こんにちは。
今朝TWを観ていると、チャールズ・ワッツが「すごくいいよ」と『The Players Tribune』のマーティン・オーデガード回をシェアしていた。
North London Forever | By Martin Ødegaard
読み始めたら内容もすごくおもしろくて、それなりにボリュームのあるインタヴュー記事なのに、つい一気に読んでしまった。
ぼくがフォロウしているアーセナル系インフルエンサーの皆さんも、ほとんど全員この記事に反応していて、やっぱりそれだけおもしろい記事だったんだなと。
このたくさんのスポーツ選手のインタヴューを紹介している米『The Players Tribune』の記事では、以前にグラニト・ジャカのインタヴューを訳したことがあるが、日本語版もあるサイトだから、その後ガビ・マルティネリのインタヴューがアップされたときは遠慮をしていた。
だが、いまあらためて日本語サイトを観ると、コンテンツはかなり限定されていて(サッカー選手は一部の有名選手と日本人しかない)、今回のオーデガードも日本語訳はされなさそう?なので、このブログで紹介したくなった。
もし、日本語版に反映されるようなら、このエントリは消そう。
英語も平易で、訳に時間がかからなそうなので、ちゃちゃっとやってみる。
マーティン・オーデガードがキャリア、アーセナルを語る “North London Forever / Martin Ødegaard”
※すべてひとり語りの形式になっている ※小見出しは訳者による
アーセナルとの不思議な因縁
ぼくはアーセナルとはへんな因縁がずっとあったんだ。それはサインするよりだいぶ前からだね。どう説明すればいいのかもよくわからないけど、ひとつエピソードがある。
ぼくは、ヴィデオゲームにはあんまり関心はなかった。いつも外で遊ぶ世代だったしね。でも『FIFA』だけは例外だった。ぼくがよくプレイしていたのは「キャリアモード」。ほら、マネジャーになれるやつ?
ぼくがいつも選んでたクラブがアーセナルだった。彼らがぼくのFIFAでのマイチーム。
ぼくが子どものころ、ノルウェイでもPLの試合をたくさん観ていて、アーセナルにはいいフィーリングがあった。ティエリ・アンリやインヴィンシブルズの動画を観たり。クラブには、プレイメイカーを育てる歴史があることも知っていた。ファブレガス、ナスリ、エジル…… とてもスマートでテクニカルな選手たち。ボールが上手で難しいパスをやる。ぼくのタイプの選手たち。
もっと大きくなって、2015年版あたりでは、ぼく自身もFIFAに登場するようになった。最初は自分に観えなかったけど。たしか全体的に67とかそんな感じで、でも自分がゲイムのなかにいるなんて、これはやばいと思った。だから、当然のことながら、ぼくがキャリアモードでアーセン・ヴェンゲルになっていたときに、最初にやったことのひとつは自分を買うことだったよ! アッハッハ。
ぼくとアーセナル。あたまのなかでは、とてもいいマッチングがあるみたいだった。
この特別なつながりが現実になったのは、ぼくが2年前にサインしたとき。あれは、ぼくの人生を変える決断だった。ぼくは毎日笑顔でトレイニングに入って行けている。だが、ぼくのストーリーはキャリアモードではありえない。FIFAで想像していたのとは、だいぶ違うものになっている。現実世界では、自分でどこに行くかは選べないし、すべてが完璧になるわけでもない。
ノルウェイでの子ども時代
ぼくがティーンエイジャーのころ、ノルウェイでどんなふうに過ごしていたかを知りたがるひとが多くて。大げさな評判もあるし。でも、正直なところ、それにはどう答えていいのかわからない。こういうのは変だけど、まあ当時はその…… ふつうだった。
ぼくは若すぎたし、あるいはナイーヴすぎだった?かも。全部を理解するにはね。
