今週末のPLではアーセナルはサンダランドと対戦、グラニト・ジャカへの注目が集まっている。彼が7年間プレイしたアーセナルを2023年に離れてから、初めての古巣との対戦となる(※非フレンドリー)。
Taking on the league leaders 👊 #SUNARS pic.twitter.com/tsfNiXptSd
— Sunderland AFC (@SunderlandAFC) November 5, 2025
今年からPLに昇格したサンダランドは、10試合を終えた現時点でなんと18ポインツを取得。リーグテーブルでシティ、リヴァプールにつぐ4位にいるという奇跡もあり、キャプテンとしてチームを率いるジャカへの称賛はやまず。
先日、30年来のサンダランドサポーターというひとが「彼がクラブで歴代ベストの選手かも」とTWでつぶやいていたのが印象的だった。
そんなジャカのインタビューをThe Athleticが行っていた。
Sunderland. Arsenal. Xhaka. ‘It was the worst day of my life. It was the best day of my life’
今回はこちらを紹介しよう。
サンダランドの快進撃をリードするグラニト・ジャカのインタビュー。週末にアーセナルと初対戦
記事のジャカのコメント部分だけ。
サンダランドのポジティヴなフィーリング
GX:(週末にアーセナルと対戦)アーセナルがぼくのハートにあるクラブだとみんな知っているだろう。7年もいたフットボールクラブさ。特別にもなる。
(先日のPLエヴァトンでゴール)新しいクラブで決める最初のゴールはいつだって特別だね。サンダランドは、毎試合でゴールを決める選手としてぼくを獲得したわけじゃないだろうけど(笑)。
(サンダランドのチームとすぐに適応した)ぼくがここに来た初日、そのドアから歩いて入ったときから、フィーリングがあった。まず最初の一歩なんだ。ドレッシングルームに入るその最初の一歩で、ポジティヴなフィーリングがなければいけない。ぼくはそれを感じた。そこが大事。
自分がホームにいるみたいに感じること。ここが自分たちの場所であり、だいたい朝9時から3時までいる場所。そこでそんなふうに感じないのなら、それはよくない。でもぼくにはそれはなかった。ポジティヴだったんだ。初日に来たときは、まだあまり多くのひとや選手もいなかったけど、そのとき会った人たちはみんなよかった。それこそぼくが求めていたものだった。
そのあと、日に日にそのフィーリングが増していった。でも、もし10試合が終わったときぼくらが18ポインツ稼いでるなんて誰かが云ったら、きっと笑われていただろうね。でもぼくらにはクラブが築いているものがわかっていたんだ。なにを求めているか。それがぼくらのいる場所。ふさわしい場所だ。
アルテタの存在
(アルテタが2019年12月にアーセナルに来たときの印象)ミケルが来た日のことは一生忘れないよ。トレイニンググラウンドに大きな部屋があるんだけど、椅子もあちこちに散らばっていて雑然としていた。
彼はその部屋に入ってきて、そこで働いている全員を観てこう云ったんだ。「みんな、外側から見れば、キミたちはこんなふうに見えてる」。そしてみんなが椅子を手にとって正しい場所に持っていった。彼は云う「わたしはキミたちには毎日こんなふうにしてほしい」と。
“Wow”と思うよね。彼は初日からもうそういうスタンダードで始めていたんだ。
そのあと、彼はぼくらのメンタリティを築き始めた。トレイニングでのスタンダード、トレイニング前も。活動、回復。彼は、素晴らしい仕事をしていた人材も連れてきた。彼といっしょにワークするのは信じられなかったよ。だって、彼はフットボールの見方が違う。
(2019年10月パレス戦でのファンとの事案後、冬ウィンドウでの移籍が視野に入りつつアルテタの慰留)あの誤解のあと……、ぼくはあれのことを誤解(misunderstanding)だと云うよ。ぼくとファンのあいだでの。
たしかに誤解という以上の大きなものだったけど。べつにぼくは嘘を語る必要もない。みんな知っている話だ。でも、あの日に何が起きたのか、いまも正確にはわからない。なぜそうなったのか。だから、そう云うんだ。
(エメリが解任され)ミケルが来たとき、彼はぼくととてもオープンに話してくれた。ぼくはもう荷物をまとめていて、去る準備はできていた。ほかのクラブからの契約ももうテーブルにあったしね。
