ゆうべは、日本代表(オリンピック代表)のアルゼンチンとのフレンドリーマッチを3-0になるところまで観ていた。
アルゼンチンの皆さんはコーチ含めて、インド人のレフェリーにだいぶフラストレイションをためていたようだが、ぼくにはそこまでホームチームに有利な判定にも見えなかったがどうだろう。多少はあったのか。でも、そこを考慮しても、日本チームはちゃんと強かったと思う。田中碧っちゅー選手はゲンドゥージみたいでいいね!
いちばん印象に残ったのは、プレイのインテンシティと攻撃での積極性。相手に臆せず、自分たちが主導権を握る気まんまんでガツガツ行くし、ボールを奪えば落ち着きと勇気が同居していて、チームとして非常に大人びていた。なにより観ていてすごくおもしろかった。あんなプレイができるなら、本番でもいいところまで行くんじゃないだろうか(ていうか東京オリンピックってやるの?)。
ぼくのあたまのなかはつねにアーセナルでいっぱいなので、ほかのどんなチームを観てもアーセナルのことばかり考えてしまうのだけど、この極東の若いチームにすら、アーセナルをよくするヒントのようなものがあるなあと思った次第。
EPL 20-21でいちばん「おもろい」チーム
ところで、日本代表のプレイを観ていて、ぼくが想起したのは今シーズンのリーズ・ユナイテッドだった。伝説的マネジャー?マルセロ・ビエルサのチーム。
とにかく運動量の多い激しいプレイと、ボールを持ったときの積極性。そのボールを失うことをまったく恐れいていないようなプレイは、今シーズンのアーセナルはもちろん、ほかのチームとも一線を画しているユニークなスタイルだと思う。ぼくはリーズの試合をいつも観ているわけではないが、たまに観たときはいつもそう思う。
彼らは得点も多いが失点も多いチームで、ゆうべはその日本の試合を観たあとでふと思い立って、現時点でのPLの得点(GF)と失点(GA)を合計した独自のテーブルをつくってみたら、案の定リーズがリーグランクでトップであった。彼らが得点も失点も、とにかくもっとも得点が入る試合をやる、ある意味で、いまもっともエンタテインメントなフットボールをやるチームと云える。
他方、下へ行くほどゴールが少ない試合をやる、いわば「退屈な」チーム。それが、このテーブルの見方である。
※実際は誰にとってもひいきのチームが得点するほうが楽しいし、得点に関係なく勝つほうがうれしいに決まっているわけだが、あくまで一般的なスポーツの魅力としてゴールが多い試合のほうがエンタテインメントでしょうという。世の中にはマイチームを持たずに楽しむファンもいるそうだし。これからEPLを見始めようというアメリカ人なら、このテーブルはマイチームを決めるのにかなり参考になるはずである。しらんけど。
このエンタメテーブルで、アーセナルはボトムハーフの13位。退屈方面なチームのひとつとなっている。
リーズの話に戻ると、彼らがすごいのは、あんな破れかぶれのようなプレイをしながらも結果をちゃんと出していること。現在PLテーブルで11位ということは、アルテタの下で堅実っぽいプレイをしている9位のアーセナルと結果はほとんど変わらない。3ポインツ差。29試合もプレイして、たった1勝分の差しかない。
今シーズンの彼らはセットピースでやられまくりで(※失点15でリーグワースト。ちなみアーセナルは失点4でベスト2)、そこが改善されると本来のリーグテーブルに劇的に反映される可能性だってある。
つまり、リーズは観ていてエキサイティンなだけでなく、結果の見た目より、もっといいチームかもしれないということだ。
ボールを失うことを恐れないビエルサのメンタリティ
ビエルサがリーズでやろうとしていることは、また違う道筋からの理想のフットボールの追求のように思える。
ボールを持ちつづけるポゼッションスタイルや、ロングボールを多用するダイレクトなスタイル、あるいは守ってカウンターなど、たどり着きたい場所に至るまでにはさまざまなアプローチがあるが、彼らの場合は、相手を「運動の総量」で上回れば、自ずと試合を優位に進められるという考え方に基づいているように見える。
運動で相手を上回れば、ボールを失ってもしっかり守備に戻れるし、途中で奪うこともできる。だからボールを失うことが怖くない。ボールを失うことが怖くないということは、攻撃においては可能性が低かろうが高かろうが、何度でも繰り返しチャレンジができるということでもある。彼らの試合のもっともインプレッシヴなところは、あの大胆でチャレンジングな攻撃プレイだと思う。無謀にも見えるようなプレイを平気でやる。だから意外性があって効果的でもある。彼らのここまでの得点45は、アーセナルより5も多い。
そしてそういった積極性がいいプレイを呼び、選手たちの気持ちが上向くという好循環がある。五分五分のメンタリティでは失敗するようなチャレンジを成功させてしまう。観ていてワクワクするし楽しい。
それがぼくが彼らの試合を観ていて感じる印象だ。アルゼンチン相手に3得点した昨日の日本代表にも似たようなものを感じた。彼らは失敗を恐れず、タイトなエリアにもどんどんボールを入れていた。
もちろん、それがどんなチームにおいても最適解でありえないのは、同じ人間がやる競技だからである。人間は必ず疲れるし、同じ人間だから、そこまで大きな違いはない。
そこにビエルサのチームビルディングのチャレンジがあるのだろう。
以前このブログで、彼らとの試合プレヴューでも少し触れたように、彼らには「murderball(殺人ボール)」とも呼ばれる、かなりインテンスなトレイニング方法があって、選手にとっては「試合のほうがラク」と感じるくらい激しいものだそうである。
選手が相手よりも疲れなければ、そこに勝機がある。そんなアプローチでプレイするPLチームをぼくは知らない。
アルテタのメンタリティ?
