こんにちは。長いIBをいかがお過ごし。
さて先日、アーセナルFCのマネジャー、ミケル・アルテタが40才の誕生日を迎えた。
Happy birthday, Mikel! 🎂
🎶 “We’ve got super Mik’ Arteta. He knows exactly what we need” 🎶 pic.twitter.com/MTz5P9ICKr
— Arsenal (@Arsenal) March 26, 2022
まだ40とは。PLで最年少マネジャー。チームの平均年齢もリーグでもっとも若い。若さはじける。
現在アーセナルは、テーブルでもトップ4フィニッシュを狙えるポジションにつけていて、ミケルもプロジェクトの進捗には手応えを感じている様子。こういったタイミングと自身の節目が重なったのはよかった。これが悪い時期なら、みんなリーダーの誕生日なんて祝う気分になれなかったろうから。そういう時期は長らくあった。
今回は、そんなミケル・アルテタのインタヴューを訳してみよう。
ミケル・アルテタ40才のロングインタヴュー「人生の絶頂にいる」
オフィシャルサイトより。アルテタのコメント部分のみ。小見出しは訳者による。
ここまでのアーセナルで勝ち取ったもの
アルテタ:マネジメントの世界に入っていったとき、わたしはアーセナルで成し遂げたいことについて、明解なヴィジョンを持っていた。わたしは勝つチームをつくりたい。それは財政的にも維持可能であり、価値を伝えられるものであり、それは何年にもわたりクラブにあるアイデンティティと情熱である。
それを実行するためには、クラブを正しい方向に向けるためのいくつかの重要な決断をする必要があった。長期でそれを成し遂げられるような。
しかし決断がかなり難しいものもいくつかあった。まず第一に、それは計画に基づいて行う必要がある。またクラブ内部からの手厚いサポートも必要だ。あとは、決断が正しいものである必要がある。
ここまでで、わたしが考えるクラブとしてつくりだせた最大の成功のひとつは、選手、スタッフ、全員にとって、ここがポテンシャルを叶えられる場所であると感じられる文化と雰囲気だ。
ここが成長できる場所であり、彼らがそれに参加し、全員がクラブに価値をもたらせる。そこにいれば、個人の利益以上のもっとパワフルなもの、そして帰属意識をうみだす。それがここまでで最大の勝利のひとつだと、わたしは思う。
選手キャリアを通して得た若い選手への理解
わたしのキャリア全体を通して、選手でもマネジャーでも、わたしはつねに適応しなければならなかった。
ある環境へ入っていくとき、大胆に、自分ができることをもたらす決意がなければならない。当時パリ行き(※PSG:ミケル20才)は、わたしにとっては、ことばも話せず、国を離れるというビッグチャレンジだった。スター選手ばかりのチームに入っていき、コーチ(Luis Fernandez)がわたしを買ってくれて、すごい機会を与えてくれた。そうなれば、あとは自分をインポーズして勝ち取るパーソナリティとキャラクターだ。
わたしが思うに、周囲にシニア選手は必要なのだ。スタンダードをセットしてくれて、いい模範になる。彼らが導いてくれて、守ってくれて、励ましてくれるおかげで、その年令では恐れが自信になっていく。あとは、自分次第。パーソナリティ、渇望、情熱がそのレヴェルを維持する。
スクワッドのプロファイルは分析されねばならないが、われわれの場合、リーグでもっとも若いスクワッドということになる。そして、そのポテンシャルをどう最大化できるかを分析すると、若い選手がいれば、制約があったり、あるいは「支払うべき」ものがある。彼らはミステイクスをやるし、それを初めてやったときにどうリアクトするかわからない。
若い選手はより難しく、コーチングスタッフやサポーター、クラブの全員で、そういうときをサポートしなければならない。選手たちに正しい環境と保護を与えるために、足並みを揃えねばならない。そして正しいプッシュも。それが必要なんだ。
もちろん、彼らとサインする前にはたくさんのワークがある。彼らが適応できるかどうか、われわれの文化のなかで進化できるかどうか、彼らがわれわれのチームを成功させるに必要なクオリティを持っているかどうか。
ことばの重要性
世界でも難しいリーグのひとつでプレイすることは、どこから来たかによってもまた違うチャレンジになる。どれだけ適応するかということでもあるのだ。