ミケルとは二度話して、ぼくに残るよう説得した。彼はぼくにもう一度チャンスを与えたいと。ぼくが正しい場所にいるところを、ぼくに示したかった。その日からぼくにはフィーリングがあった。彼が最初の会話で云っていたことばのすべてが、全部が彼の云ったとおりになった。
だから、ぼくはミケルが来たときぼくは完全に変わったと云うんだ。2019年。人間としても、ピッチの中と外でも。
(それは宣言であり、大きかった?)大きな大きなことだった。2019年はもう7年近く前になる。ぼくは26か27だった。26か27なら、周囲にもっと成熟した大人がいるものかもしれないが、ぼくにはいなかった。少なくとも毎日は。そう云える。
ぼくは自分について疑ったことはなかった。クオリティも、いかにプロフェッショナルかも。だって、実際そうだったんだから。でも、ああいうイエローカードやレッドカードみたいなちょっとしたミステイクがあった。愚かなレッドカードだよ。必要ないものだ……。でもミケルだ。彼がそれを変えた。
彼は多くのことを変えた。相談にくるひともいたし、ぼくも周囲の人たちを変えることもあった。家族の助けもあったね。当然。ひとりではそれをやるのは難しい。
2015年、ジャカがアーセナルにもう一年早く来ていた可能性
ぼくはアーセナルとは2016年に契約した。自分が準備できたとき。ぼくはとても若かったが、その一年前にもアーセナルへ行くチャンスがあったんだ。2015年にアーセン・ヴェンゲルから電話をもらった。でもそのとき、ぼくはまだ準備ができてないと彼に伝えた。
ぼくはとても率直な人間であり、誰もぼくを批判する必要もない。自分でするんだから。とてもキツく。2015年ではぼくはまだアーセナルへ行く準備はできていなかった。あともう一年は必要だと思った。
ぼくは準備ができた。ドイツよりもずっとキツいUKメディアへの。浮き沈みにも準備できた。ぼくの元エイジェントはUKにいたことがあったから。
「あの日は人生で最悪であり、人生で最良の日だった」
すべてに準備できていたつもりだったが、2019年に6万人に立ち向かう準備はできなかった。これは準備できない。それはフットボールにおけるぼくの最悪の日であり、また人生最良の日でもあった。
あの瞬間から、ぼくはたくさんのポジティヴを得ることになった。たくさんの事実じゃないことを観た。友人や周囲の人たち、ファンといった人たちでさえ。もちろん、ロンドンに住んでいれば、たくさんの旅行者にも会う。(町中で批判してきた)彼ら全員がちゃんとしたアーセナルファンだとは思わない。そういう小さなことがあったものの、それでもぼくにはそこから学ぶものがあった。
(アルテタの慰留がなければレヴァークーゼンでの成功も、サンダランドも、バロンドールのトップ20選出もなかった)後戻りできないこともある。
彼らに罰せられ、そして自分でどこかほかにいかねばならない。違う道へ進むこともありえたが、ぼくの道は下るのではなく上がっていった。それも家族、クラブ、ミケル、チームメイトたちのおかげさ。ひとりでやれたかって? さっきも云ったように、それはノーチャンスだ。
リーダーシップと将来のコーチ
(サンダランドでのリーダーシップ)ぼくは子どものころからキャプテンだった。もう4才のときには両親から自宅の鍵を渡されていたからね。4才だよ? うちの二番めの子がいまちょうど4才だけど、彼女に家の鍵を持たすなんて想像もできない。ぼくはそのときもうかなり責任を負っていたんだ。
でも、ぼくのユースキャリアは楽なものではなかったね。将来プロのフットボーラーになると思われたことなんて一度もなかった。ぼくの世代では、ぼくの前にはつねに選手がいて、フィジカリーにもずっと先を行っていた。ぼくはやせっぽちで、ちっちゃかったから。
でも、そのあと16才くらいでビッグジャンプがあって、U-17ワールドカップでスイス代表として優勝した(2009)。それがぼくのキャリアのドアを開いた。バーゼルでファーストチームのチャンスを得て、そのあとは着実に一歩づつやっていった。
ぼくもたくさんのキャプテンの下でプレイしてきたが、ひとり名前を挙げるならそれはステファン・リヒトシュタイナーだ。
彼はユヴェントスに8年いて、すべてを勝ち取った。彼はスイスでぼくのキャプテンでもあった。そして35才のときに一年だけアーセナルへやってきたのはラッキーだった。ぼくは彼が毎日どれほどハードにワークしているかを目の当たりにしたよ。ぼくは思ったんだ。「このひとはすごくフィットしているから35才でもアーセナルでプレイできるんだ」と。彼はリーダーであり、人間であり、プロだった。
