こんにちは。
『The Players Tribune』のジャカ。いいインタヴューだと話題になっていたので、読んでみたところ、なかなかの内容だった。
Let Me Set a Few Things Straight | By Granit Xhaka
ここであらためて振り返られている、2019年のジャカとアーセナルファンとのトラブルなどは、このブログでもさんざん取り上げたし、個人的にはもうあまり興味もなかったが、それ以外にも興味深い事実がいくつか語られている。
今回は、拙訳でこれを紹介しよう。
“いくつかはっきりさせてほしい” by グラニト・ジャカ
聞き手がいるインタヴューだろうが、記事はすべてジャカのモノローグ(ひとり語り)という体裁になっている。味わい深い演出。改行もそのままイキで、記事を再現しよう。
荷物はまとめていたんだ。
パスポートの類も。
ぼくはもうアーセナルでは終わった。フィニッシュだ。目の前には、ほかのクラブとの契約書があって、あとはもうぼくがサインするだけ。妻のLeonitaとも話して、ぼくたちは去ることを決心した。
ミケルにも、別れのあいさつをしようとしていた。そのあと飛行機に乗る予定だった。
それが2019年の12月だ。その2ヶ月前…… まあ、ああいうことが起きた。もしかしたら、キミだってあそこにいたかもしれない。それについて、たくさんのことが云われてきたし、ぼくは、とうとうはっきりさせるときが来たと思ったんだ。
まず最初に、ぼくはこの点をはっきりクリアにさせておきたい。ぼくはアーセナルを愛している。つねにそうだったし、いまもそう。ぼくは去る日が来るまで、このクラブに全力を捧げる。いっぽうで、ぼくのことを好きじゃない人たちがいるってことも、わかっている。それもフットボールだし、理解している。
だが、クリスタル・パレス戦の日、一線を越えた。ぼくらは2-0でリードしていて、彼らに2-2にされた。そのあと、ぼくは60分あたりで下げられた。ブーが聞こえてきたとき、ぼくはようやく歩き出した。そしてそのブーは隅に数人いたとかではなく、たくさんの人からだった。ショックだった。そんなのはそれまで経験したこともない。トンネルに近づいたときには、上のほうに座っているファンの表情も見えた。そこはこれからも思い出す場面だろう。
いま目を閉じても、彼らの顔が見える。彼らの怒りの表情が見える。
それは、彼らがぼくを好きかどうかみたいなことじゃない。そういうことではなく。
ヘイトだ。純粋なヘイト。
これは大げさでもなんでもない。
聴いてほしい。ぼくは批判が問題だと思ったことはこれまで一度もない。今日のジャカはXXだった? 問題ない。でも、自分のチームのファンからのブーはどうか? キャプテンで? それは違う。これはリスペクトの問題だ。その単語は、子どものころから、ぼくにはずっととても大切なものだった。母から受け継いだものだ。親をリスペクトしなさい。自分のクラブを、チームメイトたちを、ファンたちをリスペクトしなさい。
あの日、ぼくはかなりのディスリスペクトを感じた。コメンツは一線を越えた。個人に向けたものだと感じた。
イエス。ぼくはアーセナルのキャプテンだった。
でもそれと同時に、ぼくは人間でもある。
だから人間として、傷つき、反応した。
ぼくは云い返し、耳を塞ぎ、ピッチを出るときにシャツを投げ捨て、トンネルに向かった。
ぼくのしたことは間違っていたか? イエス。
しかし、明日またそれが起きたとき、果たして自分はそのときと違うことをやるか? 正直、わからない。
そこは正直にならねばならない。ぼくは感情的な漢だ。あのレヴェルの嫌悪やディスリスペクトは、最悪の敵にも感じさせたくない。いまだに敗けたときは、トンネルまでの数メーターを歩くのがイヤだ。なぜなら、ぼくはまだ顔を覚えているから。同じ人たちがまだそこにいる。
だからいまは、そういうときは、下を向くんだ。
ぼくは一度そういう悪夢を切り抜けた。もう二度とごめんだ。
ぼくの両親とエイジェントもパレスの試合には来ていた。その翌日に、ボードと新契約について話をすることになっていたから。でもぼくらは試合の終了すら待てなかった。帰宅する途中、誰一人口をきかなかった。ぼくの運転中、1時間もただ沈黙していた。電話も会話もなし。ゼロ。家に着いたとき、最初に声を出したのはぼくの母さんだった。
彼女はこう云ったよ。「えと…… 何が食べたい?」って。
典型的マムだよね。ぼくを慰めようとしたんだ。でも、ぼくが母の目を見ると、母もまたすごく落ち込んでいるのがわかった。
何人かから電話ももらった。ヘクター・ベレリンやベルント・レノ、エドゥ。それはよかった。でも、そのあと父さんに、彼からこれまで聴いたこともないようなことを云われたんだ。
「去るときだ」と。
あの父がそう云った。その意味がわかるかい?