一方で、アルテタのアーセナルは、基本的にボールを失うことをいつも恐れているように見える。怖がりすぎと思えるくらいだ。それはボールを失うことで、選手が疲労することを恐れているからかもしれない。
ボールを失えば、ボールを追いかける必要があるし、無駄な走りを強いられる。疲れればボールを奪えないし、プレイの精度も下がる。だからなるべくボールを失いたくない。
いまはNo.10プレイヤーを起用するようになり、その部分はそれなりに改善されたように見えるが、それでもやはり根っこの部分では、無謀なチャレンジをするよりは、ボールキープを優先しているように感じる。
アーセナルの守備を立て直そうとしたウーナイ・エメリは、あまりに後ろ向きで現実主義的すぎると批判されて、結局結果も出ずクラブを去っていったが、アルテタにもそれと似たような現実主義的・保守的な傾向はある。そしてそれが悪い影響を及ぼすことも。
とくに、クリスマス以前のPLで10試合勝ちなしみたいなどん底に悪かった時期は、ボールを失うことを恐れるあまりに、Uシェイプでボールを回すばかりでチャレンジングなパスがまったく出せず、もうほんとうにしゃっちょこばっていた。
リーズに見られるような好循環とは逆の状態で、後ろ向きなプレイが選手の気持ちを下げてそれでまた後ろ向きなプレイに陥るという、はっきりと悪循環に陥っていた。そういう負のメンタリティが、結果に出てしまうのがフットボールの怖さである。
アルテタがアーセナルに来た当初は、チームが90分集中を保てないというフィジカリティの問題があったので、ボールを失わない戦略はそういうチームにおいては理にかなっていたかもしれない。だが、以前ほどにはフィジカリティについて問題にならなくなったいまも、ボールを失うことを恐れる傾向はあまり変わっていないように思える。
アルテタが、ワイドでペペやマルティネリよりもウィリアンやESRのようなタイプを起用したがるのは、ゴールへ向かうチャレンジよりも簡単にボールを失うことを嫌っている証拠かもしれない。
そのおかげで攻撃の安定や、相手ハーフでの支配を取り戻したところはあるが、ペペやマルティネリのような、直接ゴールへの脅威になれるほうの選手をベンチに置いておくことが最良の選択なのかは、確信は持てない。
魅力的なフットボールの追求
最近、FIFAのアーセン・ヴェンゲルさんが新しいフットボールのルールを提案しているということが話題になっている。
ヴェンゲルさんは、IFAB(The International Football Association Board)でスロウインやオフサイドなどいくつかの大胆な新提案をしていて、もし実現したらフットボールという競技にかなり大きな影響がありそうで非常に興味深いのだが、そういった提案をするときの彼の基本姿勢は「フットボールをより魅力的なものにする」というものだ。ゲイムをもっとおもしろくしようじゃないかと。
それはおそらく彼はアーセナルでも実現しようとしていたことで、いまはそれをフットボール競技という、より上位の世界で実現しようと情熱を傾けている。
そしてぼくが考えたのは「ゲイムをおもしろくする」ということは、アーセナルを今後進歩させていくうえでも非常に重要な視点なのではないかということ。それはミケル・アーセナルには若干欠けている要素のように思えるなと。
いや、いま現在のチームはそれ以前に比べたら比較できないほど、十分攻撃的でエンタテインメントなプレイをするようにはなっている。だが、もっともっとそうできそうにも思う。パーティをアンカーにした4-3-3のような積極的なフォーメイションでプレイする未来を考えてみていただきたい。いまはまだどこか後ろ向きなメンタリティが残っている。ミステイクを恐れるあまりにミステイクを繰り返してしまうみたいな。それもまた毎試合で観られることだ。
