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Black Arsenalとアーセナル

こんにちは。IBたけなわで、いかがお過ごしですか。

今回のIBは、移籍ウィンドウが終わったばかりということもあって、さすがにフットボール界隈も静かである。もちろん、この間に代表チームの試合は行われているのだが、ソーシャルメディアの反応を観てもやっぱりクラブフットボールほどの熱意はない。絶対に負けられない、とか云われても困る。

さてそんななか、先日アーセナルでは『Black Arsenal』という書籍のローンチパーティがエミレーツで行われていた。

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『Black Arsenal』は、現代の黒人のアイデンティティや文化、クラブとの関係を初めて専門的に探求したものである。

黒人のアイデンティティとクラブの親和性が、フットボールを超え、メディア、音楽、ファッション、政治、日常的な社会経験など、文化を超えて広がっていることがわかる。

見事な写真と貴重なアーカイブ画像の組み合わせによって探求される『Black Arsenal』は、英国史の重要な瞬間にアーセナルでどのように新たな黒人図像が出現し、それが黒人の新たなアイデンティティの創造に不可欠となったかを検証する。

これはおもしろそう。

ぼくは、もともと、ジャズ、ソウル、レゲエなどなど、おもに音楽を通してブラックカルチャーに強い興味を持っていて、それとまったく別方面から大ファンになったアーセナルが、歴史的にそれと強固なつながりがあるというエピソードを知ったときには、もっと詳しく知りたいと思っていたものだった。

クラブでプレイした黒人選手が多いというのもあるし、ミュージシャンや俳優など著名な黒人のファンも多い。どちらも名前をあげれば枚挙にいとまがないだろう。アーセナルは、黒人の文化や社会と非常に密接なつながりのあるクラブ。

Black Arsenalの始まりは、ぼくがアーセナルを知るだいぶ前からなので、クラブの伝説的黒人選手の名前はあまりピンと来ないのだけど、しばらく前にケヴィン・キャンベルの訃報に際してもすこし書いたように、イングランドに多数住んでいるジャマイカ系はもちろん、ヴェンゲルさんの時代にはフランス/アフリカ系のたくさんの選手が、アーセナルでプレイする機会を得たことは知っている。なんならラヒーム・スターリングもジャマイカ系である。

この出版イヴェントに際して、アーセナルの公式サイトにもいろいろな特別コンテンツがアップされている。今回はそれを紹介しよう。



『Black Arsenal』出版記念パーティ@エミレーツの様子

Join Frimmy at the Black Arsenal book launch!

Gallery: Black Arsenal book launch

イヴェントのゲストには、編者のDr Clive Nwonkaを始め、ミュージシャンのChip、ポッドキャスターのClive Palmer(Arsenal Vision Podcast)、AFC女子のレジェンドAnita Asante、ブロードキャスターReggie Yates、ミュージシャンFemi Koleosoといった面々が訪れていた。

当日の映像と写真を見るに、AFCからは、選手としてトーマス・パーティとジュリアン・ティンバーが参加。あとはリチャード・ガーリック、ティム・ルイス、メルテザッカーら。マーティン・キーオンの姿もある。

『Black Arsenal』特設サイトより

Black Arsenal: Exploring a special connection

Dr Clive Nwonka(Black Arsenal編者):アーセナルとブラックカルチャーとの関係は、簡単にまとめることはできないものだ。

この本は、アーセナルが黒人英国人に対してどのような意味を持つか、そしてより広い帰属意識の影響に至るまでいかにつづいているかを反映しようとしたものだ。

アーセナルと黒人アイデンティティの親和性は、フットボールを越えるものであり、あらゆる文化に広まっている。メディア、音楽、ファッション、政治、そして毎日のソーシャル体験に。

“Black Arsenal”という理念においてわれわれが見出したのは、その発展の中心にいたのはアーセナルと黒人英国人というだけでなく、多文化なロンドンだけでもない、現代英国社会だったのである。

 

Anita Asante(元AFC女子選手):Black Arsenalのなかに、わたしたち自身のストーリーが反映されているのを見たが、それはとても重要なものだ。過去を追認するだけでなく、未来の世代を触発するものでもある。

アーセナルは、ずっと黒人選手やサポーターがいる場所だと見られていたし、それが感じられ祝福されていた。この本は、そのスピリットを美しくとらえている。

 

Paul Davis(元AFC選手):わたしがアーセナルでプレイしていたときに気づかなかったのは、われわれがピッチの中や外でやってきた仕事は、黒人たちに非常に意味あることだったということ。

そして、それを知ることは、ふたつのリーグタイトルのメダルよりも価値がある。

 

Ian Wright(元AFC選手):Black Arsenalについて、いまやっと意味がわかる。われわれには選手がいて、ファンベイスがあり、世界中から来た黒人選手たちの歴史があり、そしてわれわれはみなロンドンと深いつながりがある。

 

Rodney Hinds(スポーツエディター):2002/03シーズン、アーセナルがPLで黒人選手を同時に9人フィールドに入れた初めてのクラブになったとき、わたしはなにか特別なことが起きたと感じたものだ。

