Hey.
世界は今週からワールドカップブレイク。この時期に、年末までの長い中断になる異例のシーズン。このブログもこの1.5ヶ月は、ワールドカップ以外のなんとなく温めているネタや、日々のニュースなどを書いていこうかと思っているので、お時間あるときにたまに見に来てくだされば幸い。
そんななか、ちょうど今朝ジャカが地元スイスメディアで受けたインタヴューが、r/Gunnersで紹介されていたのを発見した。ざっと読んだところ、なかなか興味深い発言もあり。
reddit有志がドイツ語記事を英語に翻訳していて、ありがたくそちらを拝借しようと思ったのだが、オリジナルのサイトは英語版もあった。
今回は、そのインタヴューをグラニト大好きなみんなにシェアしよう。いや、おれもだよ!(後ろめたさ)
グラニト・ジャカ独占インタヴュー by Blick 2022年11月「ぼくにはふたつ暗黒があった」
独占インタヴューを行っている『Blick』は、スイスのドイツ語メディア(日刊新聞)。ウェブサイトは、英語とフランス語でも提供されている。以前も、このブログでBlickのジャカのインタヴューを紹介したことがあったかもしれない。
ポイントはいちおうグラニトの地元メディアということで、トミヤスが朝日新聞の取材を受けたみたいなイメージで読むのがいいかなと。外国メディアで外国語でしゃべるのとは、ちょっと違うことが聞けるかもという。インタヴューが行われたタイミングは、チェルシー戦のあとのようだ。
では、Here we go. アーセナルに関する部分だけにしようと思いながら、つい全部訳してしまった。
Granit Xhaka: “Hatte zwei Blackouts in meiner Karriere”
独占インタヴューのためにロンドンを訪問。グラニト・ジャカ(30)。彼が、いかにアーセナルで悪役からヒーローになったかを語る。なぜ彼はワールドカップにスキャンダルなしで、ブロンドヘアなしで臨みたいのか。そして、FCバーゼルへの復帰についてはどう考えているのか。
「Storia」はロンドンのRadlettにある、アーセナルのキャンパスからわずか15分のレストラン。グラニト・ジャカのいきつけだ。ダービーでチェルシーに勝ったあと、このスイス人はいそいそと黒のアーセナルジャージに着替えた。ダービー勝利のあとでこの服はとくに合っていた。そのレストランのなかでも、何人かの客が「Good job, Gunners!」と小声でささやいた。もうジャカは遠慮することはない。彼はファンの新しいお気に入りなのだから。
(あなたとアーセナル。信じられないストーリーがありますね。あなたたちはもう荷造りが済んでいて、Herthaに行くつもりだった。そしていまではファンに愛されている)
イエス。このストーリーはマジでクレイジー。ファンがぼくにブーしていたのは3年前のこと。ぼくは打ちのめされていた。そこは間違いない。もし彼らがぼくにここにこれ以上いてほしくないというのなら、ぼくの未来はここにはない。
(おぼえてます。あのとき、あなたはアーセナルのファンを満足させられなかった)
そこがポイントだ。ぼくのプレイは全然悪くなかった。でも、十分ということもなかった。それで疲れてしまった。想像してみてほしい。いい試合をやり、ゴールして、すべてがうまくいくと望んでいる。ファンもハッピー。そして、そのあとにはまた侮辱される。彼らが云うんだ。「失せろ。おまえなんかいらない」と。傷つくよ。
(それをファンはどこで云ったんです? あなたはどうやってそれを?)
ソーシャルメディア。
(あなたはそれを読んだので?)
読んだ。ほかにはない。いつもそこで知る。
(有名なイギリスの司会者であるPiers Morganも、当時あなたを番組でこき下ろし、からかいました)
ぼくは彼をリスペクトするよ。それだけさ。ぼくは、ぼくのことを知らずにアビューズをやってくる人たちに、それは違うと証明したい。あれは、ぼくが受けたもっとも強いリアクションだった。だが、彼とコーヒーを飲むか? 御免こうむる。
(アーセナルでの終わりが近づいていた。そこでミケル・アルテタがやってきた)
あのときの彼はまだアーセナルで新顔だった。ぼくらの最初の会話で、ぼくは彼に退団を告げた。そしたら彼はこう云った。「残ってほしい。わたしがキミがトップパフォーマンスを発揮できるようにするから。頼むから半年待ってほしい」と。そして、彼はぼくに彼の考えと哲学を話したんだ。
(彼は一体全体どうやってあなたを説得できたんです?)