彼がなにを経験してきたか?
ストーリーを手短に話すよ。1986年、ユーゴスラビア。最愛のひとと結ばれた21才の学生がいる。一ヶ月後には、コソヴォの自由と独立を求めて反政府デモをやったと監獄に入れられた。彼のフィアンセは彼がいつ出られるかもわからない。そもそも出られるのかどうかもわからない。なぜなら、そういった監獄で何が起きているのかまったくわからないのだから。しかし、彼女は待った。一年が過ぎ、また一年が過ぎ…… 三年がたってもまだ待っている。ついにその半年後にようやく解放された。そのあとに結婚したんだ。しかし、彼らはそこに残るのは危険だと感じていたので、海外での新生活をスタートする。
それがうちがスイスに来たいきさつ。ぼくはそこで生まれた。
ぼくが父さんにこの話について訊くと、彼はいつだって感情的になった。これは、ユーゴスラビア戦争の数年前に起きたことなんだよ。そこは「ふつうの」監獄じゃなかった。父さんがいまだにぼくに云いたくない、たくさんのことがあった。
いずれにせよ、ぼくは自分のキャリアのなかで問題があったとき、ぼくがギヴアップしたくなったとき、いつも父さんは同じことを云う。
「絶対に諦めるな(Never walk away.)」
絶対に。
ただハードワークしろ。
ぼくが14才のころ、ぼくはすごく小柄で、痩せていた。コーチがよく兄のTaulantについて話していた。彼がいかに才能あるかと。実際に彼にはあったんだ! そして、彼らはぼくにこう云った。「よく聞け、おまえは絶対にプロにはなれない」。
そのあと15才のときに、ぼくはACL損傷をやった。8ヶ月アウト。復帰はしたけど、ひどかった。Whoooof. DISASTER! ぼくはタックルに行くのが怖かった。こんなふうに云われた。
「おまえはダメだ」
「プレイをつづけることもできないのか?」
ぼくは、そのときには、もうオフィスでのインターンシップをやっていた。現実の生活に備えていたんだ。
しかし、50-50に行けた試合がひとつあって、そのときにこう思った。「これだ。オールインするか、そこで諦めるか」。ポーカーみたいだった。ぶっこむこともできるし、フォールドもできる。これが、ぼくのプレイだ。だから、ぼくはハードに行った。ヒザは問題なかったし、それがすべてを変えた。突然に、自分に自信がついた。自分のいつもの試合をプレイできた。
そのあとすぐU-17に入った。ナショナルチームでは一度もプレイはしたことはなかったのに。たしかトレイニングマッチでケガ人が出た代わりでぼくが呼ばれた。そして2009年にはU17ワールドカップで優勝した。それが、Borussia Mönchengladbachへの道を開いた。でも最初の半年は? Puh. またしてもひどかった。10試合くらいやったあとにはベンチになった。
それが2012-13シーズン。ぼくは1月に父さんに「移籍したい」と云ったんだ。
「黙れ」と云われたよ。
「でもぼくはここにプレイするために来たんだ」
「それは道ではない。ドアはそこにある。誰でも出ていける。強くなり、休むよりもっとハードにワークする。それが難しいのだ」
じつは父さんは、フットボールコーチだったんだ。よくぼくの試合をふたりでいっしょに分析する。彼はつねにとても批評的で、たとえぼくが2得点してもこう云われる。「イエス。だが相手のこのポジショニングが悪かった……」。でも90%は彼が正しい。いつも冬休みはコソヴォの家族のところへ行くが、その年は自宅に残りトレイニングしていた。そしてチームに戻ってから、2015-16シーズンにキャプテンになった。だから父さんは正しかった。いつものように。
ユーゴスラビアで監獄にいたときには、フットボールチームでベンチに座っているなんてことを想像するのは、かなり難しかったと思う。
とにかく、それがぼくらの関係性。だから、ぼくがパレスでブーされて、彼に去るべきだと云われて、ぼくはどう考えればいい?