思うに、みんなが想像しているのは、ぼくがプレスで云われていることなんかをすべて遮断して、隔絶されたところにいなきゃならなかったみたいなことかもしれないが、違うんだ。実際ぼくは自分について書かれたものをよく読んでいたよ。全部。文字通り、腰を落ち着けて新聞を読んでいた。でも、それでも「OK、クール。いいね」みたいな。そんな感じ。べつに構わなかった。
ぼくにはいい家族がいた。いい友人も。いい生活もあった。フットボールが大好きなただの子ども。ほんとうに大好きだった。「病みつき」だった。うちから100mのとなりに人工芝のピッチがあって、子どもの時期をずっとそこで過ごした。そこの住人だった。ときどき実家に帰ると、同じピッチで子どもたちがおしゃべりしたり、シュートして遊んだりしている。それを観てぼくは「おい、なにやってんだ!?」なんて。あれはぼくが友だちとやってたみたいなのじゃない。ぼくらは、そこでトーナメントをやったり、暗くなるまでワンオンワンをやったりして、マジだったんだ。
ぼくには父さん、Hans Erikがいてくれたこともラッキーだった。彼はぼくの子ども時代のクラブDrammen Strongのコーチであり、そのあとはぼくが13才のときにプレイしていたStrømsgodsetのコーチになった。ぼくにとっては、赤ちゃんのころからのパーソナルコーチでもある。彼はノルウェイのトップディヴィジョンでプレイしていたMFで、だからぼくが友だちとプレイしていないときは、父さんとトレイニングしていた。まさに「訓練」だったよ。
もしかして、こういうよくある話を思い浮かべるかな。やる気まんまんパパが毎日息子をしごく、みたいな。でも実際は逆なんだ。彼をプッシュしていたのはぼくのほうだ。彼は、ほかの子の親が知らないことを知っていたから、ぼくは彼に教えてもらいたかった。エッジを授けてもらいたかったんだ。
彼はぼくに、とくにアウェアネスと素早い足を身に着けさせたかった。彼がつねにぼくにやらせたがったのは、ボールを受ける前に周囲を見渡すこと。冬になると、ぼくらは外ではプレイできなかったから、屋内スポーツホールに連れて行ってもらってドリルをやった。彼がベンチからボールを蹴って、それがぼくに跳ね返ってくる。彼はうしろから近づいて、一方向からプレスをしてくる。ぼくは、跳ね返ってくるボールを受けるまえに、それを確認して調整しなきゃならない。
そうした日々があった。もしぼくがディフェンダーから逃れて、タッチを使い、クイックに流れを読むところが観られたなら、それがそのスポーツホールであり、ぼくの父ということ。
当時のぼくは、ただベストになることに集中していた。自分には才能があるとわかっていたし、でも先走ったりはしなかった。そのときは、地元のクラブで友だちたちとプレイすることを純粋に楽しんでいた。
そしてそのあと、ものごとがとても早く進んでいったんだ。
レアル・マドリッドまでのクレイジーな道のり
ぼくが13のとき、Strømsgodsetでデビューした。
ぼくが15のとき、ノルウェイNTの最年少選手になった。
そこからが、クレイジーなことになっていった。
ぼくが思い出すのは、EURO2016予選でのブルガリア。オスロのUllevaal Stadionであと20分のとき、ピッチに入った。20,000人以上のファンがいて、大盛りあがりだった。ぼくがタッチするたびに、彼らの声援があった。まだあの音が聴こえる。
つまり、ノルウェイでは、ファンが恋い焦がれるような「スーパースター」が長い間いなかった。そこで、このDrammenからやってきた少年の噂を聞き始めた。彼らはそれが真実だと信じたかっただけなんだろう。実際のぼくがどれだけかとも知らずに。そこにおかしな評判が加わっていった。
そこからは、ハイプがハイプを呼び、突然にレアル・マドリッドとリンクされた。