ただ、彼とならうまくやれるかなと。あれはぼくの人生で初めて、すべて自分で下した決断だった。家族やアドヴァイザーにも相談せず。ぼくはJosé(※アドヴァイザーのJosé Noguera)を呼んでこう伝えた。「アルテタと話したんだけど、彼からぼくには残ってほしいと云われてしまった」。あそこがポイントだった。
(ミケル・アルテタがどんなふうに効いているのか、わたしたちに教えてくれませんか? どこに感銘を受けたのでしょう?)
聞いてもらえるかい? ぼくはあのとき27才で、フットボールをもうかなり理解できてなければならない年齢だった。そこが彼の信頼だった。そしてミケルは、ぼくにあたらしいフットボールを示してみせたんだ。彼は試合を、戦術を説明し、相手がこういうときにキミはこうできるとか、それで勝てるとか説明した。彼はクレイジーな漢だよ。
(あなたには、まるで目が覚めるような経験だったようですね。ところでフットボール世界はとても早く動きます。あなたはアルテタが、アーセナルのマネジャーではなくなるときのことが怖くないですか?)
たしかにフットボール世界はまったく目まぐるしい。でも、いまはぼくからしても、ミケルがクラブを去るようなリスクはまったく見えない。
レストラン「Storia」で最初のお皿が出てきたとき、われわれはアルバニア語でいくつかのことばを交わした。彼は「Grüeziwohl!」と温かくあいさつもした。
彼は1990年代にはFrauenfeld(※スイス)で暮らしていて、そこでは数年のすばらしいときを過ごした。数日後に始まるワールドカップではキャプテンも務める。
(あなたはMurat Yakinに、このチームはタイトルを狙えると云ったみたいですね)
(笑い)それは、彼がナショナルチームのコーチになってからぼくと最初に話したときのことだ。ワールドカップの成功のあとで、彼にチームはもう飽きてしまったのかとか、ぼくが可能性をどう観ているかなど訊かれたとき。
これはぼくの意見だけど、ぼくらは、ぼくがA-natiイレヴン(※訳注:natiはSwiss National Teamの愛称)でプレイする11年前から、かなりよくなっている。
(同じことを前にも云ってませんか?)
え?
(あなたがトーナメントの前にはいつも云っていることです。U17のチャンピオンになる2009にも云ってました)
あはは。ぼくがファイナルまで十分な着替えを持っていったというアレか。イエス。当然。ヴィジョンがなきゃいけないし、大志を持たないと。
(あなたはファイナルまで十分な着替えを持っていく。旅行かばんでほかに忘れているものは?)
ぼくは20才とかじゃないから。自分の身体のことは自分で面倒みないと。
(荷物のなかには何が入ってますか?)
ぐっすり眠れるパジャマ。それと起きるときにかけるメガネ。そんな感じ。アーセナルでは、みんなそんな。
(カタールでのトーナメントの話に戻りましょう。いまのナショナルチームは過去最強ですか?)
そう願う。年代で比較するのは非常に難しいけれど。ぼくらには、強いリーグのいいチームで重要な役割でプレイしている選手たちがいる。
(Murat Yakinとの関係については? しばらくは激しかったようです)
あなたは、どう思う?
(Yakinがあなたにプレイさせようとしているポジションについてのあなたの発言は、深かったです。また、あなたはコソヴォとの試合でサブになったこともうれしくなかった)
そのとおり。ぼくは100試合を達成したかった。それ以外では、ぼくはMuratの仕事をとてもリスペクトしている。彼がプレイしていた時代、ぼくはまだボールボーイだった。彼にはそのときも魅了させられた。彼の出で立ち、カリスマ。
ぼくたちは、どちらもとても率直ではっきりした意見を持つもの同士。でもお互いに問題はなにもないよ。
(事実として、あなたはこれまでどのトーナメントでも見出しを飾ってきました。2014にはブラジルのワールドカップで間違ったポジションだと云われ。2016にはフランスでのEUROでポーランド戦で決定的なペナルティを外したこと。また2018のセルビア戦があり、その後のロシアでのラウンド16のスウェーデン戦でも……)
イエス。ぼくはいつだってあなたたちにいい話題を提供している(笑い)。セルビアの試合は、すべてうまくいっていたんだ。ダブルイーグル以外はね。あれはやるべきじゃなかった。
(あれで、あなたたちに投げかけられたヘイトや懲罰の空気には圧倒されましたか?)
