さあ、今日はノースロンドンダービー。たいへんに楽しみな試合。
マッチプレビューにも追記して書いたように、ブカヨ・サカが、英国を代表する国民的フットボーラーのスターとしてBBC Sportのインタビューを受けていた。
NLDのコメント部分だけ紹介しようと、ざっと読んだらこれがたいそうおもしろかったので、別エントリとして紹介したい。
ブカちゃんのアーセナル愛も確かめられるよきインタビュー。NLD前にぜひお読みあれ。
ブカヨ・サカ「ぼくはバリスタになった」
聞き手は英国のスポーツリポーター/プレゼンターのKelly Somers。※小見出しは訳者による
キャリアのはじまりとアーセナル一筋
(なぜ、フットボール?……)
BS:ぼくにとってフットボールは幸せなんだ。だから、そんなものがあるんだと知った瞬間から、ぼくのやりたいことのすべてだった。
(なにかほかのことをやる機会はなかった?……)
ぼくの頭のなかにはないね。たぶんうちの両親も。もちろん、彼らはぼくにプランBを持たせようとしたし、それはたしかに賢明だったけど、ぼくの頭のなかにはフットボールしかなかった。
(プレイしたいちばん古い記憶は?……)
うちの裏庭で兄と父とプレイしたこと。2 v 1だった。ぼく対彼らだよ。そしてふたりともぼくより年上だ。それでも全然負けなかった。それを受け入れなかったから。泣いて、なんでもやる。そこが始まりだった。
(それは何才くらいの話?……)
4才か5才くらいかな。
(最初のチームことはおぼえてる?……)
Greenford Celtic。全部おぼえてる。キットから試合まで。キットは緑と白のストライプで、セルティックみたいなロゴで。地元の公園でよくプレイして、試合の後はブーツがめちゃくちゃ泥だらけになって、木を蹴って泥を落とさなきゃならなかった。
ちゃんとしたフットボールだよ。ぜんぶ思い出せる。あれは、ぼくの人生でもとても大切なチャプターで、すごく楽しんだ。
(チームに入ったのは何才ころ?……)
たしか6才になってた。
(どの時点で「ぼくはかなりうまいぞ」と思った?……)
謙虚でもいられるし、自分が優秀だと信じることもできる。両方あってもなにもおかしくないと思うし、両方あっていい。そしてたぶんぼくにはそれが若いときからあった。でも、そんなこと考えたことはなかったけど。ただゲイムを楽しみ、それが上手だったというだけ。そのおかげで、もっと楽しくなった。
(当時のポジションは?……)
ぼくはいつもウィンガーだった。それがぼくの最初のポジション。レフトウィングだ。子どものころだね。
(ずっとアーセナル一筋でしょ? アーセナルとサインすることになるとわかったのはいつかおぼえてる?……)
ぼくがスカウトされたのは父さんが教えてくれた。それを覚えてるのは、違っていたから…… スカウトのカードをもらったんだ(※訳注:名刺のことか?)。ローカルチームをスカウトが観に来ていて、彼らが父さんにカードを渡して云ったんだ。「電話をください。トライアルをセットしますので」。
それがヘイルエンドに来た最初。ぼくの最初のトライアル。ちっとも怖くなかったね。まるでぼくは「フットボールをしにいくんだ、楽しまなきゃ」みたいだった。そしてぼくはそこでとても上手にプレイした。
ぼくがトライアルを受けたのはBチームだったと思うけど、とてもうまかったから彼らはぼくをAチームに入れた。そこから契約があり、それ以来ずっとぼくはアーセナルにいる。
(ずっとアーセナルだけ?……)
そうだね。キャリアのある時点では本人というよりは親が決めるけど。まだ子どもなら、よくわからないし、ぼくがなんて云ってたか知ってる? 父さんはぼくにはっきり云った。「アーセナルがわたしがキミにいてほしいクラブだ」。そして「Ok、じゃあやろう」とぼくは云った。
(なぜお父さんはあなたにここに来てほしかった? アーセナルとはどんな存在だった?……)
父さんはアーセナルを信じていた。その道筋を信じていたし、見えていたんだ。選手のことが見えていたし、もちろん当時はアーセン・ヴェンゲルの時代だ。彼がどれほどアカデミーを信頼していたか。どれほどアカデミーの選手を使いたがったか。
それに、アーセナルにはクラスがあり、そのプレイがあった。だから、そのすべてが父さんにぴったりだったんだろう。ぼくをここに行かせたかった。
(アーセナルファンがアーセナルでプレイするのはどれほど特別?……)
夢がかなうということ。もちろん子どものころは、ステディアムに行きアーセナルのいろんな試合を観た。そしていまそのひとりとしてピッチにいて、すべての人たちが自分を観ている。
家族がよくアーセナルについて話していて…… それがいまや自分のことになったんだ。そこにはたくさんのさまざまな側面があり、だから美しい。ぼくはどの瞬間も楽しんでいる。
(子どものころは実際にアーセナルをよく観に来ていた?……)
もちろん、イェア。
(そして、いまは試合のときさぞかしたくさんのチケットをせがまれるんでしょうね……)
それは子どもたちに訊いてほしい!
