でプレイさせて守備の負担を軽減させるということが暗黙の条件になっている。
アーセナル加入当初こそワイドに置かれることもあったが、結局彼に拙い守備をさせるよりは攻撃に集中させようという判断でワイドでの起用を諦めたのだろう。だが、なぜそこで彼にチームプレイを求めることも諦めてしまったのだろうか。
ドイツやマドリーでは必要なときはワイドでプレイしていた。もちろんほかの選手たちと変わらない守備タスクもあっただろう。ワイドでプレイさせるということはそういうことで、そういった要求を彼にすることがアーセナルにはできなくなっている。
ドイツではレーヴ監督が、マドリーではモウリーニョ監督が、エジルをちゃんとコマとして使った。不調のときはベンチに置いたし必要なときはワイドで使った。もちろん彼らだってエジルを天才クリエイターとして最大限リスペクトしていたが、ひとりの選手のためにチームの規律を犠牲にするなんてことはしなかった。
ところが、アーセナルではエジル(とサンチェス)の重要度が高すぎて、選手が嫌がるような要求ができず、守備バランスやコレクティブな動きといったチームへの献身や連動性を求めることもできなかった。これではもはやチーム内での秩序やバランスを失っているといってもいい。
彼らはチームにとって重要すぎてスターティングから外すこともできないし、へそを曲げられるのを恐れ「ぼくはワイドがイヤです」「途中交代がキライです」といわれれば、はいそうですかといいなり。そんな状況が透けて見えないだろうか。そうした特別扱いの結果、普段からチーム内で傲慢な態度を取ることすら許され、そうした無秩序さがチームに悪影響を与えていく。
アーセナルは、要するにスター選手の側に主導権を握られているのだ。そうとしか考えられない。彼らと競争できる選手もおらず、どんなときでも無条件で起用しているようではエジルやサンチェスが増長してボスのいうことを聞かなくなってもおかしくはない。これはもうモラルハザードではないか。
どんなフットボールクラブであっても「チームプレイが苦手だけど優秀な選手」の扱いには手を焼く。少年サッカーのチームですらそういった問題はあるだろう。その選手の起用はつねにジレンマを伴う。しかしアーセナルFCという規模のクラブでもしそのような問題があったときに、それを長期間放置しておくというのはあり得ないことじゃないだろうか。人心掌握などというが、選手を説得したりおだてたりなだめすかして思い通りに動かしたりと、そういった問題をマネージするのも監督の仕事だろう。人の上にたつ人間ならその場で「誰がボスか」をわからせることはどんな組織でも重要なはずだ。
ヴェンゲル監督はなだめすかしを過度にやっていて、難しい舵取りを放棄して人心掌握が出来ず、結局彼らが自由にやることが自分の戦術なんだと自ら思い込もうとしているように見える。そんなのは戦術でも戦略でもなんでもない。ただの事なかれ主義の放任フットボールだ。あなたが毎度目をつむってサイコロを転がすのを見ているファンの身になってみろといいたい。
エジルは新契約でアーセナルからの250kの週給オファーを拒否しているといわれているが、チェンバレンのようにもっと高くても拒否するんじゃないか。そしておそらく彼が移籍するクラブでは同等かあるいはもっと安いギャランティも受け入れるのだろう。
自由を与えて最大限に才能を発揮させるという、ヴェンゲル監督がスター選手たちによかれと思ってやってきたやり方は裏目に出た。チームは結果を出せず、逆に優遇された選手たちの心が離れていくという、見ていてなんともやりきれない結末を迎えるのだ。このちぐはぐさたるや。
来季、われわれはマンUでまるで生まれ変わったように守備をする「生まれ変わったNEWメスト・エジル」を目にする。マンUは選手層も厚く選手同士で健全な競争もあるから、守備タスクを放棄するような選手をモウリーニョが無条件で起用するようなこともない。そして新しいボスの指導により守備を怠らなくなったエジルは、フットボーラーとしてさらに成長し、本当のスーパースターになるのだ。これはすべてモウリーニョの手腕によるものだ。それこそがビッグクラブの監督の仕事だ。いい話じゃないか。そのあかつきにはヴェンゲルも「父親のようだった」と感謝されることだろう。
ラムジーとウェルベックに契約更新オファーの件
Arsenal keen to tie down Aaron Ramsey and Danny Welbeck to longer deals