みんな知っているように、ぼくはスクワッドから外されて、キャプテンシーも失った。ミケルが12月に来て、ぼくは彼に移籍を希望していると伝えた。彼は完全に理解をしていた。その数日後に彼とすこし話す機会があり、そのときは妻も連れて行った。ドアの後ろには、もうスーツケースも置いてあった。
一度あのような決断をすれば、その決心を変えるのはかなり難しい。しかし、ミケルは話し始めたんだ。ぼくが彼のプランのなかでいかに大きな部分を占めているかを。彼は温かかった。正直で率直だった。明解なプランがあった。ぼくは彼を信頼できると感じた。彼はぼくに、その決断が正しいかどうか証明するために半年くれと云った。そのときにまだ移籍したいのなら、それはそれで問題ないと。
ふつうぼくは、そうした決断をするときに長い時間をかける。周囲のひとたちに相談して、いいところと悪いところを洗い出す。だが、その日は自分のルールを破った。
「OK」とぼくはミケルに伝えた。
ぼくは妻と両親に「残るよ」と云った。
彼らは「そんな……」みたいになっていた。
だからぼくは云ったんだ。「イエス。荷物を解こう。これは新しいチャレンジだ。ぼくといっしょか、それともひとりでやることになっても。これを乗り越えることにしたから」
もちろん、家族はぼくといっしょだった。でもあれはキツかったな。こんなXXなことが、実際に起きたんだから。家族みんなこう云ってた「もう行きましょうよ!」。父さんも云っていた「もう終わったんだ」。それでなぜ戻る? なぜなら、ぼくはそれが自分で決断するに十分自分のことだと感じたからなんだ。彼らに云いたいことを云わせておくのか? ぼくが役立たずだと思っている人たちは? 誰がぼくを憎んでいる? ノー。それはぼくではない。頭ではアーセナルを去っていた。だがハートではそうではなかった。
ハートがぼくに語りかけてくる。「こんなふうに、このフットボールクラブを去ってはいけない」。
ミケルとぼくは、ふたたびぼくの将来について話すことはなかった。半年後のぼくは(ミケルが云ったとおり)ハッピーだったからね。いま、ぼくは自分が正しい決断をしたのだとわかる。完全に。だってぼくはまだここにいる。だが、ぼくとファンとの関係がずっと同じだというふりをすることはできない。あのできごとは、いつでもぼくのこころに残っているから。
割れてしまったガラスのようなものだ。わかるかい? かけらを集めることはできても、そこに裂け目はある。
ファンとはいい関係になりたい。お互いをもっとよくわかりあいたい。これこそが、今回このようなことを伝える理由なんだ。ぼくら選手が特権的であることは理解しているが、ぼくらの人生がかなりかなり困難なものになりかねないこともまた、理解をしてもらいたい。もちろん、ぼくらの問題についてはみんなが知り得ないこともある。それについては話さないし、共有もしないから。みんなにとっての選手は、90分走り回って「さよなら!」。でも、それが正しいことだとは思わない。
こう云うかもしれない。「そうだね、でもそれがキミらの仕事だろ。それで大金を得てるじゃないか」。イエス。それもわかってる。
しかし、もし家族の誰かが死んだら、どう感じる?