 

Clive Palmer(サポーター):今日、わたしがエミレーツの周辺を見回しても、やっぱりここには社会の反映がある。

イヴェントの会場内にはJazzie B(Soul II Soul)のメッセージも掲示されていたようで、それが読みたかった。本を読めばいいのか。

Dr Clive Nwonkaインタビュー「アーセナルにはスタンドとストリートの連続性がある」

『Black Arsenal』の編者のひとりである、Dr Clive Nwonkaのインタビュー。

(まずはClive、この本は何に触発されたものですか?……)

Dr Clive Nwonka:そうだね、自分のひととしてのバックグラウンドについて、自分を触発したものについてとても考えた。

わたしは、London School of Economicsで仕事を始めていたとき、文化における人種の役割や思考について考えていた。わたし自身は内省的なほうだったし、最初に受けたインスピレイションの源をたどると、John Barnes(※訳注:ジャマイカ出身のフットボーラー。80-90年代にワトフォードやリヴァプールでプレイ)の存在が自分にはとても重要だったと気付いた。

わたしが6-7才とまだとても若かったとき、彼は、わたしがPanini sticker(※トレカ)で初めて観た黒人選手だった。その年齢にもなれば、なにかに執着するようになるし、それは興味深かった。それに、90年代なかばまでに、黒人の男らしさに対する重点に変化があることにも気づいた。

わたしが子どものころに観てきたそういった選手のなかには、認められつつあったイアン・ライトのようなひともいた。

だから、わたしはそれが意味するものや何が起きていたのかを探求していて、そしてどうやらイアン・ライトが、違う種類のアティチュードやアイデンティティをレペゼンしているのだとわかった。それはわたしの周囲にいる人たちにとくにそう認識されていた。

わたしが、そこにある文化的要素がなんなのか特定するにあたり、それが重要になったのだ。Sky Sportsとイアン・ライトは、ナイキの広告などで、完全に前代未聞のやりかたで注目される新世代の一部になっており、TVもメディアも重要だとわかった。

彼はいろんな意味でPLの看板選手になったし、団地でも(※訳注:壁画とかのこと?)広く認知されていった。

後に、それがBlack Arsenalへのインスピレイションへと導かれる。わたしは大学にいて、ほかにどんな要素があるかなど、このコンセプトを詰めていった。「Black Arsenalの定義」という章は、そうしたアイディアの源泉について書いた。歴史において、なぜロンドンの黒人の多くがアーセナルに惹かれるのか。

あなたがサウスロンドンあるいはほかの地域出身だろうが、イアン・ライト以外にもそこにある歴史について気づくことになる。60年代、70年代、Brendon Batson、Paul Davis。70年代のイズリントンはどんなだったか。JVCセンターや、クラブが80年代に行っていたコミュニティワークは? そうしたすべての要素が、1991年のイアン・ライト加入の前にあったのだ。

(イアン・ライトが黒人文化に与えた影響は、もし彼が違うクラブに行っていても同じだったと思いますか?……)

このBlack Arsenalのコンセプト全体に、偶然と機会による設計がある。それがリサーチの観点からしてもよりおもしろくしている。

興味深いのは、わたしがフィールドワークをしたり、あるいはハイバリーやHolloway Road周辺を歩いていても、朝、夜、試合の日、試合のない日でも、スタンドで見るものとストリートで見るものとのあいだに連続性が感じられたことだ。

それはまったく同じもの。しかし、ほかのクラブへ行ってみても、そのファンベイスはそこで見つけたものとは違う。アーセナルにはそれがあると思う。

タクシーをつかまえれば、わたしはいつだってアーセナルファンの運転手に会う。ただそれが起きる。わたしが、彼らにAvenell Roadへ行くと伝えると、わたしにファンなのかあるいは仕事なのか訊いてくる。わたしはどちらでもなく、Black Arsenalについての調査をしているというと、彼らは一様に自分たちの話をしてくる。それは、わたしにとって非常に重要なことだった。

ある運転手はクラブを通して多文化主義を学んだと云っていたし、それはクラブが企画して育ててきたものなのかと質問してくるひともいた。

わたしに云わせれば、黒人の人たちはアーセナルに向かうということ。つまり、わたしが云っているのは、イアン・ライトをイアン・ライトたらしめているものが、非常にたくさんあるということ。

もし彼がリヴァプールへ行っていれば、そこはマイチームだが、そこでも同じインパクトがあったか? わたしはそうは思わない。正しいタイミング、正しいクラブ、正しい人間、正しい文化、正しい移行期間というものがある。PLの創設や放映権料のことも。

彼を彼たらしめたのは、すべてのことが正しいときに起きたから。それなしに、Black Arsenalが同じコンセプトではありえなかった。すべてはつながっている。

(この本をどのように構成し、また寄稿者を選びましたか?……)