(アカデミーにいたころ、ファーストチームに入れるかもと思ったのはいつ?……)
いつか更衣室にいたときだったと思うけど、ぼくらは試合をしていて、チームはすごくよかった。相手チームを打ち負かしていたんだ。そこにコーチが入ってきて、それはたしかGreg Lincolnで、彼がこう云った。「みんな聴いてほしい……、キミたちは信じられないチームだが、このなかでひとりやり遂げたものがいる。ふたりかもしれない」。
そのときぼくは思った。「なんてこった、それは絶対ぼくじゃなきゃ。ぼくであるべき」。
(それはきっと多くの少年少女にはわからないものなんでしょうね。それを成し遂げる割合はあまりに小さいから……)
そう。コーチもすべての選手に云わないかもしれない。選手によっては彼らを萎縮させてしまうから。自信を奪ってしまうかもしれない。でも、ぼくには、すべてが完璧で永遠にバラ色であるわけではないことが、はっきりとわかった。だから、そのためにワークする必要があり、ぼくはそれがとても役立った。
オバメヤン、ダヴィド・ルイスへの感謝
(あなたのキャリアのなかで最大の影響をもたらしたのは、コーチやチームメイトの誰?……)
それは難しい質問だけど、ぼくはいつもダヴィド・ルイスやピエール・エメリク・オバメヤンについて話している。彼らはふたりともぼくがチームに入るのをすごく助けてくれた。彼らの歓迎のしかた、ぼくは大人しかったから……。
もちろんアーセナルに来たら、そこには自分のヒーローみたいな人たちや、ずっとスタンドから観ていた選手たちがいる。その彼らといっしょにプレイすることになる。それはぼくにはちょっと違う経験だったし、どう対処すればいいのかわからなかった。
誰かを不快にさせちゃまずいと思って、なおさらぼくは静かにしていたほうがいいかなとなった。でも彼らは、ぼくを歓迎してくれた。ぼくをありのままでいさせてくれたし、助言をくれて、自信をくれて、それでプッシュされた。
ぼくがピッチにいたときも、自信があるのは観てわかったと思う。それが完全に彼らのおかげで、もちろんほかのチームメイトたちも同じようにぼくを助けてくれた。
もっとブカヨを知ろう
(ブカヨ・サカの人となりをもうちょっと知りたい。あなたのフルネイムは?……)
ぼくの名前は、Bukayo Moses Ayoyinka Temidayo Saka
(それはナイジェリアンのルーツから? それに誇りを持ってる?……)
とても誇りを持っているよ。うちの両親はふたりともナイジェリアで育ったから、その価値観はぼくにもとても受け継がれてる。
(子どものころの典型的な一日は? 誰が家にいた?……)
覚えているのは、朝起きて、朝食を食べる。母さんがふだんは仕事に行き、父さんはだいたいそのへんにいた。だから、父さんが仕事に行くときは、ぼくと兄だけになった。でもいつも朝食は用意してくれていたね。
Hot cross bunに切ったソーセージ。フランクフルトにケチャップ。それが朝食だった。hot cross bunを切って、切ったソーセージをそれに挟んでケチャップをかける。信じられない、信じられないよ。父さんと母さんのおかげだ。それが誰のアイディアだったかわからないけど。
(それはいまはもうやってない?……)
ナー。もうやってないね。あれは育ち盛りには助かった。
(学校ではどんな子だった?……)
ぼくは学校ではとても優秀だったよ。すごく速く情報をまとめられるみたいに感じていた。理解力がよかったんだ。どの教科も、先生が説明し教えてくれることも。だから、ぼくはいい生徒だったと云っておこう。
(GCSEについては、以前あなたは取得したものについて話していたけど、どれほど優秀だったかおぼえてる?……)※一般中等教育修了証
あー、えーと、たしか4つのAと4つのAs。正確にはおぼえていないけど、どこかのオンラインだった。そんなに昔のことじゃない。
(試合後にあなたが最初に話すひとは?……)
そのときの気分による。ぼくは電話魔というわけでもないし。たいていは兄にテキストする。テキストはすごい来るから。とくに試合に勝ったり、ゴールを決めたりしたときには。たくさんのひとがお祝いしてくれる。ナイスだね。
(理想的なオフの日はどんな?……)
理想的なオフは、朝起きて、ひとりで散歩に行くこと。
(ひとりの時間が好き?……)