妻が身ごもっていて、明日はバクでファイナルをプレイしなきゃならないとしたら。
それでも簡単かい? ぼくにはそうじゃないね。イエス。金は大事だ。しかし、すべてじゃない。
そして批判だ。思うに、イングランドではたくさんの選手がそれに怯えている。ぼくは対処できる。できない日もある。しかし、正直に云うと、ぼくはスイスでプレイしているほうが楽ではある。そこではもっと愛情が感じられるから。ミステイクをしたとき? OKだ。そういうこともある。でもここでは? 彼らに殺される。信じがたい。
ある週は「彼はすごくいいぞ!」
翌週は「彼はXXだ」
そのせいで選手は「Ah、今日はミスをしたくないなあ」。彼らは安全にプレイする。
ぼくらが試合で敗けたとき、みんながぼくについて何を云っているか知っている。いいプレイをしているときは、誰も何も云わない。だが、みんながどう思うかわかる。自分が聴いたことを忘れていない。
「カードが多すぎる」
「彼が試合を殺した」
聴いてほしい。カードはいつだってぼくのゲイムの一部になっている。ジャーマニーでもそうだった。50-50の話、おぼえてる? ぼくはオールイン。トレイニングでも同じ。もしぼくが相手に肘鉄を食らわせたら、「ごめん」と云うのはまずぼくだろう。でもタックルは? みんな待ってくれよ、これは銃弾じゃないんだ。
「そうだろうが、あまりにも多い」
じゃあ、ぼくから質問させて。「なぜコーチはぼくをプレイさせつづけるのか?」。ぼくが“good guy”だから? 違う違う。ぼくがハードにトレインしているからだよ。ぼくはハードにワークするし、チームメイツを助けようとする。なぜなら、ぼくが信じているのは、トレインするように試合でもプレイするからだ。
ぼくが思うに、ぼくらを批判する人たちには試合を観てもいないひともいる。ホームで敗けた試合があった。ぼくはケガをしていて、ボックスから試合を観ていた。それでもこんなメッセージを受け取る。「今日のお前はXXだった」
ところで、ヘイターズにはぼくからこれを云わせてもらいたい。キミたちは、ぼくについて云いたいことを云えばいい。しかし、ぼくの家族には一切触れるな。OK? 妻、子どもたち、兄弟、両親。家族は関係ない。そこが限界であるべきだ。誰かを批判したいのなら、お願いだから、ピッチにいるものにしてほしい。
もちろん、ぼくらが勝ったときはおとなしいものだ。しかし、何試合か敗けたらすぐ、同じ批判が戻ってくる。これがフットボールってものなんだね。
でも、ぼくは変わらないだろう。キーボードのうしろに隠れているような奴らのためには。ノーチャンスだ。
おもしろいのは、現実世界では、誰もぼくに「おまえはXXだ」なんて云わないことだ。一度もないよ。ぼくの顔を観ながらそれを云ったものはいない。彼らはなんと云っているか。たいていは「Ah、キミがベストだよ、すごくいいね……」。ほんとにそう思ってるひともいるんだろうが、そのほかはオンラインで「あいつをわれわれのクラブから追い出すべきだ」と。だから、つぎの機会にはぜひともぼくに直接云ってもらいたい。「グラニト、今日のおまえはXXだった」と。それで問題ないよ! 約束しよう。ぼくはそれをポジティヴに受け取る。率直な意見は尊重するんだ。でも、ウソに関わってるヒマはないよ。
これは有名人であることで起きる最悪なことのひとつだ。みんなリアルで知ってるわけじゃない。ほんとにそういうのは望んでいなかったのだが。ぼくはキミと同じのふつうの人間。でしょ?