ラムジーとウェルベックの契約が切れるのは2019年7月ということなので、交渉の始まりとしてはまあまあいいスタートを切ったといえるんじゃないだろうか。契約が切れる最終年にやっとまともに交渉を始めるというチェンバレンのときのようなグダグダは決して繰り返さないという意志は感じる。
というか、チェンバレンのあれは本当になんだったんだろう。ギリギリまで交渉もせずにいて、いざ始めればどうしても契約更新したいクラブは選手側に主導権を握られ、最後は週給を3倍まで釣り上げられたあげく結局お断り。なんという茶番劇。バカなのかな。
その今夏のグダグダしたやりとりがアーセナルにとってチェンバレンを失ったというダメージを受けたにとどまらないのは、既存のアーセナルの選手たちがそういう交渉術でクラブからよりいいオファーを引き出せると知ってしまったことだ。ゴネ得というやつだ。
サンチェスやエジルの退団が刻一刻と迫っているいま、今後チームでの重要度がますます高まるはずのラムジー、ウェルベックの代理人たちだって当然足元を見るはず。「チェンバレンクラス(笑)で180k」はひとつの指標となるだろう。アーセナルにしてみれば、未来のスターを維持するためのなりふり構わぬ譲歩だったと思われるが、チェンバレンが最大限を引き出せて自分たちが最大限を引き出せない理由がないと、彼らはそう考えるんじゃないだろうか。
アーセナルは今回もまたタフな交渉を強いられるに違いない。また長引くよ。自らの首を締めているとしかいいようがない。
逆にこの状況下でゴネもせずあっさり契約更新したらおれはラムジーとウェルベックを死ぬまで愛し続ける(大げさ)。だってそれは今時大した額ではない金額で彼らがオファーを受け入れるということだから、彼らがガナーズを自分のクラブだと考えている証拠だ。おれたちが愛するクラブを愛する選手をおれたちが愛すのは当たり前である。
とはいえ、チェルシーもチェンバレンに220kをオファーしたというし、今日日140k程度のオファーじゃ箸にも棒にもかからないのかもしれない。インフレだなあ。
ギブスを失ったのはチェンバレンよりも痛かった by ヴェンゲル監督
ボスが月曜のWBAで古巣を訪れるキーラン・ギブスについて語っている。
Arsene Wenger ‘hurt’ more by Kieran Gibbs’ Arsenal exit than Alex Oxlade-Chamberlain departure
ヴェンゲル:ギブスを失ったのはチェンバレンを失ったよりも痛かったというのは本当だよ。だってギブスは10才からアーセナルで育った生え抜きだったんだから。
彼が来たときは左のウインガーだったんだ。わたしが彼をフルバックにしたんだ。彼はもうウインガーとして完成されていたし、彼の知性やペースからレフトバックとして大成するんじゃないかって思ったんだ。
アカデミーの選手にとって自分の価値を証明するのは重要だよ。メンタル、謙虚さ、忠誠、もちろんフットボールのクオリティも。チームプレイやコレクティブなプレイもね。
彼は出たいとはいわかなかったが、とにかくプレイしたかったんだ。彼は27か28でその年齢なら無理もないよ。
彼の放出は難しい判断だったが、一方で何年もいる選手ならプレイできないときもあるということを受け入れなければならなかった。
コラシナツを穫ったから3人のレフトバックを抱えることはできなかったんだ。
10才からいたということは彼は17年ほどアーセナルで過ごしており、フットボーラーとして人生の半分以上をアーセナルに捧げたことになる。アシュリー・コール、クリシーはもちろん、コラシナツのタレントっぷりを目撃してしまっているわれわれには、ギブスが能力的にアーセナルでレギュラーでプレイするのはキツかったとはいえ、生え抜きがまたいなくなるというのは悲しい。ギブっさんに幸あれ。
つかチェンバレンより痛かったってのは絶対ウソだよね。
いろいろ思うことはありますが、ベンゲルを最後まで見届けるしないですね。
そういえば、完成された選手がアーセナルに来たのはエジルが初めてでしたかね?ベンゲルもどうしていいか分からなかったのでしょうか。。
いつも興味深い記事ありがとうございます。
いつも読んでくれてありがとうございます。
「エジルが初めて」の件はまあツッコミどころもあるかと思いますが、チームの命運を託すくらいの中心選手という意味ではエジルが初めてというのは間違ってないかなあと思っておりますね。
エジルのほかに誰かいたかと考えるといないんですよねこれが。誰かいます?
アーセナルがいかに特殊なクラブだったかという話であります。