昨日、OTで行われたPLの#MUNTOT。今朝起きたらアーセナル界隈でも大きな話題になっていて騒がしかった。
ホームチームは、前半終了間際に退場者を出して試合の大半を10人でプレイすることになり、結果はアウェイチームの3-0勝ち。ToTが勝ったのはうれしくないが、MUNがコテンパンにやられたのはプギャーせざるを得ず。スタッツデータを観るかぎりでは、スコアライン以上の大差がついていてもおかしくない内容だったようだ。
これは、最近のアーセナル的にも既視感あるような試合展開であり、アーセナルの戦いかたがかなり批判されているなかでのMUNの振る舞いは興味深くあり、そしてこれでETHはまさに風前の灯火ということでかつてのウナイ・エメリの四面楚歌な状況を思い出してみたり、アーセナルファンとしていろいろ考えることがあった。
このブログではいつもはアーセナルのこと以外は書かないし、ましてやたいして興味もないライバルクラブについて書くことなんてほとんどないのだが、今回はちょっとだけ思うことを書いてみたくなった。
#MUNTOT@24/25EPLについてわたしが思ったこと
ぼくは試合自体は10分くらいのハイライトしか観てない。
Bruno Fのストレイトレッドカードは正しかったか? PGMOL?
試合のスタッツを見るに、MUNは10人なる前のハーフもかなりひどかったようである。ホーム試合にも関わらず、ほとんどToTの時間。ここは、かのOTですぞ? が、この試合に決定的な影響を与えたのは、やはりBruno Fに与えられた42分の一発レッドカード。キャプテンの彼は、このあと3試合バン。まじか。
ぼくもハイライトでリプレイを観て、正直あれはレッドカードに値するような危険なファウルには観えなかった。彼はタックルに行くときにスリップしていたようなので、あの接触自体は故意ではなかったろうし、たしかに足裏は見せているものの相手に足裏そのものが当たっているわけでもない。
一発レッドカードだからVARチェックは入っているはずで、それでもオンフィールドの判断が支持された。
アーセナルのファンとして、MUNの選手への処分なら全力で支持したいが、フェアに云ってあれは誤審と思う。
レッドカードにならなかったらならなかったで、それもまた議論になるくらいではあったろうが、平均的にはまあイエローカードが妥当なファウルだろう。あれよりもっとひどいファウルがイエローだったりお咎めなしだったりは、PLでも日常的に観ている。
BFはMUNで200試合だかプレイして初めての退場だそうで、それもまたライスを彷彿とさせる。ふだんはやらかさない、しかもキャプテンが試合から締め出された。
ちなみにレフは……、おや、誰あろうChris Kavanagh。ライスの件ではお世話になりました。こやつは、アーセナルに恨みがあるのかと思ったら、単なる無能なのかもしれない。
今回のことで、KavanaghならびにPGMOLはあらためて批判の的になるだろうと思う。毎週繰り返される議論な判定。ワールドカップでは英国のレフリーが少ないなど、国際的な評価も低いらしいが(※これはついては詳しくは知らない)、なぜ彼らは、いつまでたってもヨーロッパ基準のまっとうな仕事ができないのだろうか。
MUNは勇敢? それともナイーヴ?