ぼくのキャリアにはふたつの暗黒がある(I’ve had two blackouts in my career.)。ひとつは、ぼくがブーされたアーセナルでのクリスタル・パレス戦。それと、試合であのジェスチャをやってしまったセルビア戦。
(あなたが感情的になった理由は説明できます。あなたの父親はセルビアの収容所に3年いました)
ぼくの父親が経験したことは、もうそれ以上は勘弁してほしいというもの。その日まで、ぼくはこの悲惨な話の半分しか知らなかった。ぼくが20才のとき、すべてをくまなく知りたかった。ぼくは父が逃げ出すまで、何度も繰り返し尋ねた。彼ももううんざりしていたから。いまでは、ぼくも注意深くせねばならないことを理解している。父にはひどいときだった。
(今回ワールドカップでまたセルビアと対戦します。あなたの父Ragipもスタジアムを訪れますか?)
いいえ。彼は家にいる。ぼくの家族は誰もそこに行かない。
(ワールドカップのドロウについてはどう感じていますか?)
正直に云っていいかな? ぼくが最期に望むような相手だった。でも、できればその試合までに、もっと先へいけるといい。そうすれば、プレッシャーなく試合に臨むことができる。
(グループGは難しいですね。カメルーンのことはあまり知られていないし、ブラジルは名前のうえでは恐ろしく強い)
そうだね。ぼくとアーセナルでいっしょにプレイしているガブリエル・ジェズースは、トップマン。彼もスクワッドに入った。それはすごくうれしい。バックアップよりもっとプレイするんじゃないかな。彼のプレイはすばらしくいい。ぼくも毎日彼を観ている。それがすべてを物語っている。彼ら(ブラジル)は3つトップチームをつくれる。
(ブラジル戦ではまたビッグプランがあるのでしょうか。ここで振り返ってみましょう。あなたは2021にもまたメディアの見出しを飾った。まずトーナメントの前にマスクをせずにタトゥー職人のところへ行き、そのあと髪をブリーチして……)
ぼくらは批判されたね。すべてのメディアがぼくらを悪しざまに書いたよ。だから、Manuel Akanjiとぼくはちょっとした気晴らしをしたかったっていう……(笑い)。ジョークは置いといて。
あれは考えが至らなくて、不必要な騒動を引き起こしてしまった。だから、これでひとつはっきりした。ワールドカップ前にタトゥーはダメ。そしてカタールでは髪のカラーリングもだめ。でもSteffi、その色ならまた試してみないと。
となりのテーブルにいた中年女性がグラニト・ジャカに声をかけた。「あなたがスイス人なんていま初めて知った。わたしはこの前もスイスに行ってきたの! ZurichとLucerne」。ジャカ「スイスがお好きでよかった。でもZurichとLucerneもぼくの町じゃないんです。ぼくの町はバーゼルですから!」。女性「オー、バーゼル。知らない。でもあなたがそう云うなら、つぎはバーゼルに行かなくちゃね」
(バーゼル。いいキーワード。あなたは、最近もFCバーゼルについてtweetし、David Degenを批判していました)
待って。ぼくはDaveを批判なんてしてない。彼も、ぼくが公の場でそんなことをするわけないとわかっているはず。彼には直接電話するよ。ぼくはただ、FCZとの試合のチームパフォーマンスに腹が立っただけなんだ。
(兄のTaulantもラインナップを外れていた)
Tauliはそれとは関係ない。ぼくは兄弟が出ようが出まいが、すべてのFCBの試合を観ている。今日のSion戦は観れてないけど。ここであなたと話しているから観れないんだよ。いまどうなってる?
(0:0です)
OK。
(バーゼルに戻るつもりはありますか?)