父さんが、クラブとのやりとりはすべて対処してくれていて、たくさんのクラブがあった。バイエルン、ドルトムント、マンU、リヴァプール、マドリッド、アーセナルにも行った。ぼくらは、プライヴェイト機で飛び回って、特別な気分になったものだ。
こういうのもなんだけど…… ぼくは実際アーセナルを選びそうになっていたんだ。ぼくらがそこへ行ったとき、ロンドンコルニーまで電車で向かった。アーセン・ヴェンゲルに会ったよ。彼はぼくと父さんとディナーに招待してくれた。あれはクールだったな。でも奇妙でもあった。だって「アーセン・ヴェンゲル」だよ? ぼくが子どものころにTVで観てたレジェンドだ。そして、いまやステーキを食べてる彼の前に座っている。すごく緊張して、こんなふうに考えていた。「もしかしてぼくはいま試されているのでは? このフライを食べるかどうかで判断される? じゃあこれは残しておくか」なんて。アッハッハ。
では、なぜにレアル・マドリッドだったのかと。ぼくは父さんと、家族とたくさん話した。結局、マドリッドはマドリッドだ。彼らはCLホルダーであり、世界のベスト選手を揃えている。その当時は、ぼくはイスコが大好きだった。彼はボール扱いがとてもスムース。彼もまたぼくのタイプの選手だね! でも、マドリッドのオファーでほんとうにカギになったのは、彼らにはBチームがあって、すぐに競争力ある試合ができるところだった。そしてチームのマネジャーは誰か。ジネディーヌ・ジダンさ。これは全部盛りだと思った。
正式に彼らに返事をするまえに、ソファに座って彼らの試合を観ながら父と話したのを思い出す。そのときに、彼はぼくのほうを向いて、電話をこんなふうにして聞いてきたんだ。「そろそろ彼らに電話しようか?」
その決断をするまでに長い時間を話していた。ほかのクラブの素晴らしいオファーも断るのは難しかった。だが、結局決めたんだ。
彼は下書きを、もう1週間か2週間も電話にとどめていた。それはほんとにシンプルなメッセージ。
こんな感じ。「マーティンは行きたがっている。あなたたちがまだ彼をほしいなら」。
ぼくは父に伝えた。「送って」と。
泣いた
素敵な訳をありがとうございます
ジャンパーでも無く、ストライプでも無くボーダーじゃないかと思ったが、そんな事はどうでもいい
彼にはアーセナルで、どこまでも高く昇り詰めて欲しい
全てのタイトルにチャレンジしてサカとバロンドールを争って欲しい
ずっと応援します
COYG
素晴らしい。
日本語訳が出てもそちらは読まないので消さないでほしいです笑
ありがとうございます。
キャプチャがレアルに行ったのはみんな知ってたと思いますが、その後の苦しみや孤独はこうして語られて初めてわかりました。
壮絶な10代。考えられない。
その経験からのアーセナル。
ベンゲルとのエピソードも胸が熱いですね。
アルテタが来て以降、ホントにいろんなことがあったのですが、なんか1人一人いろんな個性のキャラを見つけて仲間にしていくRPG みたいで、その先には素晴らしいエンディングが待ってるに違いないとゆうこども心に戻った気分です。そしてエピソード2,3と続いて行くみたいな。
神童と言われようが人の子なんですよね。
アーセナルってホントに魅力的なチームだと思います。
ノースロンドンに生まれたかったな。
素晴らしい訳ありがとうございます!
いいね!押す機能があったら間違いなく押してました。
落ち着きもあって今じゃキャプテンそのもののウーデゴールが初めて、人間らしく思えました。
顔も好きだし言うことも素敵…
一層彼のことが好きになるインタビューでした!
めちゃくちゃいいインタビュー!ありがとうございます!
ますます、アーセナル愛、キャプテン愛が高まりました!日本語訳ありがとうございました!
Best. Truly best.
素晴らしいキャプテンの言葉に素晴らしい訳を添えて。Class.