そういった視点を考えるときに、かつての向こう見ずなアーセン・アーセナルを思い出すし、いまのリーズが思い浮かぶ。ボールを奪われることを恐れずにチャレンジするチーム。たとえ未熟でも、アタッキングフットボールというコンセプトは明快。失点しないことよりも、まず得点することを考える。
ビエルサのリーズには、じつはアーセナルの未来へのヒントがあるんじゃなかろうか。
ヴェンゲルさんのアーセナルは最後は守備崩壊という状態にまで陥ってしまったことは残念だったが、基本的にはいつだって守備よりも攻撃を重視してプレイさせることで結果を出してきた。攻撃をしているかぎり攻められないという、シンプルな理念があった。
あのときは、いくら得点しても失点すれば無駄になるのだし、なぜもっと守備に気を使ってくれないのだ?!とだいぶストレスをためたものだが、ウーナイやミケルが守備を気にしてチームを保守的にプレイさせていたときよりも、ヴェンゲルさんが攻撃重視でチームをプレイさせていたときのほうが、もっともっと攻守で安定していた。15-16シーズンは、アーセナルがタイトルを取っているべきだった。
↓拙ブログの18-19のシーズンレヴュー記事だが、それ以前のシーズンとの比較がまとまっている。
エメリファーストシーズンの守備と攻撃。エメリは支持に値するコーチか?【18-19シーズンレヴュー的ななにか】 | ARSENAL CHANGE EVERYTHING
目標にたどり着くためには、どんなアプローチもアリだ。唯一絶対という正解はない。しかしどれでもアリなら、やはりアーセナルは攻撃することを恐れないチームであってほしい。それが世界中のファンが愛しているアーセナルらしさなのだろうから。それをアイデンティティとかフィロソフィのように云ってもいいが、ここはあえてロマンと云いたい。
当然アルテタはアルテタで考えている成功までの道筋があるだろう。守備を立て直し、攻撃を立て直し、より攻守でバランスが取れたチームになる。(おそらくは)ペップ・グアルディオラというはっきりした目標がある。それを否定する気なんてまったくない。彼ならきっとうまくやってくれるという期待もある。エメリのときと違うのは、プロセスの先がちゃんと見えていると信じられることだ。
ただ欲を云えば、アーセナルのファンとしていまのチームのプレイにはロマン成分がもう少しほしい。たとえいまより少しくらい守備が脆弱になったとしても、リーズみたいに攻撃でワイルドになってほしい。
ESRをNo.10で起用し始めたのは最高だった。あれは守備的な選手をひとり減らして、ボールの前の人数をひとり増やしたのと同じだ。そして攻撃的になって守備にもいい影響を与えた。理想的なステップだった。
つぎのステップがどうなるか見てみよう。
とりとめなくおわる。
PS:リーズもビエルサもよく知らないで語っちゃってなんかごめん。
まあやっぱりジャカを外してFWを入れて4-3-3って話になるんだと思う。
ただパスの起点を削ってFWを増やすので、増やしたFWの動き次第ではパスが全く回らない可能性もある。ウィリアンならゲームを作るのも上手いけど、ぺぺやマルティネリだと少し芸風を広げる必要があると思う。
一方で、例えばマルティネリの推進力がケミストリーを生み出す可能性も大いにある。
パスコースを作り続けられるのであれば、タテへの推進力はあったほうがいいに決まってる。
目下の問題は守備よりも、むしろ攻撃だと思う。
最近の試合で悪い時間帯は、誰も動かないからパスコースが作れず、完全に手詰まりになってボールを失ってる。
あれは奪われ方としては最悪で、「サア皆さんこれからボールを失いますよ、準備はいいですか?」と言ってからボールを奪われてるようなものだ。
相手はボール奪い切る5秒前から逆襲の準備ができ、そうなってから守っても、もう遅い。
ビエルサのサッカーじゃないけど近年では攻撃と守備は一体なので、攻撃が機能しなければ守備も機能しない。
ジャカを外すにしろ、FWを増やすにしろ、そういう文脈での交代であるべきだと思う。