先日のエントリのなかで、アーセナルの内部でいま起きているマネジメントのパワーシフトについて少し書いたが、そのなかには「アカデミー・マネージャー(ヘッド・オブ・アカデミー)」のペア・メルテザッカーを中心とするアカデミー(ユース)システムの改革がある。
プロスペクトのスカウト/リクルートにおいては、現役リタイヤ後11年もAFCにいたという前任のスティーヴン・モロウと彼のスタッフが解任されているが、これはメルテザッカーと彼の意見の対立があったことや人員過多などの理由でエドゥが決定をしたということ。そのあたりの経緯は以下の動画に詳しい。『The Athletic』のエイミー・ロウレンスの記事を元に作成されたもの。
またこの改革のなかには、近年の課題でもあったローンシステムの刷新もある。今回『GOAL』でチャールズ・ワッツが、ブンデスリーガ2のボーフムにローン中のジョルディ・オセイ・チュチュのインタヴューも混じえ、それについて説明している。
ざっくりと紹介しよう。
オセイ・チュチュ「以前、ローン選手は忘れられていたらしいね」
‘Previously players were forgotten about’ – Inside Arsenal’s impressive new loan system | Goal.com
昨シーズンはアーセナルのU-23でもRBで大変に印象的なパフォーマンスを見せていたというジョルディ・オセイ・チュチュ(21)。夏の退団も噂されながら、ひとまずはアーセナルでの将来を選び、2023年まで契約を延長しつつドイツへのローンを選んだ。
一時はボーフムでも出場機会をなくすなど苦境が伝えらていたが、現在は4試合連続でプレイしているとのこと。
※以下「」内はオセイ・チュチュの発言。※小見出しは訳者による。
新しいローンシステム
「アーセナルとは毎日連絡を取り合ってるよ。ぼくの試合を観に何度もやってきているね。常時連絡を取っているんだ」
これがアーセナルのローンシステムにおける新しいアプローチ。
かつてはローン選手は専用の携帯電話を充てがわれ、あとは放置されていた。しかしいまはもうそうではない。
現在ローンのすべての詳細はロンドンで追跡されている。2010年にAFCにやってきたベン・クナッパーは2018年2月にクラブで初めてのローン・マネージャーに就任。いまは彼がローンのすべてを把握している。
「ベンは実際すごいよ。誰かがその役割をやるとしたら彼がまったくパーフェクトだね。彼が電話をしてくる。ぼくが彼に電話する。トレイニングがどうだったかといつもメッセージをくれる。試合をプレイするときは彼は実際に試合を観に来て、試合後には電話で感想を教えてくれる。これがとても助けになっているんだ」
「以前聞いていたのはローンに出た選手の多くは忘れられてしまうということ。だからベンが起用されたんだろう。このシステムはいまいい感じだと思うよ」
「ぼくはフレディともよく話しているね。先週も話したばかりで、ニュルンベルクの試合を観てそれについて電話をくれたんだ。ペアだってほんとによく連絡を取っている。いいことだ」
厳しくなったローン先クラブの選定
ローン選手の扱われ方だけがアーセナルが変えたものではない。ローン先のクラブ選びもより慎重になっている。
エディ・エンケチアが夏にリーズにローン移籍したが、それは厳しい精査プロセスを経て決まったものだ。3つの候補クラブの代表者をロンドンコルニーに招待し、どう選手を使うつもりなのかをプレゼンさせた。そしてリーズが勝った。オセイ・チュチュのボーフムへのローンも似たプロセスがあった。
「ぼくのエイジェントがいくつかのクラブと会って、それからクラブはまたアーセナルとも話さなきゃならなかった。アーセナルはローン先でぼくの居場所があるかどうかを確かめる必要があったし、正しいクラブを選ばなきゃならなかった」
「ぼくにはイングランドやフランス、ジャーマニーから引き合いがあった。でもコンスタントにプレイできるところがよかったので、ボーフムが正しいクラブだと思ったんだ」
オセイ・チュチュ、ボーフムでのフットボールライフ
彼はボーフムでシーズンを始めたが、マネージャーが交替するとポジションを失った。
しかし現在は状況は改善している。オセイ・チュチュは直近4試合で出場。Stパウリとオスナブルックの試合ではスタートからプレイした。
「ぼくはプレイしてシーズンを始めたが新マネージャーの下では外された。でもいまはまた戻ってよくやっていると思う。ぼくはチームに入っていくためにマネージャーに自分を証明しなきゃいけない。ハードワークすることだ。チャンスをつかんでぼくがうまくやれるとわかったのでまだそこにいる」
オセイ・チュチュはケルンから50マイルのドイツ西部に住んでいる。ロンドンでスポットライトが当たっていた若者には、まったくの新しい経験で、最初は適応に苦労したと認めている。
アーセナルでの未来とリュングベリの貢献
トレイニングのない日はネットフリックス、プレイステイション、映画を観たりして過ごしているが、彼はアーセナルに戻ったときのことを考えている。
「試合は携帯電話かラップトップで観ている。ジョー、ブカヨ、エミール、リースたちはぼくのチームメイツで、彼らがうまくやっていてファーストチームでプレイするのを観るのはほんとにうれしいね。アーセナルがやっているユースシステムのやり方はずっとすごいと思う。彼らのハードワークが報われている」
「ぼくのプランだってファーストチームに入ることだ。このローン移籍が選手としての成長を助けてくれて、ぼくがどれだけいいか、信頼してもらっていいか示したい」
リュングベリのファーストチームでの役割。彼は昨シーズン、オセイ・チュチュがいたU-23チームのマネージャーで、強い絆がある。
「フレディはファンタスティックなコーチだし、それよりももっと人としてファンタスティックだね。なんでも話せるし、たくさん助けてくれる。トレイニングのあとでもよく話したっけ。ピッチでの成長を助けてくれる」
「昨シーズンはケガしてしまったときも支えてくれた。彼がいまファーストチームにいて若い選手たちの成長を助けているのを見るのはいいね」
以上。ここでもまたリュングベリを賞賛する若い選手が。
現在ライトバックはアーセナルの補強ポイントでもあるので、もしオセイ・チュチュが来シーズンにパワーアップして帰ってくれば、ベレリンのバックアップにはちょうどいい。これからの活躍を期待したい。
グナブリーのアーセナルキャリアはケガでした
1314にブレイクして、当時手強かったリバティのスワンズ相手にゴール決めて見せました
調子の上がらないオックスより序列が上の時もありましたからね
ケガで1415を棒にふったことが大きかった
ピュリスのふし穴はともかくアルビオンからオリンピック前もケガだった気がします
契約のタイミングでエジルとメルテのドイツ帰還のアドバイスもあり、
オリンピックでの活躍もあって(たしか当初完全なレギュラーじゃなかった)バイエルンがちょっかい出してきた
バイエルン報道がバッと出てすぐブレーメンと急遽合意
ホッフェンハイム介してからのバイエルンという当時から極めて怪しい動きを感じていました
ヴェラ等ほとんど有望株に買い戻しオプションやインセンティブつけているのに何らかの画策があったと考える方が自然だと思います
ドイツに渡った後でもアーセナルへの愛着を感じてましたので2~3年で戻ってくると思ってましたが
1314に18歳時点でのプレーぶりはセスクやウィルシャーなんかと比べても遜色無い才能を見せてました
現在に目を向けると、サカやマルティネリなんかはティーンネイジャーとは思えないすごいですよ