昨日発表があった今年のバロンドール。ランキングをざっと観ただけだけど、どうだろう。選考基準。
GK部門なんか、トレブルをやったエデルソンよりエミマルが優先されるって、フットボールファンにはちょっと納得しがたいものがあるよなあ。ナショナルチームの実績も重要だけど、選手の本分はクラブフットボールにあるわけで。ちなみに授賞式でエミのワールドカップの映像が流れたときには、会場からちょっとしたブーもあったらしい。ウケる。
まあ、いいか。
さて、Black History Monthです。ブラックのヒストリーを知ろう月間(ウキペ)。もともと多くの黒人選手が活躍してきたことで知られるアーセナルFC。いまWEBサイトでも、BHMはしばらくフィーチャーされていて、いろいろなコンテンツがアップされていた。
そんななかで、今回はアーセナルのブラックボーイズのひとりである、リース・ネルソンのロングインタヴューが掲載されていたので、読むついでにそれを翻訳しよう。
Reiss Nelson: Why representation matters
リースネルソンのロングインタヴュー Black History Month 2023年10月
聞き手は、ロンドン大学のDr Clive Nwonkaで、映像、文化、社会学が専門という人物。このインタヴュー企画の意図もあるので、リードも省略せず訳してみよう。
Black History Monthが存在するのは理由がある。それは、誰もが黒人文化遺産のインパクトを共有し、祝い、理解するための機会なのだ。フットボールにおいては、人種差別についての惨禍について考えるきっかけを与えるものでもある。イングランドにおけるゲイムが花開いた1970年代と80年代、たとえばKick It Outのような組織のたゆまぬ努力や大きな進歩があったにもかかわらず、それが完全に排除されることはなかった。またそれは、あまたの黒人選手の貢献を祝う機会でもある。
アーセナルの歴史においても彼らの貢献は見逃せない。Brendon Batson、Raphael Meade、Chris Whyteによる、ジョージ・グレアムの偉大な年月、アーセン・ヴェンゲルの時代から、ブカヨ・サカ、エディ・エンケティア、リース・ネルソンに至るまで。云うまでもなく、若いアカデミー選手たちはこのゲイムのなかで大いに活躍している。
Black History Monthを記念して、今日はリース・ネルソンとDr Cliveの対談をお届けしよう。ネルソンはサウスロンドンの人種的多様性に育まれた若者であり、アーセナルには9才から在籍している。そんな彼が、混血の家庭で育ってきた経験、おもに黒人が暮らすエリアでの暮らしの経験を共有する。また、その境界を越えたときに直面したという疑いをかけられた体験も。
彼はゲイムのなかにあるレイシズムについても語る。その進歩について。そこにはアーセナルFCが果たした役割も含まれている。そして、彼のコミュニティワークへの情熱を通して、障壁を破る必要のあるエリアについて。
(リース、まず最初はキミの出自から聞こうか……)
ネルソン:ぼくは、もともとはElephant & Castleから来ている。Aylesbury Estateだね。広いところだよ。ヨーロッパでも屈指の広大な敷地があるところ。でも、そこはみんなが知ってるわけじゃないから、だからElephant & Castleというほうがいいんだ。そこならみんな知ってるし。
(そこは多様性ある場所だね。そんな場所で育ったのはどうだった? キミの人種とか肌の色で問題が起きたことは? あるいは、純粋にフットボールに集中できたかい)
両面あったと云えるかな。子どものころは、8才からだいたい12才くらいまでだけど、周囲で起きてるあるエリアでの人種的な問題というのはわからかったんだ。ぼくの住んでるところにもたくさんの黒人がいたし、だからぼくらはグループとしてまとまりがあると感じていた。それでよかったんだ。でも、そのエリアの周辺では、Bermondseyにはたくさん白人がいるとか、子どもでもそうした場所に何度も行っているうちに、あることに気づく。自宅付近では味わわないことを感じることになる。
で、階段の吹き抜けとかでこう訊かれたりする。「なんでお前がここにいるんだ?」と。あるいはお店、ちょっと場違いなデザイナーショップみたいな場所で、注目を集めて自分が目立ってると感じる。わかるでしょう? ぼくももうちょっとは知られるようになってきたかもだから、いまはわからないけど、ぼくが16くらいになるまでは周囲の人たちからいつもそんなふうに問われていた。そういうちょっとした視線を感じるわけ。ナイスなフィーリングではないね。
(キミがもっと若かったころ、キミの親たちはキミに人種やレペゼンしているものについて話をしたことがある? 自分をどうマネジするかとか、どう振る舞うべきかとか)
イエスともノーとも云える。なぜなら、ぼくは混血であり、母の両親は黒人と白人で、うちの親も子どものころにはトラブルがあった。もちろん、混血の子は昔は当たり前の存在ではなかったから。だから、ぼくには両面があるみたいな感じ。おばあちゃんは白人で、彼女の家へ行くと、よく信じるものをもって強くなれと云われたし、おじいちゃんは黒人で、同じような感じだった。
