昨日カラフィオーリのエントリにこれを入れるつもりで、すっかり忘れてしまってあとから気づいた。
AFC公式サイトによるカラフィオーリの紹介記事。「リカルド・カラフィオーリについて知っておくべき15の事実」。今後も彼について語られるときに、引き合いに出るようなことがいくつかあるのでスルーしないほうがよさそうだった。
15 facts you need to know about Riccardo Calafiori
「リカルド・カラフィオーリについて知っておくべき15の事実」by AFC公式サイト
Hometown hero(地元の英雄)
2002年にローマで生まれたカラフィオーリは、8才でASローマと契約し、2018年にはプロ契約を結んだ。
彼の才能は早くから特定されており、すでに2019年には『The Guardian』による「2002年以降生まれによるベストフットボーラー」のひとりに選出。2021年には、UEFAが彼を「もっとも有望な世界の若手50人」のひとりに選んだ。
Battling back(復帰への闘い)
しかしながら、その早熟の才能は彼のローマU19でのたった2試合めで終わりかけた。
2018年10月、UEFAユースリーグのViktoria Plzen戦で、なんでもない衝突に観えながらも、16才の彼は左膝のすべての靭帯が断裂してしまうというひどいケガを負ってしまう。半月板や関節包も損傷、彼の将来は危ぶまれた。
彼の才能に敬意を示し、Edin Dzekoはつぎのローマの試合でハットトリックを決めたあと彼のシャツを掲げることで、地元の仲間に団結のメッセージを送った。
そのおかげもあり、彼はふたたび自分のパワーを取り戻すために全力を尽くした。アメリカでのリハビリでは、彼の父親から「ブルドーザー」とあだ名をつけられるほどだった。
Making an impact(インパクトを出す)
ちょうど一年後、その決意は報われることに。2020年8月のユヴェントス戦でファーストチームへ。その試合で彼はペナルティを得るなど3-1勝利に貢献、印象的なデビュー戦となり、取り消されたヴォリーによるゴールもあった。
彼のクラブでの唯一のゴール(当然プロとしての初ゴール)は、その4ヶ月後のELヤング・ボーイズ戦だった。彼はローマでは、元ガナーのヘンリク・ミキタリアンやエインズリー・メイトランド・ナイルズともプレイしている。
Swiss adventure(スイスでの冒険)
ジェノアでの17試合出場という短いローンのあと、2022年8月にリカルドはバーゼルに加入するためにスイスへと向かった。彼はその年だけで34試合プレイし、ECLのセミファイナル進出に貢献した。
それは、彼にとって初めてのヨーロッパの体験ではない。彼はローマでも20/21シーズンにELで5試合プレイしているし、その翌年もECLで3試合プレイしている。
The switch(ポジションの変更)
彼のバーゼルでのもっとも重要なときは、暫定マネジャーだったHeiko Vogelが来たときだった。彼はリカルドをレフトバックからセンターバックに移すことを決断し、それが後に彼のキャリアの道をかたちづくることになる。
バーゼルは、リカルドが守備の中心でプレイした13試合でたった2試合しか敗けず、彼は新しいポジションをすぐに掴んだのだった。
彼のバーゼル時代は、彼のプレッシャー下での冷静さも見せることになった。ECLのSlovan BratislavaとのシュートアウトではGKの逆にペナルティを決め、QF進出に貢献した。
Breakout at Bologna(ボローニャでのブレイク)
彼のボローニャへの移籍は、成功以外の何者でもなかった。昨シーズンの30試合でプレイし、リカルドはクリンシーツを15キープ、インテル・ミランとユヴェントスに次ぐリーグ3位のベスト守備を記録した。
このソリッドなバックラインのおかげでボローニャはセリエAで5位フィニッシュ。イタリアはCLの追加スポットを得ていたことから、クラブは1964年ぶりにこのコンペティションに参加することになり、20年にも及ぶヨーロッパの追求に終止符を打った。
Iconic friends(豪華な人脈)
リカルドは、かなり豪華な連絡先リストを持っている。ローマのみならず、イタリーの象徴であるDaniele de RossiとFrancesco Totti。それに、これまでのマネジャーたち。
「ぼくがケガをしたとき、彼(De Rossi)がぼくを家まで送り迎えしてくれたんだ。わざわざぼくを待ってくれて、トレイニングセンターまで送ってくれた」
「Tottiにもすごく感謝している。いまはThiago Motta(ボローニャの元マネジャー)にも。彼には、ぼくも知らなかったフットボールのたくさんの側面について学んだ。それとMourinhoも彼も何度かメッセージをくれた。ぼくらにはいい関係があるよ」
International call(シニア代表初招集)
彼がノースロンドンに移籍してくる以前に、彼にとってはすでに記憶に残るような夏になっていた。昨シーズンのフォームのおかげで、イタリーのEuro2024スクワッドに招集されたのだ。これまで、彼がアズーリのフルチームでプレイしたことはなかった。
イタリーのU15からU21レヴェルではプレイしていたものの、リカルドはトルコとの大会前の親善試合で初キャップとなった。そして、ボスニア戦では1-0勝利で十分に印象づけ、Euroのスタートに向かうことになった。
Euro star(Euroで大活躍)
R16で敗退したEuro2024は、イタリーにとっては思い通りにはいかなかったものの、リカルドは明るく輝いた。彼はアズーリの4試合のうち3試合でプレイ。スイス戦ではカード2枚のサスペンションにより欠場した。
しかし、彼はこのトーナメントで勢いをつくった。彼が中央守備から大きく前方へ飛び出していき、相手守備を切り裂くパスをMattia Zaccagniへ。クロアチア戦での98分のイコライザーにつながり、グループステイジ勝ち抜けを決めた。
Mr Assister(ミスターアシスター)
あの鋭いパスは、リカルドの手札のなかにあるものだ。彼はあれを頻繁に使う。ヨーロッパのトップ5リーグで、23/24シーズンに彼より多くアシスト(5)を決めたCBはいない。
また彼は、昨シーズンのセリエAで89.8%というパス成功率、1783のパス成功、76のロングボール成功、17のチャンスクリエイションを記録している。
そしてクラブでの最後のプレイとなったユヴェントス戦では2ゴールを決めていて、そのセリエAでもかつてない2ゴールで、彼はボローニャ初のセリエAのPlayer of the Monthになった。
The next?(今後?)
