レアル・マドリッドお披露目会見の苦い思い出
プレゼンテイションデイについて、話そう。
実際これはいま思い出しても身がすくむ思いなんだけど…… 当時はたくさんのひとがそれについて話していた。ぼくはミームだったのさ。だから、そのとき何が起きていたのか、ここでぼくにはっきりさせてほしい。
朝、彼らはノルウェイからぼくをピックアップするのに飛行機を送ってくれた。とても朝早く。だから、ぼくは起きてはいたけど、寝ぼけまなこだった。髪もとっちらかってたし。シャワーを浴びる時間さえなかった。つかめるだけ服をつかんでバッグに詰め込み、飛行機に乗った。マドリッドのホテルに到着すれば、着替えもできるし、シャワーも浴びられるし、準備もできると思ってた。
ところが、ぼくらが到着して飛行機を降りると、彼らが直接ぼくらをトレイニンググラウンドに連れて行こうとしてるのに気づいた。メディカルをやり、そのあとはプレス会見だと。ホテルはなし。
「ちょ待てよ、これどーすんの?」みたいになったんだ。
突然に、ぼくはマドリッドのレジェンドであるEmilio Butragueñoのとなりに座っている。彼はとてもスマートなスーツ姿で、当然だ、ぼくを世界中に紹介している。
あの写真も観たと思う。
ぼくはといえば、古いストライプのジャンパーを着ていて、シャワーすら浴びておらず、手で寝癖を直そうとしている。
それがぼくの人生最大の日だった。その写真が世界中を駆け巡った。彼はレアル・マドリッドが契約を勝ち取った選手というよりも、ぼくにはステディアムツアーに参加していたその辺の子どもを連れてきただけみたいに観えたんじゃないかと思った。
Butragueñoがぼくを紹介したとき、「なんてこった、ジャンパーを着替えたい。誰か云ってほしかった。なんで誰も云ってくれなかったんだ????」。アッハッハ。
そのほかにそのときぼくが考えていたのは、そういうひとたちの目の前に自分が座っているのは、つまりそれはぼくの承認(my Confirmation)なんだということ。知らないかもしれないけど、それはノルウェイの子どもにとっては大人になるときのセレモニーとして、ふつうのことなんだ。ぼくも15のときにそれをやった。家族と親しい友人で行い、そのイヴェントの最後には、その子が立ち上がって、みんなに来場の感謝を述べる短いスピーチをするというのが通例。ぼくは例外で、固まってしまったけど。家族やもっとも気楽なひとたちの前ですら、しゃべれないくらいぼくはシャイだった! ぼくはフットボールピッチで自信はあっても、人前でしゃべるなんてありえなかった。
その1年後、ぼくはレアル・マドリッドのプレス会見で中央にいた。あのストライプのジャンパーで。
ハハ。想像できる?
ぼくは、ぬるま湯から出たということ。ぼくの表情がこわばってるのが観られるはず。
ぼくが話す番がやってきたとき、大きなヘッドフォンを着けたぼくは、ほとんどかすれるようなノルウェイ語で「あー、イェー…… すごくうれしいです。あー、とても誇らしくて……」みたいな。
でも、変な話、あれのおかげで、たくさんのひとにぼくを知ってもらうことになった。有名になったらすぐにみんな期待するものだろう。スーパーヒーローみたいになんでもできるとか。フットボールもできるし、すごくうまくしゃべるに違いないとか。自信満々とか。でも、それは現実じゃない。
思うに、あのプレス会見がぼくが経験していくこととみんなをつなげてくれた。ぼくはただのシャイな少年だった。つまり、ほら、最近16才の子と会ったことある? 彼らはそれをぼくに感じた。なんてふつうなんだと。
レアル・マドリッドでのタフなスタート
プレゼンテイションのあと数日たって、初めてトレイニングに向かった。正直あれはシュールだった。ぼくはまだ運転はできなかったから、父さんに学校に送ってもらうみたいに送ってもらったんだけど。そこにはイスコ、ロナウド、ラモスやモドリッチがいて、ベイルやベンゼマがいる。
彼らがぼくがドレッシングルームに入っていったときに、どんなふうに扱ってくれたかを思い出す。スペイン語も話さない少年。でも、彼らはとても優しかった。そして英語を話す何人か、クロース、モドリッチ、ロナウドが、最初ぼくをとくに気にかけてくれた。彼らはアドヴァイスをくれたり、とても助けてくれた。でも、正直なところ、ノルウェイから来た16才が、チームでポジションを得るかどうか気にしている選手は、ひとりもいなかったと思う。
ぼくらがクラブと立てたプランは、ファーストチームとトレインすることだった。そしてレギュラーの試合はBチームで。そのとき、それはいいプランに思えた。だが、結局はぼくはどちらのグループにも居場所を見つけることができなかった。