彼らはふたりとも、いっしょに育って、若者たちが直面するだろうことにも理解があった。よくこう云っていた。「あの店に入ったらじろじろ見られるだろうが、そうさせておけ。そうなることはわかっているんだから、大げさに反応もしないでいい。彼らに指をさしたり、いいがかりをつけるチャンスを与えてはいけないよ」
(キミが「あんな人になりたい」と思うような模範的な人物は?……)
アーセナルファンとしては、たぶんティエリ・アンリかな。ライティとジャック・ウィルシャーも。彼らはぼくがもっとも憧れる3人。ジャックについては、ぼくは彼のキャリアパスを追いかけたいと思ってる。アカデミーからファーストチームへ行った。
ライティは、ラフなバックグラウンドから来てすごいキャリアを築いた。彼はぼくみたいな場所の出身で、彼がすべの困難を乗り越えて、経験してきたこと。ぼくは、まるでそれと似たような経歴を歩んでいるように感じるんだ。トップになるために彼がなにを経験してきたのかがわかる。
(キミはサウスロンドンの出身で、子どものころロンドンクラブとしてのアーセナルに惹かれたのは、彼らにかなり多くの黒人選手がいたことも理由?……)
ワン ハンドレッド パーセント。ロッキーやイアン・ライトみたいな人たちは、アーセナルをレペゼンする選手としては、ぼくのおじいちゃんやその兄弟たちの世代が、ああいう選手になりたいと憧れる人たちだった。
(1980年代、クラブにはPaul Davis、Michael Thomas、David Rocastleのような選手たちがいて、重い責任を負っていた。彼らは、ピッチにバナナが投げ込まれるような当時の黒人選手のパイオニアだった。キミは、そういう類のアビューズは受けたことがある?……)
イングランドでフットボールをやっているときは、あまりアビューズを受けたことはないな。ぼくがかなり人種差別を受けたのは、海外に行ったとき。ぼくが19才でHoffenheimにローンに出ていたとき、Heidelbergと呼ばれる街にいたんだけど、そこは子ども時代と似たようなところだったね。あるレストランに入るとじろじろ見られたり、スーパーマーケットでさえそんなだった。
白人の隣人しかいないようなところで若い黒人の少年を観るひとたちで、なにか云うまでもなく目が語っていた。「お前はここでなにをしている?」と。それか、うっとおしそうにして去っていくか。
あと、あるアウェイ試合ではモンキーチャントをやられた。とくにコーナーを蹴るとき。あの年齢だと笑って済ませられたと思うし、あまりディープには考えない。だけど、もちろんあれはとてもディープでディープなフィーリングだった。
あれは止めなきゃいけない。もしかしたら選手のほうがもっと抗議すべきかもしれない。それが止むまで。
(昨シーズンのBournemouthについて話したいね。あの最後の最後でのウィナー。あの映像を見返したら、そこには非常に人種が多様なファンベイスがあるとキミもわかるかもしれない。あれがほかのステディアムで見られるとは思えないんだ。もしかしたら世界中でも。白い顔のなかにとても多くの黒や茶色の顔があり、みんながフットボールに感謝している。キミはどんなふうに思った? ピッチから見上げるとスタンドにはあんなにも文化が多様にあった……)
素晴らしいね。それこそが見たいものだよ。アーセナルは美しいクラブ。振り返れば長い時間のなかでたくさんの選手がいて、彼らがどうファンベイスをもレペゼンしてきたか。いろんな顔を観ることができるのは、美しいことだ。
(1992年にPLがスタートして以来、アーセナルでデビューした選手の全体の40%以上が黒人だった。このことをどう感じる?……)
すごい記録だ。でも、もっとやろう。40%はよし。でも、なぜ80%じゃない? 才能ある黒人選手はとてもたくさんいるし、それが示すものはアーセナルが彼らにチャンスを与えようとしているということ。
ほかのクラブでトライアルを受けて、肌の色のせいで合格できなかったと思ってる選手のことを知ってるよ。
(それはほんとう? ロンドンで?……)
ロンドンで。そして場合によっては海外へ行くことになる。ほんとにそうだったのかどうかは、ぼくにもわからない。でも、彼らがそんなふうに感じるなら…… だから、40%はすごいスタットなんだ。もっとやろう。
(以前に、わたしも若い黒人選手をふたつのロンドンクラブのトライアルに連れて行った経験がある。そのうちのひとつでは、彼は30人のキッズのなかでただひとりの黒人選手だった。もうひとつでは、もっといたので彼も安心したみたいだ。そこにいたひともコーチも彼みたいだったから。たとえば「ここでうまくやれそうにない」と感じるクラブへ行くか? あるいは、キミはアーセナルをホームだと感じている。なぜならそこには自分のような見た目のユース選手たちがいるとか、似たようなバックグラウンドから来ているとか、経験を共有している……)
ぼくは、自分にとってアーセナルはアメイズィングだとずっと感じている。なぜなら、さっきも云ったように、そこにはいろいろな文化や境遇から来ているたくさんの人たちがいるから。