アーセナルファンとしてとても興味深かったのは、MUNが10人になってからどうプレイしたか。
ご存知のように、先週からアーセナルは、エティハドで10人になったときのなりふり構わぬ守備に没頭したプレイっぷりが、ライバルクラブのファン並びに多くの識者から批判されていて、そのなかにはギャリー・ネヴィルやロイ・キーンといったMUNレジェンドも含まれていた。というより、彼らが批判の急先鋒ですらあった。
そして、今回MUNが、アーセナルと同じくひとり減った後半をどのようにプレイしたか。
どうも、前半と変わらずか、あるいはもっと積極的にプレイしたようなんだよね。ただ、全体ではアウェイチームに圧倒されているなかでだが。少なくとも彼らはそういうマインドではあったという。
ハイライトでは、少なくとも後半の彼らはディープブロックをやっていたようには観えなかったし、断片的な映像を観ただけだと、云われなければ片方がひとり少ないのもわからないくらいだった。両チームのパス本数も前後半で差がない(151 v 292 → 161 v 270)。むしろ、後半10人になったMUNはポゼッションも前半よりよくなっている(37% → 42%)。彼らは10人でもプッシュした。しようとした。
さすが世界一人気のあるフットボールクラブ。立派である。えらいえらい。アーセナルみたいな恥ずべきクラブとはぜんぜん違う。
しかし、これをエティハドでのアーセナルと単純に比較できないのは、置かれた状況が全然違うからだ。
10人になったときのMUNがホームのOTでスコアもリードされていたという状況に対し、エティハドのアーセナルはアウェイでありなおかつすでに試合をリードしている状況で、試合に勝つためにはリードを守る必要があった。アーセナルだって、もしホームでリードされていたら、あのときと同じではなかったろう。
したがって、今回のアーセナルへの一連の批判に正当性があるとすれば、それは今回のMUNと同じような状況だったときだけである。
そして、MUNがそのように勇気をもってプレイした結果どうなったか。
Man Utd (0.98) 0-3 (5.33) Tottenham
— The xG Philosophy (@xGPhilosophy) September 29, 2024
この前日にアーセナルがレスターでつくった記録超えてね? xGで5.33なんてあまり観ない数字である。とくにクオリティの拮抗した「ビッグ6」同士の試合で。
MUNは、3-0で敗けたことはもちろん受け入れられないほど悔しいだろうが、それ以上にコテンパンだったのである。xGの数値の倍ゴールが入るなんてことはざらにあるので、このチャンス量からすればこの試合で彼らは10失点していてもおかしくなかった。
彼らのファンは、それでもMUNの「勇敢な」プレイっぷりに満足なのかね? まあポイントをあきらめるよりはマシなチームの姿勢だろうが、この悲惨な結果をみるに、もっと現実的な戦いかたはあった。
そこで思ったのは、これって仮に以前のアーセナルがこんなふうにプレイしてこんな結果だったら、いかにも「ナイーヴすぎる」とか云われていた状況だなと。ネヴィルやキーンなら云いそうじゃないか。Patrice Evraなら「だからアーセナルは弱い」とか云ってたはずだよ。アーセナルの理想主義的アプローチは批判対象だった。
エティハドでのアーセナルを酷評した彼らがそれにくらべて今回のMUNをなんと云うか見ものであるが(キーンは知らないがネヴィルはチームを酷評している)、いずれにせよ、ここでもわたしはMUNの未熟さを観て、アーセナルの成熟ぶりを実感したのだった。
相手にコテンパンにやられるアーセナルについて、これまで識者たちが何度「大人と子どもの戦い」のように評してきたことか。だがアーセナルは、もうそういう「子ども」とは真逆の存在になりつつある。勝つためにはなんだってできるリアリスト。露骨な時間稼ぎだって厭わない。
ファンとして、長らくつづいた弱かったときのアーセナルをなんとか受け入れようと、ロマンだなんだと自分を慰めていたこともあったが、結局これもスポーツなので最後には勝つか敗けるかしかない。アーセナルがもうこうなっている以上、ロマンを語るのは勝ってからでもよくなった。
いまは本気でタイトルを競おうとしているチームの姿に毎週感動している。
MUNはアーセナルのプロジェクトに触発された?ことが裏目に
ETHは、MUNでこれまでも何度も解任のうわさがありながら、ボスの座を守ってきた。
これについては、ちまたでなんと云われているのかはぼくは全然しらないのだが、アーセナルファンからすると、アルテタとアーセナルという現在も進行中の成功事例が、MUNの政治にも小さくない影響を及ぼしていると思わないでいられない。これまでのMUNのETHの扱いかたを観ても、すでに彼らの我慢の限界を超えているように観えたにも関わらず、ここまで非常に忍耐づよかった。それはなぜか。お手本があったからでないか。