そうだね。最近はこれまでないほどに。自然のなかで歩きに出るのが好きなんだ。ただリラックスしに行く。すごく落ち着くし、ナイス。そして戻ってきたら朝食をとり、そのあとはロンドンに行くかな。親しい友人たちと食事したり。レストランへ行くとかそんな感じ。
もしもっと気分がノッているときなら、買い物に行ったり。だから、そうだね、そうしたことをただ楽しむのがいいオフの日。
(趣味はある?……)
フットボール。
あと最近はコーヒーをいれるのが好き。ぼくもコーヒー時代に突入したよ。いまやぼくはパートタイムのバリスタなんだ。
いまアートのやりかたも学ぼうとしているところ。あれは難しいね。すごく難しいけど、やればやるほどうまくなる。まだなにか描けるところまではいってないけどね。そろそろレッスンも受けるよ。
フットボールと人生のバランスをみいだす
(これまでのキャリアでもっとも誇らしかったときは?……)
いまかな。ぼくのこれまでは浮き沈みもチャレンジもあったから。セットバックやなんだかんだにも対処してきて、いまもここにいる。力強くやれているし、集中し、やる気もあり、とてもハッピーだ。
これは見過ごされがちなことなんじゃないかと思うが、ぼくは完全にそれを誇りに思える。すこしだけ大人になって、ものごとを理解し、フットボールに24時間すべてをかけることはできないということ。
だから、いいバランスを持つ必要があるんだ。スウィッチオフする時間も取り、人生のほかの部分も楽しむこと。
(それに気づくようになったのはいつ?……)
昨シーズンだったと思う。ケガをしたとき。その前は、ぼくはもうほとんどオートパイロットだった。試合につぐ試合、回復、試合。その他のことはほぼなにもしなかった。
でも当然、ケガをしてしまえば、愛することができなくなり、フットボールもプレイできない。文字通り、ほとんど一ヶ月のあいだ装具と松葉杖で、その他のやりかたで楽しみを見つけねばならなかった。
それが脳のべつの部分を開かせたんだ。ものごとの別の面を見るための。それ以来、まるでフットボールよりも人生のほうがちょっと多いみたいになった。フットボールだけじゃない。もちろんそれと同時にフットボールはぼくの人生そのものでもあるんだけど。
だから、バランスを見つける努力をすることだ。ぼくにはいまも以前と同じようなフットボールへの献身もやる気もあるけど、ちょっとしたブレイクとスウィッチオフも同時にみつけようとしている。
(人生でなにかひとつだけかなえることができるとしたら、それは何?……)
すべてのトロフィ。アーセナルとイングランドで。それが間違いなくぼくがキャリアで達成したいこと。
(いまここに座っているブカヨ・サカをあなたはどう説明する?……)
さっきも説明したように、自然な進化があると思う。
選手として、人間としてのぼくは、期待されていたものも、生きた人生も、いまはまったく違うものになっている。自然とここからあそこに行き、違うことを学び、大人になり、成長する。そういったこと。そうだね、だからぼくはそこがたぶんもっとも大きな違いだと思う。
(でもあなたはいまも楽しんでいるでしょう? だってあなたはドレッシングルームでもジョークばかり云ってるひとりだし……)
そうだね。それがいちばん重要だ。そう思う。楽しんで、笑顔で、毎日笑って。そこは外せないと思う。絶対にそれがなきゃダメだね。
以上
バリスタになった。ウケる。アートと云っているのは、いわゆるラテアートみたいなやつのことか。うまいコーヒーのみたい。
今回のインタビューでアーセナルファンにもっとも注目されていたポイントは、ルイスとオバメヤンについてのコメント。
質問では「キャリアのなかで影響を受けたコーチや選手」と云っているので、質問者の意図ではユースコーチやエメリ、アルテタあたりの話を聞きたかったんじゃないかと思われるが、彼の答えはルイスとオバメヤン。まあこのふたりでもおかしくはないが、ちょっと意外性はあるか。
あのとき、ルイスは間違いなくジャカとともにチームのリーダーだったし、オバメヤンはああいう毎度お騒がせなキャラクターでも、彼もチームキャプテンだった。ああいういつもふざけて笑って、いつも冗談を云っているようなタイプのリーダーに救われる若い選手もたくさんいたんでしょうな。厳格とかまじめとか、そういうのじゃない方面のキャプテン。
さあ、今日はNLDでブカヨ・サカはチームのなかでももっともゴール/アシストが期待されるひとり。
活躍を祈ろう!
おわり









