こんにちは。
オフシーズンで今回は温めていたネタ系エントリを。4月に途中まで書いてほうってあった。。
『GOAL』(チャールズ・ワッツ)が、『Fever Pitch(ぼくのプレミア・ライフ)』や『High Fidelity(ハイ・フィデリティ)』などの著作で知られる英国の作家、ニック・ホーンビー(Nick Hornby)のインタヴューを行っていた。
おもに、原作者本人が脚本を手掛けたFever Pitchの映画版のほうにフォーカスした内容となっている。
記事によると、今年はFever Pitchが出版された1992年からちょうど30年ということで、著名なアーセナルファンのわりには、あまりメディアに登場しない?ホーンビー氏の貴重なコメントが読めるナイスなインタヴュー。
では、Here we go.
ニック・ホーンビー「Fever Pitchはわたしの物語であり家族の物語」
(Fever Pitchはそれまでのフットボールライティングを変えた作品であり、いまだに人気が高い)
ニック・ホーンビー:わたしが望んでいたのは、フットボールファンが、その作品のなかに自分たちを見出すことだった。だが、わたしがそう思う必要すらもなかったね。
だから、その受け取られかたはとてもうれしかった。もし正しく気持ちを伝えられれば、どのクラブをサポートしていようが関係なく、みんな共鳴するんだと思う。
(映画の制作にも深く関与)
わたしがその本を書いたとき、最初に読んでもらう重要な3人は女性になると思っていた。最初の妻、それに代理人と編集者。おそらくそれが、わたしがその本をマインドセットの説明とすることに役立ったのだと思う。それは、わたしがやろうとしていたことのひとつだった。
わたしはこう云おうとしていた。「キミらはぼくらのことをアホだと思ってる。だが、これが実際に起きたこと」だと。そしてわたしのうしろにいた男たちが「イェア、まったくそのとおり」と云う。
だから、男女両方のジェンダーに効いたところがある。あるいは、フットボールが好きなひととそうでないひと。映画では、そのことをとても気をつけたかった。強迫観念が意味するものに、陰りが出てきたみたいな。
(本が完成してすぐに映画化の話が上がった。BBC2の番組内でその話題に)
彼はそれを監督したいと云って、わたしにも脚色で参加してほしいと云ってきたんだ。わたしは笑ってしまって、「いいですよ」と答えた。
わたしの姿勢は、もうやめろと云われるまで、ただひたすら草案を書きつづけることだった。でも、4本くらい書き終わったあたりで、彼らからそれでなんとかなりそうだと云われた。Film 4(※TV局)で会った、アーセナルのシーズンチケットホルダーのふたりも助けてくれた。彼らはそのアイディアをとても気に入ってくれていた。
当時、わたしは別のこともしていた。『High Fidelity』を書いていたんだ。だから、両方のことにとらわれていたみたいになってしまった。そんなに大変なことになるとは思ってもいなかったよ。
そしてそのあと、突然にキャスティングを始める資金を得て、1996年に撮影となった。
(1996年はデイヴィッド・ディーンがアーセン・ヴェンゲルを連れてきた年)
Fever Pitchという作品にとって、ふたつのかなり意義深い年は1992年と1997年。
本が出版されたのが1992年で、プレミアリーグが始まってから3週間後だった。本の執筆中も、わたしはそのことはわかっていたが、それがフットボールにとってどういう意味を持つのかは、よくわかっていなかった。
そしてその後、映画が公開されたのが1997年。もちろんその年は、英国文化の歴史において大きな年だった。(※訳注:香港返還やダイアナ妃の死去等)
だから、非常に偶然が重なった。本も映画も、どちらもフットボールと国が変わる節目に発表されたのだ。
笑えるのは、1992年と1996年のあいだは、カップの勝利こそあったものの、アーセナルにとってはほんとにひどい期間だったということ。われわれは、まったく負け組クラブみたいな気分だった。93年のふたつのカップは笑えたし、そのあとのCup Winners Cupのタイトル(※93-94シーズン)はグレイトだったが、George(Graham)の最後の一年と(Blues)Riochの一年は、こう思ったものだ。「これは何年もかかるな」と。
1995年にパリで敗けたときを思い出す(※Cup Winners CupのReal Zaragoza戦)。われわれはみんなバーにいて「アーセナルがまたヨーロピアンファイナルに行くのは今世紀中には無理だな」と話していた。