22才と27日でアルバニア戦に出場したことで、リカルドはヨーロッパの大会でプレイした史上2番目に若いイタリア代表になった。彼より若かったのは、伝説的なPaulo Maldiniだけ。
彼がローマでブレイクしてきたとき、彼はよく元ローマのLB、Aleksandar Kolarovに例えられた。しかし、元イングランドのマネジャーであるFabio Capelloは違う見方をしていた。「最初に観て若かったときのSergio Ramosのように観えた。フルバックからセンターバックに変わったことも」。
English inspiration(英国人に触発)
しかし、リカルドはかなり違うタイプのディフェンダーを模範にしている。彼の上がって行きたがる傾向、守備と攻撃をつなげたがる傾向。
以前、彼は誰と比べられたいかと尋ねられこのように答えた。「John Stonesがお手本。彼のプレイのスタイルは自分のと近い。もしミドフィールドに上がっていくにせよ、それは場当たりではない。それはコーチの教えに従った結果なんだ」
Previous Italians(これまでのイタリア人)
リカルドは、アーセナルにとっては4人めのイタリア人ということになる。Arturo Lupoliが最初で、彼は2004から2006のあいだに9試合で3ゴールしている。そしてGKのVito Mannoneが2009から2012に23試合プレイしている。
現在のNTでのチームメイトであるジョルジーニョは、アーセナルでもっともプレイしているイタリア人だ。これまでの18ヶ月で52試合でプレイした。
Bologna brothers(ボローニャブラザー)
リカルドは、われわれがいまのスクワッドにボローニャから連れきたふたりめになる。タケヒロ・トミヤスが2021年にノースロンドンへ来てから2年がたつ。
もうひとり、両クラブのリンクではNiccolo Galliがいる。彼は2000年にFA Youth Cupを勝ったが、悲劇的な交通事故で17才にして亡くなっている。
Family man(家族おもい)
これまでの最大のアチーヴメントを尋ねられた彼は「両親に家を買ってあげたこと」と答えた。「以前ぼくたちは借家に住んでいたが、ぼくがローマでプレイしていたとき、どうにか美しい家を買うことができた。家族がそこで落ち着いて、安全で幸せに暮らしてくれることがプライスレス」
以上
キャリアや周辺で起きたこと、人間関係、ひととなりなど、彼についてのもろもろが網羅されていてよいまとめ記事だった。ガールフレンドのことは書かないのかな?って書かないか(笑)。
さて、これはいろんなメディアでも取り上げられていたみたいなので、もう知っているひとも多いと思うが、John Stonesの件がとても興味深かった。もちろん、アルテタはシティでプレイしていた彼が大好きであり、以前はよくアーセナルともリンクされたものだった。アルテタは、アーセナルのCBにずっと「Stone的なもの」を求めていたと云ってもよい。
そしてカラフィオーリ。なんと彼がリファレンスなのだという。カテナチオの国イタリアで、若く優秀なDFが英国人DFをリファレンスにしているというのは、ちょっと意外というか、やっぱり興味深いだろう。
Why Riccardo Calafiori can be Arsenal’s answer to John Stones
もっとも、彼のこの発言は今年6月のものなので、すでにアーセナルと交渉が始まっていたであろう時期であり、アルテタが彼を高く評価していることを知っていて、そう発言をしたのかもしれないが。逆にこの発言はいわゆる「匂わせ」だったのかも??
いずれにせよ、アルテタが求めているものと、カラフィオーリが目指しているものがばっちりリンクしているのは、非常にポジティヴな兆候だと思われる。
ワクワクが止まらないぜ。
おわり