わたしは、このためにいろいろなアイディアを発展させようと、6-7年は取り組んだ。そして、自分が望むようなラフなアイディアをつかんだ。

当初は、そのコンセプトを反映した短い記事を『New Statesman』(※訳注:UKの政治文化雑誌)に載せる予定だったが、その後Barbican(※訳注:ロンドンにある世界的文化施設)でキュレイターをやっていたMatthew Harleにアプローチして、そこでBlack Arsenalに関するセミナーができないか問い合わせた。彼は以前にわたしがいっしょに働いていた仲間で、Barbicanは1989年にアーセナルがタイトルを勝ったときに記念のオーケストラ演奏が催された場所でもあった。

わたしは20人も入れるような小さなセミナールームだと思っていたのが、彼らは最も大きな部屋を用意した。わたしがそれをtweetしたところ、24時間以内にソールドアウトに。それが、わたしが「ここでなにかが起きているぞ!」と思ったときだった。

そして、わたしは自分で本を執筆したところで、そこにある多様な視点やアイディアや正しく伝えることはできないと気付いた。だから、わたしは集めた原稿を編集するほうが、よりBlack Arsenalをレペゼンするものになるし、そうできる可能性があると考えた。

わたしはMattにも、いっしょに仕事をしないか頼んだ。彼はアーセナルのシーズンチケットホルダーで、わたしはそうじゃない。わたしは客観的だが、彼は違う。彼がクラブやファンベイス、わたしの知らない寄稿してくれるかもしれないひとについて知っていることもある。だから、共同編集をやろうじゃないかと。

わたしには黒人としてのいろいろな視点もあるが、彼はアーセナルの素晴らしいオンライングループのひとつを勧めてくれた。Arsenal VisionのClive Palmerや、その周辺のひとたち。

(本のなかのストーリーをいくつか教えてもらえますか?……)

わたしには、重要な場面の足がかりや、いくつかの解決したいテーマがあった。たとえば、1992年の壁画や2002年のリーズ戦でのラインアップ。Raphael Meade、Chris Whyte、Gus Caesarといった忘れられた選手をあらためて訪問したかった。

それと、毎週スタンドにいるわけではない人たち、コミュニティレヴェルの人たちの視点もほしかった。ハイバリーからエミレーツへの移転があり、住人とのつながり。

わたしは、女子ゲイムについての話もしたかったので、黒人女性にもそこにいてほしかった。わたしは、Gail LewisもLola Youngも知っていた。古参アーセナルファンだ。そこで、「そうした話をしてくれるひとはいませんか?」ということになった。

ありがたいことに、彼らはそこにいた。アーセナルファミリーは大きい! 同じ言語でも、いろいろな側面から話すたくさんの人たちだ。

(調査のなかであなたを驚かせた発見はありますか?……)

イエス。わたしが確かに驚かされたのはクラブのコミュニティワーク。それは80年代に遡る。ハイバリーにのJVCセンターと、アーセナルがローカルコミュニティでなにをしてきたか。それは、黒人選手たちがクラブに来る理由について、わたしに大いに考えさせた。それはむしろクラブの計画ではない。

それにはとても目を開かされた。わたしたちが見つけたそうした月日の写真は、1970年代からアーセナルへ行く黒人にとり、いかに重要だったかを示していた。

イズリントンには、1970年代には、National Front(※訳注:UKの極右)の強い存在感があった。だからわたしにとって興味深かったのは、アーセナルがそこにあったこと、そうした日々は過ぎ去ったこと、わたしが知るかぎりそれはアーセナルには浸透しなかったことだ。アーセナルには、自らを律する要素があった。

わたしは、自分が世界中でどこかべつのクラブについてこのような本が書けたとは思わない。本気でそう思っている。なぜなら、そうすれば、ピッチ上の選手たちに黒人の存在感を減らすことになるからだ。

どのクラブもそれはできる。だが、フットボール以外のマニフェストはどうか。文化、ファッション、表現、街とそれ以外をつなげるもの。それがこの本で書いたこと。フットボールクラブはそこにあるが、その深い文化的共振は、ほかのクラブは同じようなかたちでは影響力を持ち得ない。そして、それこそがわたしにとり、それをとても魅力的なものにしている。

以上

 

ふたり編者のひとりであるClive Nwonkaさんは、リヴァプールファンという。リヴァプールのファンがなぜアーセナル本を?という気はするが、それもこの本に似合っているという気はする。多様性。

そして、そのことも、アーセナルというクラブが研究対象としていかにユニークかということの証左でもあるように思える。

このインタビューでも話されているように、イアン・ライトがほかのクラブに行ったところで同じことは起きなかったし、Black Arsenal的なサムシングはアーセナルでしか成立しえなかった。まさに、クラブとカルチャーとアイデンティティ。

 

またぼくたちがアーセナルを好きになる理由ができましたね。

 

この本は邦訳は出るんだろうか。出ないか。日本ではややマニアックなテーマだしな。せっかくだからハードカバーがほしいところだが、Amazon UKで割引ありで£26(1£=200円なら5,200円)。日本のAmazonだと¥8,460なり。たっか。

 

おわり



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