Bチームとは、つねにいっしょにはいなかったから、関係をつくることもできず。ファーストチームでは、ただトレイニングに参加しているだけの子ども。試合には参加していなかった。両者のあいだにいて、自分がアウトサイダーのように感じた。
ぼくは、自分のいつものようなスパークでプレイできなくなってしまった。ときには、あまりにも安全に行くようにさえなった。自分のゲイムをプレイするよりも、それ以上ミスをしないことを気にするようになった。ぼくのゲイムはいつだって違いをつくること。難しいパスを出す。いまではどうしてそうなったのかが理解できる。そのときはまだ子どもだったが、もっと容赦なくやることを学んだ。周囲を気にしていてはいけない。ピッチでほんとうの自分を観せないと。
数年がたち、ぼくは成長していなかった。
プレスがぼくを追いかけるのは、評判のためではなくなっていた。ぼくは安易なターゲットだった。もしぼくのことをよく知っていたら、ぼくがよく笑うことを知っている。でも、外側から観たぼくはしかめっ面をしていた! 彼らはぼくがいかに適応に苦しんでいるか、さぞかし書きやすかっただろう。
こんな見出しを思い出す。「マーティン・オーデガードはいまが伸るか反るかのとき」
「伸るか反るかだって? ぼくはまだ18才ですけど!」みたいに思ったな。
もしぼくがスペイン人だったら、もうちょっと時間を与えられたのかもしれない。しらんけど。結局、それがハイプマシーンの本性なんだ。モダンフットボールには中間がない。史上最高のサインか、うんこかのどちらか。
聞いてほしい。ぼくがはっきりさせたいのは、ぼくがレアル・マドリッドでの時間に、なにか不平不満を云っているわけではないということ。まったくない。マドリッドへ行ったことは、ぼくにはよいことだった。トップへ行くまでには何が必要かについて、たくさんを学んだ。世界のベスト選手たち、ぼくのアイドルたちとともにトレインし、観て、学んだ。ベルナベウでもプレイした。タフであること、チャレンジに向き合うことを学んだ。それはいまのぼくの一部になっているものであり、今日のぼくがいる理由でもある。
だが、ものごとはタフになった。大きな絵図で観ることができなくなった。ぼくのあたまのなかではいつも「どうやったら変われる? どうやったらもっとよくなれる?」みたいに考えていた。なぜなら、ぼくは最大のクラブでトレインして、もしかしたら数分はプレイできるかもしれないみたいなことに、満足できる人間では決してないから。ぼくは、いつだって最高の自分になるために必要なことについて考えていた。それが、前進する必要があった理由。
思い返せば、ノルウェイから出来たときには、まるで世界中にオプションがあるみたいだった。それがたった2年かそこらで、もうぼくをほしがるクラブはないみたいなところに来ていた。
泣いた
素敵な訳をありがとうございます
ジャンパーでも無く、ストライプでも無くボーダーじゃないかと思ったが、そんな事はどうでもいい
彼にはアーセナルで、どこまでも高く昇り詰めて欲しい
全てのタイトルにチャレンジしてサカとバロンドールを争って欲しい
ずっと応援します
COYG
素晴らしい。
日本語訳が出てもそちらは読まないので消さないでほしいです笑
ありがとうございます。
キャプチャがレアルに行ったのはみんな知ってたと思いますが、その後の苦しみや孤独はこうして語られて初めてわかりました。
壮絶な10代。考えられない。
その経験からのアーセナル。
ベンゲルとのエピソードも胸が熱いですね。
アルテタが来て以降、ホントにいろんなことがあったのですが、なんか1人一人いろんな個性のキャラを見つけて仲間にしていくRPG みたいで、その先には素晴らしいエンディングが待ってるに違いないとゆうこども心に戻った気分です。そしてエピソード2,3と続いて行くみたいな。
神童と言われようが人の子なんですよね。
アーセナルってホントに魅力的なチームだと思います。
ノースロンドンに生まれたかったな。
素晴らしい訳ありがとうございます!
いいね!押す機能があったら間違いなく押してました。
落ち着きもあって今じゃキャプテンそのもののウーデゴールが初めて、人間らしく思えました。
顔も好きだし言うことも素敵…
一層彼のことが好きになるインタビューでした!
めちゃくちゃいいインタビュー!ありがとうございます!
ますます、アーセナル愛、キャプテン愛が高まりました!日本語訳ありがとうございました!
Best. Truly best.
素晴らしいキャプテンの言葉に素晴らしい訳を添えて。Class.