9才でここに来たときのことを思い出す。サウスロンドンから来ていた子があとふたりくらいいたんだ。あの年齢でさえ、スカウティングシステムがどこか特定の場所、特定のグループだけを見てるわけじゃないとわかったものさ。広いエリアをカヴァしていて、そこが美しい。
イアンのことも思い出す。彼はコロンビア生まれでKentonに住んでいた。ぼくはElephant & Castleで、電車でもすぐだった。9才のときはすごかったよ。ぼくはアーセナルをいつだってホームだと感じている。
(ここにいる選手たちに見られるレペゼンテイションに関して、それとファンベイスも。もっとフットボール世界がレペゼンテイションを拡張していくべきだと思う? オフザピッチでもそうだし、コーチングやクラブ内、組織としても……)
ぼくが語れるのは、ぼくが知ってることだけかなあ。フットボールに関して、それとぼくにとって、ベストなことはコミュニティでの活動なんだ。ぼくは、コミュニティの人間で、もしコミュニティで起きることがあれば、そしていろいろなエリアから選手をスカウトするなら、それはすべての異なる境遇を持つ人たちの助けることになるし、彼らのことを認知させることにもなる。
ぼくの故郷にもたくさんコーチをしていたひとがいたし、若い労働者がさまざまな産業ですごいことをやっていた。それらもすべてが、コミュニティの核となる部分から来ているものだ。
彼らはつねに子どもを支援し、思うに、そこがいまぼくらにも欠けていることだ。とくにサウスロンドンでは。彼らのコミュニティではひとが足りていない。月曜か火曜にピッチへ行ってもそこには誰もいない。ぼくが子どものころはピッチはいつもキッズであふれていた。放課後は、少なくとも10人か15人くらいはいたし、みんなスクールカラーがあって、みんなフットボールをプレイしていた。あるいは、ユースクラブでは卓球をするか、黒人、白人、アジアンのひとたちから指導を受けていた。現実世界のための教育として、とても役立っていた。
それが、もう多くの人たちはそこにいないように感じるんだ。もしそれがあれば、コミュニティワーカーももっとフットボールに関与できるはず。子どもたちには彼らのやりたいことを後押しもできる。それはフットボールじゃなくてもいい。日常生活で役立てば。
(フットボールの話に戻ると、チェルシーの試合を振り返れば、ここ数年は遅いゴールが増えているように感じる。チームが粘り強くプレイし、遅いウィナーやイコライザーを決められるのはなぜ?……)
それは、ぼくら全員が持っている信念だと思う。スターティングだろうがベンチだろうが、スクワッドに入っていなくても。ボスが選手たちに持たせた信念が、ぼくらになんだって可能だと思わせる。もし1-0や2-0で負けていたとしても、まだ時間があるなら、ぼくらの火はまだ消えていない。こう考える。「ここで止まっちゃいられない。ドアをたたき続けろ」。
ぼくらはやりつづける。プッシュをつづける。それが全員にある。スタッフ、コーチたち、キットメン、選手、そして観客。みんながそれを感じ、そしてそういう信念とエナジーがあるとき、あとはもういいことしか起きない。だから、ぼくらがレイトゴールを決めつづけているんじゃないかと、ぼくは思う。
以上
この記事のタイトルは、“Why representation matters”(なぜレペゼンすることがマターなのか)で、ネルソンのような若い黒人の成功者たちが、こうして地域社会でリーダーシップをとったり、あるいは黒人の当事者として人種差別について積極的に問題提起していくことの重要性がテーマになっているだろう。フットボーラーは、社会に影響力を発揮できる立場として、そうした活動にもっと関与していくこと、レペゼンしていくことを求められてもいる。
そんななかでも、リース・ネルソンはとくにコミュニティでの活動に熱心なことで知られ、彼のその情熱や貢献については、以前も彼が地元にフットボールピッチを寄贈したことで話題になったことがあった。
<あわせて読みたい>
アーセナルで再起を誓うリース・ネルソン「クラブと新契約がほしい」 | ARSENAL CHANGE EVERYTHING
そのあたりも合わせて読むと、より深くリースの考えを理解できそうである。
アーセナルFCとしては、先日女子チームの集合写真においてスクワッドが白人だけで占められていたことで多様性のなさを指摘されて、ちょっとしたニュースになってしまっていたが、インタビューの本文でも触れられているように、本来スクワッド的にはもっとも人種的多様性あるチームのひとつ。いまだって英国ではレアな日本人がプレイするチームである。
これは、たいへんに誇らしいことだと思う。若い選手にチャンスを与えるクラブ、人種を問わずチャンスを与えるクラブ。それが大事。
ここでお聴きいただきましょう。Naomi Cowanで“Holiday”。今回のやりとりのなかにはなかったけど、ネルソンはジャメイカ系英国人ということで、彼の世代っぽいレゲイを。
ちょっとまえに、エンケティアがTaylor Swiftとこっそり付き合ってるという衝撃のニュース(笑い)があったが、ネルソンがNaomi Cowanと付き合ってるってほうが驚きがないな。なんだか、お似合いである。
おわり