彼らは、来たときには英語を話さないかもしれない。しかし、1ヶ月あるいは2ヶ月で何ができるか? こういうかもしれない「ぼくには難しいです」と。しかし、どれだけマジにやったのか? なぜなら、わたしにとっては言語というのは、完全に基礎なのだ。全員にとってのプラットフォームだ。そうでないのなら、誰もコミュニケイトできない。自分をわかってもらえないし、気づいてもらえない。自分のかたちをつくれないし、アイデンティティをつくれない。ドレッシングルームでもクラブのなかでも、コミュニケイトできないのならそうなる。それは不可能。
だから、わたしはいつも選手が来たときには強調するんだ。まずキミはことばを覚えねばならぬ。コミュニケイトできるようにならねばならぬ。アカデミー出身だろうとそうでなかろうと、そんなの関係ねえ。チームメイツと話せるようにならないと。それがわたしが話すことだ。わたしの意見ではそれが成功へのカギだから。
選手としてマネジャーとして
(マネジャーへの道)イエス。わたしがそれを考え始めたのは、27か28のときだった。当時わたしはすでにバッジに取り組んでいて、もう身体のほうが試合を違う観点から理解しようとし始めているという感じがあった。
しかし、当時はまだプレイするのが好きだったし、グレイトなときを楽しんでいた。
(選手・マネジャーとしてNLDに勝利)違う体験だ。なぜなら、個人的には、どんな大きな勝利のあとでも最高のときはドレッシングルームの雰囲気だから。選手たちとの交わり、感情、アドレナリンと一体感。それはユニークで、わたしが思うに、もしそれをやめてしまったら選手たちが悲しむ。
マネジャーとしては感情と情熱はあるが、同時に安堵もある。あまり試合に出ていない選手たちのことも考える。その試合に出ていなかった選手たちはどう感じるのかを考える。そして彼らのことも気にかけたくなる。全員に一緒に乗ってほしいし、彼らがチームにとりどれだけ重要か思い出す。
同時にこう思う。「OK、つぎの試合の準備をしないと。どんなことをやろうか?」。だから、マネジャーとしてはノンストップなんだ。
しかし、気持ちのほとんどは、サポーターの幸せを生み出せること、それはとてもとても特別だ。結局は、それがこの仕事のすべてなのだから。
われわれには、彼らにチームとつながりがあると感じさせることができる。そして、彼らがチームといっしょにいるとき、われわれのボートにはさらにエンジンを積んだようになり、それが効果的に、さらに加速させる。誰にもわかることは、サポーターの関与がチームにとってとても大きな進歩を導いているということ。それがマネジャーとしてかなえられたと感じるときだ。
リーグでもっとも若いマネジャー
正直、そのことはあまり考えない。なぜならわたしにとって年齢というのは、相対的なものだから。マネジャーとしても相対的だし、わたしが選手を観るときもそういう観方をする。なぜなら、みんながあの選手は経験豊富だと云ったとして、それになんの意味があるのかということだ。どんな種類の経験? それこそ相対的なものだろう。わたしにはどれほどの経験がある? 多いのか少ないのか。わからない。なぜなら、わたしはこのリーグに20年いるから。
わたしはスパニッシュでありながら、この国での経験もある。わたしはここに住んできた。リーグもわかっている。文化も選手も。
だからわからないのだ。わたしはただこのクラブの一員になれたことをラッキーに感じている。とくにいま。とくにいま、わたしは団結があると感じていて、エナジーがあると観ている。
わたしがクラブを可視化するなら、エミレーツにはエナジーと方向性が見える。われわれはクラブとしてつながっているのが見えていて、わたしのちからになり、こういうエナジーを与えてくれる。「われわれにはこれがやれるし、われわれは信じる」
フェアにいえば、わたしはとても若さを感じているんだ。だってたくさんの若いひとたちに囲まれているのだから。
もちろん選手たちはわたしよりも若い。だが、いっしょに働いているひとたちのなかにはわたしより年上もいる。彼らはみなクラブで責任を担っている。
だから、わたしはたくさんの若いエナジーに囲まれている。たくさんの熱意があり、またもっと経験あるひとたちもいる。だからいいミクスチャなんだ。
わたしは、いま自分が人生のもっともいい時期にいるみたいに感じている(I feel like I am in the prime of my life.)。美しい3人の育ち盛りの子どもがいて、愛するワイフも家族もいる。難しいときでも。