それは難しい。実際、ぼくはFCバーゼルで兄弟でいっしょにプレイしたい。それはナイスだろう。でも、ぼくはまだアーセナルと2年の契約があるし、いまもまだかなりいい。そこで終わることも想像できる。この7年で、ロンドンは第二のホームのようになってしまった。
いったい誰がこのことを3年前に想像できただろう? デザートのためにシェフがやってきたところ、グラニト・ジャカはわれわれのテーブルからファンを遠ざけるためにがんばってくれたことについて、彼に感謝を述べていた。しかし……、彼の背後にはいかにも気後れした少年がたたずんでおり、グラニト・ジャカにおずおずと写真をねだる。「いいとも!」彼はうれしそうに笑みを浮かべた。
以上。このちょっと脚色してそれっぽく訳す作業、楽しい。
さて、ジャカ。
ジャカはもう今シーズンのアーセナル躍進の立役者のひとりと云っていいくらいで、もしいまシーズンが終わるなら、有力なPOTS(Player of the Season)候補になりそうである。もちろん、このままハイパフォーマンスをつづければ、シーズン終了後にそうなっていてもまったくおかしくない。
なんということだろう。
どんどん悪いほうへ悪いほうへ行ってしまいそうな、あんな悪循環に陥っていた時期がありながら、いまではそれがこんなにも好循環に変わっている。彼がいいプレイをして、ファンがそれに好意的に反応して、それがまた彼のプレイをよくしていくというポジティヴなサイクル。これをこうして目の当たりにしているというのは、彼自身だけでなく、ぼくらアーセナルのファンもなかなか貴重な体験をしている。
これは、誰かがやろうったってできるもんじゃない。もちろんジャカだって、ひとりでは無理だった。アルテタ、クラブ、チームメイツ、家族、そしてファン。いろんなものが絡まり合ってできあがったスポーツ世界の奇跡。そして、そのこんがらがったサムシングの中心には、つねに本人の信念があったという。なんて漢だ。今シーズンは、是が非でもPLタイトルを取ってもらって映画化するっきゃない。
食中毒?の件は、続報はないようだが、知らせがないのがよい知らせと思っておこうか。ワールドカップでプレイする彼にここでトラブルがあれば、大きすぎる失望だろうから。
なんにせよ、今後もジャカのアーセナルでの活躍を願おう。このチームに栄光をもたらしてくれ、グラニト。
そういえば、このやりとりのなかでも出てくるジャカを批判していたピアース・モーガン。アーセナルファンとしても有名な英国のTVタレント。なにかと物議を醸しがち。
ちょうどいま話題のクリスチャーノ・ロナウドの爆弾発言「クラブに裏切られた」の聞き手が、このモーガンだったのだよね。今回のロナウドのコメントで、英国フットボール界はまさに上を下への大騒ぎ。ETHについても「彼をリスペクトしていない」とか、暫定ボスだったラングニックにも「彼の云うことは聞かなかった」など云いたい放題。もうこのひとクラブにはいられないよなあ。
Ronaldo says he feels ‘betrayed’ by Man Utd
と、彼やマンUがどうなろうがどうでもいいのだが(むしろどうにかなってほしい)、クリスチャーノがわれらについて興味深い発言をしていたという。
CR:サー・アレックスが去ってから、ぼくにはクラブになんの進歩も見られなかった。このクラブのなかにあるものでは、トップレヴェルには到達できない。シティ、リヴァプール、それにいまやアーセナルにさえもだ。
「いまやアーセナルにさえも」。。。やっぱりマンUでもほかのチームでも、選手たちには、アーセナルが一歩先へ進んだように見えているんだろうか。
では、最後にお聴きいただきましょう。高橋幸宏で1978のアルバムSaravah!から『La Rosa』。
脈絡なくおわり
とても良い記事と翻訳でした。
ワールドカップでも怪我なく、そしてシーズン終了までジャカが笑顔でいられますように。
理由を聞かれても答えられないのですが、移籍当初からジャカ推しでした(昔からキックが上手な選手に魅力を感じガチ)。
でも、批判されるのも何となく理解できてしまい、ジャカが去ることがアーセナルの一時代に終わりを告げ、新しいスタートになると思ってました。
だからこそ、彼にPLトロフィーを掲げてもらいたい。
東の果てから届け、この想い。
たしかヴィエラもジャカを高く評価していたと思います。アルテタのプランの中で、彼にはジャカがNo.8で流動的なポジションを取る、正確なサイドチェンジをする、スピードあるスルーパス・リスクを取る、熱さがチームに伝導する、みたいな役割がはっきりあったんでしょうね。スイス代表で好調なジャカを移植するみたいな。ダブルピヴォットでプレッシャーに負けて後ろに蹴り返す、ロストする、熱くなってタックル→カード、みたいなU字時代から、ずいぶん景色が変わったものです。このストーリー性も、アーセナルファンを辞められない一つですよね。
最近は昔と違ってジャカのキュートな笑顔沢山みれて良いですね!