そこからダブルを取る日が来るなどとは、誰も考えもしなかった。あのようなすばらしい選手たちも。アーセンが来てから、あっという間に変わってしまったのだ。
わたしはデイヴィッド(ディーン)が困難に立ち向かったことが、ただうれしいんだ。それは、とても大胆だった。
デニス(ベルカンプ)はもうそこにいた。そのあとヴィエラにアネルカ、プティとオーフェルマルスが来た。それですべてが変わってしまった。
(リアリティなどフットボール映画というテーマの難しさ)
われわれは、シーズン最後のボルトン戦の直後のハイバリーで撮影を始めた。
わたしはプロデューサーとスタンドにいて、まず最初はトンネルからふたつのチームが出てくるところだった。ふたりのGKがチームを率いている。わたしはそれを観ながらこう云った「彼らふたりともキャプテンじゃないなら、あれは正しくない」。だから、彼らにはもう一度やってもらった。すると、今度はまた何かがおかしい。わたしは指摘をつづけた。わたしは可能なかぎりそれを正確にしようとして、かなり関与した。
わたしは、できるだけ嘘がないように努力したんだ。 (主演の)Colin Firthがほんもののファンに観えてほしかったし、そのための悲惨なほど感情的な演技だ。わたしは、それを伝えたかったのだ。なぜなら、われわれはみんな、そのバカバカしいものに自分たちがすごく影響されるとわかっているから。
また、原作と違うところも要求されていた。それもわたしがやりたかったことのひとつ。
それ以来、わたしは自分の著作を脚色したことは一度もない。だが、あれは、わたしの物語であり、わたしの家族のことであり、ほかの誰かに自由にしてもらいたくないと思ったのだ。
だから、それが結果的にまったく違うものになってしまうとわかりつつも、できるだけわたしは自分の本に誠実(faithful)でありたかった。
以上
Fever Pitchの映画版は、正直めちゃくちゃおもしろいという内容ではないけど、まあアーセナルのファンなら一般教養として観ておくべきかもしれない。じつはぼくもこのインタヴューを読んでから観た。映画としては、ハイ・フィデリティのほうがおもしろかった記憶がある。
それにしても「ぼくのプレミア・ライフ」。さすがにこの邦題はどうかと思いますわな。やっぱり「プレミア」は「プレミアリーグ」のそれなんでしょう? 日本でこのタイトルになったエピソードとかあるのかな。インタヴュー中でも触れられているように、英国でプレミアリーグが始まったときとこの本の出版のタイミングはリンクしているけども、ほとんどホーンビーの自伝なので、内容の多くはEPLよりもっと以前のフットボールの話である。1960年代から始まるんだから。
このFever Pitchという作品は「フットボールライティングを変えた」とチャールズ・ワッツも書いているように、フットボール本の世界においては記念碑的作品で、30年近くたったいまでも“Best football books”のようなランキングでは、あたらしめの作品に混じって上位に入ったりしている。
もちろん、この本はアーセナルFCのカルト的ファンダムについて書かれたものだが、こうして映画化されたり、アーセナルのファンだけにとどまらない共感をひろく獲得しているのは、それがひとつのクラブにとどまらない、もっと普遍的で偏執的なスポーツへの愛情を描いているからなんでしょうな。熱狂したり、激怒したり、苦悩したり。はたから観てると、そんなに苦しいならもう観なきゃいいのに……っておもわれるやつ。とくに、CLを逃し続けているいま、ぼくらは、ほかのクラブのファンからはマゾヒストだと思われているだろう(笑い)。
ではここでお聴きいただきましょう。High Fidelityオリジナルサウンドトラックより、Elvis CostelloでShipbuilding。
おわり
ちょうどこの前BOOK-OFFで文庫本を購入(100円でした)した私には、非常にタイムリーな記事でした。素直に嬉しい。
今朝Badly Drawn Boyを聴きながらの通勤途中に読んだ項は「母とチャーリー・ジョージ ダービーカウンティ対アーセナル 1972/2/26」です。
さすがに生まれる前の時代なのですが、アーセナルのイメージも今とはだいぶ違うみたいですね。興味深いです。読み終わったらDVDも探してみるかな。
今後も更新楽しみにしております。
Fever Pitchのハリウッド版(メジャーリーグに置き換えちゃったやつ)を見て、あー、やっぱりアメリカが作っちゃうとこういう能天気映画になるよなー、と変に納得した記憶があります。
僕もHigh Fidelityは結構好きな映画です。エンドロールのスティービーワンダーが泣けた。