イエス。90分のあいだは、ぼくはグラニト・ジャカ。アーセナルのミドフィールダー。
しかし、その日以外の一週間は、ぼくはロンドンに住んでいて妻とふたりの子どもがいるだけのただのスイス人さ。
違う生活は望まない。すべての食事を自宅にオーダーなんてしない。10人の護衛を引き連れて散歩なんてしない。ノーノーノーノー。ぼくが有名だからというだけで、すべてを変えなきゃいけないの? それはない。もしぼくがパーティに行くときも、ぼくは集団のなかにいる。もし家族がレストランで食事をしたいのなら、ぼくもそこにいる。もしうちの子どもたちに食べ物を与えたいのなら、Sainsbury’sへ行く。それがぼくが望む生活だ。
しかし、ぼくにもできないことがある。もし子どもたちがMcDonald’sで食べたいと云っても、ぼくは行けない。なぜなら誰かに撮影されて、それがインスタグラムにアップされ、それが翌日の新聞に載る。ぼくは他人になんと云われるか気になるだろう。これはぼくにとっては、よくないんだ。でもそれが現実。
もちろん、ぼくはプロのフットボーラーになれたことには感謝している。しかし、オフザピッチでは、正直云って、以前やっていたような私生活を送りたい。
ただのグラニトだったころに戻れば、それはぼくだ。
もうぼくはアーセナルのキャプテンではなくなっている。しかし、ぼくがみんなに約束できるのは、それでもキャプテンのように振る舞うということ。アームバンドがなくても。それは可能だ。ぼくはチームメイツやスタッフからとてもリスペクトされていて、そのことにはすごく感謝している。ぼくはつねに若い選手たちを助けるし、自分たちのパフォーマンスには責任を負う。
アーセナルは、いまでもぼくのここのなかにある。100%。ぼくのチャレンジは、自分に向けられた意見を変えることなんかじゃない。チームを助けることだ。そしてそのあとには、それによって誰かが考えを変えてくれたら、それはすばらしい。
ぼくとファンがベストフレンズになれないだろうことも理解している。しかし、ぼくの望みはお互いに率直に、尊重しあえること。わかってほしいのは、ぼくがピッチのどこにいようと、それは正しいところから来たということ。
もしぼくが遅れてタックルをやるとしても、それはアーセナルのためにファイトしているから。もしぼくが短気じゃなくなるなら、それは気にしているから。
ときどき、ぼくは気にしすぎているかもしれない。
もちろん、フットボールでは未来は絶対に予測できない。しかし、いくつかのことはわかるんだ。このシーズンのあと、ぼくには2年契約が残っている。
ぼくはこのクラブをいまも愛している。
ミケルがグレイトなチームを築いていると信じている。
そして、ぼくはここで特別なものを成し遂げたい。
以上。なんだか短い映画でも観ている気分に。。。
このインタヴュー、まず映像が発表されて、30分弱の文字起こしはさすがにキツいのでスルーしようと思っていたのだけど、こうしてトランスクリプトがアップされて、非常に助かった。
内容としては、これまでの彼の似たようなコメンツで既視感ある部分もあるし、あらたに知った部分もある。
でも全体的に、彼の両親の生い立ちからアーセナルでの困難から、いろんな意味でドラマティックな人生がつづられていて、もしこうしたバックグラウンドが世間に共有されていたら、ぼくらももっとグラニトに優しくなれたのかもしれないとは思った。まあそのひとの人間性と選手としてのピッチでのプレイは関係ないので、パフォーマンスの評価が覆るかといえば、そんなことはないけども。すくなくとも、犯罪的な非人間的なリアクションは減ったかもしれない。
ひとつ興味深かったのは、彼が15才のときにACLをやったというくだり。これは新事実では。
彼は、アーセナルでもスピードがないとか、ターンができないとか、CMとしての機動性について疑問をもたれがちであるが、じつはその大ケガのせいでアスレティシズムに大きく影響を受けた可能性がある。
r/Gunnersの当該サブでは、その件についての議論が盛り上がっていた。選手が、そのような成長期にACLをやってここまで大成したのは、かなりのレアケイスなのではないかという。とあるコメントより。
彼のACLのケガが、彼のターンにおけるモビリティの欠如をかなり説明している。そのことが、彼のトップリーグでの成功をさらにすごいものにしているよ。
ぼくも16のときにACLとTCLの断裂をやって、脚の速い選手から、深く陣取るMFになったんだ。30になったときに松葉杖で歩くことになるリスクもあるから、もうフットボールをプレイできないとも云われたね。
自分のことを思い出して、どうしてジャカがケガをしたほうの側でクイックにターンできないのか、ようやくその理由がわかったね。
真相はわからないが、それにしても、だとしたら、それでよくここまでの選手になれたものだと感心する。
今シーズンの残り試合、グラニトにはリーダーシップを発揮してもらいたい。
この過大なプレッシャーがかかる局面で、いまの若いチームには、それがもっとも求められているだろうから。
おわり
感動しました。ケンタッキーで深くにも涙が出てしまった。ジャカを一生応援し続けようと、改めて誓いました。
素晴らしい記事のセレクト。
翻訳、ありがとうございます。
ありがとうございます。
純粋にカッコいい男だと思いました。
ジャカはたしかclに出たくてアーセナルに来るも、まだ一度も出れてないとゆう。
こうゆうシニアがしっかり支えてくれて、見事CLにたどり着けたらホントにすばらしいですね。
とても素晴らしい記事のチョイスでした。
CLでジャカが見たいです
何も知らぬまま、ジャカがターンできないとか、MFのジャカが一向にターン上手くならないからミケルはダメだとかこれまで言ってきましたが、成長期の怪我由来だったとは…。
ジャカとミケルにごめんなさいします。
ARSENAL CHANGE EVERYTHINGがはっきりさせたいことは、ジャカをスタメンで選んでいる以上クラブに未来はないらしい
???