わたしはとてもラッキーでもある。なぜなら、たくさんのいい友人がいる。フットボールを通してできた友人や、わたしの人生のごく初期にできた友人で、彼らはわたしのことがわかっているし、どんな人間かも知っている。そしてわたしも彼らを信頼している。だから、とても安定しているけど、エキサイティンな人生だと云える。十分なアドレナリンと予測不可能性はある。しかし、同時にわたしにはファミリーベイスもあり、感情のサポートもある。人生のステイジにおいてそういうものが必要なときもあるから。
(モダンフットボールでは若いマネジャーが必要?)毎朝ドアを通り抜けるときには、これからテストされるんだということを理解しなきゃいけない。コルニーでもエミレーツでも、全員の目によるスキャナーを通り抜けるのだと。
自分自身である必要がある。わたしは自分がここにいていいかどうか、みんなに理解をしてもらいたい。それはつまり、わたしは自分がクラブのために自分のベストを尽くせると思うから。それが、情熱・エナジーを示すことであり、ことばではいい表せない感謝の気持ちと、自分が行きたい明確な方向性を示すこと。それがないのなら、すぐに見つかってしまうはずだから。
(50才になったら?)老けて見えるだろうね。それは間違いない! 白髪も増えるだろうし、でもいまやっていることについては同じ情熱をもっているはず。
できれば、そのときまでにクラブを違うレヴェルに連れて行けてたらいいのだが。われわれがやっていることを、みんなが誇らしく思ってくれるようにできればと願っている。
以上
2022年は、2012年のNLD(5-2逆転勝利)から、ちょうど10周年。個人的にはこの10年が長かったのか、短かったのか。よくわからない。だが、あのときはまだピッチにいたアルテタには、今日まであっという間の10年に感じられたかもしれない。彼にとっては激動の人生だったろうし。
「いまがいちばんいいとき」というのは、実際彼がアーセナルのマネジャーとして、いま正直に感じていることなのだろう。最近の結果もあるし、チームパフォーマンスの手応えもある。アルテタは、3月もPLマネジャーオブザマンスにノミネイトされている。
アーセナルFCのヘッドコーチという重大な仕事を思い切って引き受けたはいいが、結果を出せないときはずっと批判をされてきて、それが長らくつづいた。ヘッドコーチ/マネジャーとして批判されるのも初めてであり、プロジェクトそのものが疑問視されることもあった。
だから、なおさらそれが実感されるという側面はあるのだろう。困難があるからこその解放感。
このインタヴューのなかでも、重要な試合に勝ったときの安堵について述べているのは、彼の責任感のつよさをよく示しているように思える。選手たちにnon-negotiableなら、自分にもnon-negotiable。やはり、結果が出るまではツラく厳しい道のりがある。
そして、今年はスタートのズッコケはありながらも、ようやくいま自分らしいチームを築き始めていて、自分が望むレヴェルに近づいてきているという実感がある。プロジェクトの方向性に対する確信も、より強固になっているはず。試合におけるファンの熱烈なサポートがその証明だと、本人も思っているだろう。
ただ、ぼくは、彼にはこのタイミングではまだ達成感を表明しないでいてほしいとも思う(もちろん誕生日くらいは正直になってもらっていいけど)。今シーズンは終わっておらず、まだまだタフな戦いが待っているし、彼の人生最良のときは、このあとに来るのだから。それはいま感じているよりも、もっともっとよいものだ。
最近のもろもろの情報だと、アーセナルのシーズン残りフィクスチャは、トップ4を狙うライヴァルのなかでは厳しいほうだという評判。
周囲の期待があまりにも大きいために、アーセナルがここからトップ4を逃すようなことがあれば、ファンのあいだではそうとうな落胆を招くことも予想できる。そうなってしまえば、せっかく築いたサムシングも元のもくあみ。
シーズンは残り2ヶ月。そしてIBあけの4月にどれだけのポインツを重ねられるか。毎試合がカップファイナル。
ミケルには、ひきつづきチームをつよくしていってもらいたい。
おわり
相手からしたらそこが狙いどころですよね。
確かにけっこうきびしい相手ばかり。
それにスカッドのうすさ。
流れがかわりだすとくずれていくのかも。
それでも揺るぎない強さがあるか。
なんか掛川高校みたいでとても楽しみです。
アルテタは10年先まで見据えてるよう。
付き合いますよ。