(サンダランドではヘッドコーチから「二番めのコーチ」「ピッチ上のコーチ」と呼ばれている。自身も英国PFAのバッジBとAを持っている)いまUEFAのプロライセンスを待っているところなんだ。でも、まだ選手として活動できているうちはそれはできないけどね。
でもぼくは「二番めのコーチ」とかそういうのにはなりたくない。まだ選手だ。コーチにはつねにできるだけ長くピッチにいてほしいと云われる。その後は違うからと。でもぼくは、ふだんからチームを自分の経験をもって助けようとしている。
(先日サンダランドU-21チームを見学に訪れていたのは将来のコーチになるため?)ぼくがそこにいたのは、リーグの違うタイプの試合に興味があったのと、ユースに興味があったから。彼らのようなユースが自分たちをどう築いているかはいつでも興味深いから。べつに深い意味はないよ。ぼくにも家族との生活があるけど、試合を見に行くくらいの余裕はある。それが大好きだからね。
(オーナーがトップ10フィニッシュに言及)「チャンピオンシップ」ということばは、ぼくらのドレッシングルームにはない。10試合をプレイして降格したチームはないし、優勝したチームもない。もしこのあとの28試合で全部敗けるなら、ここまでの10試合はなかったも同じ。
(かつてサー・アレックス・ファーガソンが云った「ほしいのはちょっと観た目がいいだけの選手ではない。リーダーだけ」)ぼくにとってリーダーになるということは、本物になること。フェイクではなく、誰かに自分がキャプテンだと誇示することではない。自分自身になることだ。ドレッシングルームでいかにふるまうか、ピッチで、どこでも。キャプテンかどうかを決めるのは、ほかの選手やコーチだ。
心のクラブ、アーセナルとの初対戦
(アーセナルでの最後となる22-23シーズン、残り9試合でマンシティに8ポインツ差をつけていた)そしてぼくらはリーグを勝ち損ねました、と。
しかし、ミケルは毎年新しいことをやり、毎年なにかをもたらしている。今シーズンの彼らの最初の10試合を観れば、ボールがあってもなくてもすごく安定していることがわかる。ぼくに驚きはないよ。彼らがどうワークするか知っているんだから。
(2023年以来はじめてのアーセナルとの対戦)ぼくはあのクラブでトロフィを勝ち取るチャンスがあったことがとてもうれしい。浮き沈みはあったし、最初の2年くらいは簡単じゃなかった。違うコーチたちでもあった。22年マネジャーだったアーセン・ヴェンゲルが去り、ウナイ・エメリが新しいフィロソフィをもたらした。彼は素晴らしい仕事をしたよ。ELファイナルまでたどり着いた。
土曜は間違いなく特別な日になるだろう。今度はぼくは彼らの対戦相手で、初めてプレイするのだから。どうなるか観てみよう。
以上
アーセナルを去ったあとジャカがレヴァークーゼンでブレイクしたのも驚きだったのに、まさか、さらにサンダランドでブレイクするなんて思わなかったよなあ。まるで、33才にしていまがキャリアのピークみたいだ。
彼は、今シーズンのEPLのSigning of The Seasonの呼び声も高い。もちろん、彼がこのままのフォームをつづければだけど。
どえらいフットボーラーキャリアを送っている。
しかし、この記事中にもあるように、もしアルテタが彼を慰留せずに2020年1月にどこかのクラブに移籍していたら、その後の彼のフットボーラー人生もだいぶ変わっていた可能性はある。レヴァークーゼンでの成功もなく。もちろんサンダランドでのいまもあったかわからない。なによりあの時点でクラブを去っていたなら、アーセナルファンとは関係がこじれたままのケンカ別れになっていた。
きっと彼がアーセナルに残ることを決断し、結果的にファンとの関係を改善できたことは、彼の人生における大きな成功体験だったんじゃないか。
だから、Mikel changes everythingってのはウソじゃないなと思う。文字通りひとの人生を変えた。
ジャカは数年後にはコーチになっているはずだから、きっとアルテタの影響も色濃く受けたコーチになるんでしょうな。
最近はComoのファブレガス氏とか、優秀な元選手がコーチとしてだいぶ成功していて、以前は「よく名選手は名コーチになれない」なんて云われていたのに、だいぶ時代が変わったと感じる。ジャカもふつうに成功しそうだ。
土曜の試合が楽しみ。
おわり