MUNだけでなく、あらゆるフットボールクラブにとって、結果が出ないマネジャーにどれだけ耐えるか、信頼を維持するかについては、ワールドフットボールにおけるアルテタの事例はかなり教訓になっていると思う。
なかでも、とくにビッグクラブにおいては、どのタイミングでマネジャーを評価・決断するかはつねに問われることであり、忍耐が求められることでもあるだろう。クラブ運営の大きなテーマのひとつでもある。クラブのアイデンティティやフィロソフィを標榜するようなクラブはとくにそう。
これまで、アーセナルもアルテタをあきらめたくなるような時期はあった。だが、ファンからも批判されるような苦しい時期に耐え、彼への信頼を失わず、彼に投資することで成功させた。いや、まだ成功の実績は解除されていないが、メジャータイトルがない現時点でもPLとCLでトップを競えるまでにクラブを戻したことで、プロジェクトとしてはすでに成功の部類に入るはず。いまのアーセナルのチームの進歩はそれだけ目覚ましい。クラブの決断は報われている。
だが、ここで非常に重要なことは、人選なのだよね。誰を信頼し、誰に投資するか。結局はその対象が真にふさわしいかどうかが問題。マネジャーとしてのクオリティに加え、クラブとの相性もある。アーセナルがミケル・アルテタで成功しているのは、それがミケル・アルテタだったからだ。コーチとして優秀なだけでなく、クラブを深く愛し、理解するものであることが大きい。どんなクラブも、やみくもにマネジャーを信じればいいわけじゃない。
チェルシーみたいなクラブはアイデンティティもフィロソフィもへったくれもないクラブ運営に見えるが、アイデンティティもフィロソフィもへったくれもないクラブ運営だと云われようが、短いサイクルでヘッドコーチを評価・決断することでリスク回避をしているし、そのアプローチもまたたしかに報われている。
だから、アーセナルがアルテタをあきらめず成功するための時間を与えたように、ETHをあきらめず時間を与えようとしていたMUNがアーセナルのようにはうまくいっていないのだとすれば、その大きな問題はやはり人選なんだろう。彼を選んだクラブが間違っている。アヤックスであれだけ成功していたETHのコーチとしてのクオリティに疑いはないように思えるが、MUNのようなメガクラブでの仕事はまた違う種類の仕事なんだろう。
今回のことでもさすがにETHの時間はもうあまり長くないだろうが、クラブは多くの批判にさらされながら彼にこだわったことが裏目に出て、この長い時間を無駄にした。
思えば、アーセナルがヴェンゲル以降ふたたびトップクラブに返り咲こうとしているのに対し、彼らはファーガソン以降これだけ長い時間をかけていまだに苦しんでいる。クラブ運営が問われてもしかたがない。
これが彼らのアーセナルとアルテタに触発された行動だったとしたら、それはそれで興味深い不成功事例になった。それもまたこの世界で後世に生かされるべき教訓になる。
こうしてMUNを観ていると、アーセナルFCがいかにやりかたを間違えなかったかがよくわかる。たしかに、ヴェンゲルさんの後期やウナイ・エメリではMUNのように間違えたが、それを繰り返さず、その後にはしっかりと正解を見つけた。そのことがとてもうれしい。
クラブは、アルテタをヘッドコーチからマネジャーに昇格させ、エドゥとともにプロジェクトを任せた。彼らという人選を間違えなかった。
そして、エドゥとアルテタはオーナーとボードをパワポで説得し、ジョッシュ・クロンキもそれを買った。エドゥのBBQじゃない。エドゥのPPTなんだよ(云いたいだけ)。
人選を間違えなかったおかげで、結果的にはすべてがうまくいっている。
アーセナルがMUNみたいじゃなくてほんとうによかったと、彼らをみながら思う。
おわり
見てましたがヴェルナーに2、3回は一対一くらいのビックチャンスあったので、xGくらいの点差になった可能性もありますね。
マンUの攻撃も10人になってからも散発的でしたけど、脅かす場面もありました。
そうだそうだ!と思いながら読みました!
もしもこの世にアルテタが存在しなくて、エメリやそれに準ずる監督にベンゲルを夢見て無理やり続けさせた世界線のアーセナルがこのMUNなのかなと思いました。
クラブの誇りやポリシーは失われ、もうどこに向かえばいいのかも分からず迷走していく。
今のMUNの落ちぶれ方はカイジの鉄骨渡りのように高みから見下ろす愉悦がありますが、一歩間違えれば我々もそうなっていたかもしれません。実際エメリの時にそうなりかけたし。
他人事だけどそれだけで割り切れないが何かがあるからこそ、チェンさんがこのトピックを記事にしたのかなと思いました。