主の意見とこの記事自体は両立しうると思うんだが。良く分からんお方だ。
お前、heccyだろ(笑)
ジャカ程サポーターの好みが二分する選手も珍しいですよね。(ラムジーもかな?)でも私のような素人目にはわからない、キャプテンシーや中盤にもたらす安定感や配球といった評価があるのでしょう。事実、ヴェンゲル、エメリ、アルテタと監督が代わってもずっとスタメン出続けてる訳ですもんね。
なかなかここまで生の声が聞けるインタビューは貴重なのでありがたいです。
只、幼少期に大怪我したから素早い切り返しが出来ずターンが苦手やプレス耐性が低いとか、そこは全く別の話です。気の毒だな、不屈の精神でここまでやってきたのは凄いな、とは思いますがアーセナルをもう一段階上の次元に引き上げるには来期かならず別のCMが必要です。
ジャカ!
なんか、いろいろ言ってゴメン!
でも今のアーセナルには、もう少しレベルの高い選手が必要。
僕はジャカの才能が好きだし、キャラも好きなので面と向かって言えないような事は言わないようにしてる。でも足が遅いのを速いとは言えないし、不必要なファウルを必要だとも言えない。
ジャカと比べると失礼なのを承知で言うと、僕も非常に足が遅かったから(ケガのせいじゃなく)、遅い事がどれだけ不利か分かってるつもり。足が届かないものは、どうやっても届かない。それでもアリバイ守備に逃げずに必ずボールの後ろに戻る事が、どれだけ勇敢に泥をかぶりに行く行為なのかも分かってるつもり。
しかし、それでもジャカに今以上を要求し続けたい。足の遅さをカバーできるポジショニングがあるし、究極の選択でファウルするよりは突破を許したほうがいい時もある。またラフプレーについても、イングランドのレフリーがカードを出すのは、プレーの危険性よりも「レフリーの調停を受け入れなかった事」に対してが多く、本当に汚い選手は一度目は手荒くやり、レフリーが調停したら急に大人しくなる。そういう事だってできる。
このチームの中心選手である限り、できる事はあくまでも要求したい。どうせできないと思って言うのとも、できないけど可哀想だと思って同情するのとも違う。できると思ってなければこんな事は言わない。
ジャカの紆余曲折は全部見てきたし、少し前に訳してもらったものと今回の訳も読んでたから、
マンU戦3点目でジャカが行ったセレブレーションでこみ上げてしまって涙が止まらなかったです。
重要な試合、双方ハンドのジャッジを巡って一瞬エアポケットのような状態になった中、
集中を切らさずとんでもないゴールを叩き込み、まずラカのところに走っていき、そして最後に
スタンドに向かってキス。
これがジャカなんだな、もちろん物足りない部分は多々あるけど嫌いにはなれず、アルテタも
ずっと信頼し続けている男。
あのゴールでふとこのインタビューを思い出し、ここに書き込ませて頂きました。
シーズン総括の時、ポジティブな内容の中であの1点が再び取り上げられることを願っています。