おととい公表された、ASローマの情報サイト(ガゼッタ・デロ・スポルト系)による、ミキタリアンのインタヴュー。
Mkhitaryan: “L’Arsenal un sogno, lo United un rimpianto. Ho scelto la Roma per tornare a divertirmi”
ざっと読んでもスルーするのがもったいないくらいおもしろかったので、ちゃんと読むついでにシェアしたい。彼のこれまでのキャリアを網羅的に語っている。
ミキタリアンと云えば、もうアーセナルの選手だということを忘れているファンもいるかもしれない(いないか)。
それは彼がどうというよりは、われわれが自分たちのことで精一杯だからなのだが、彼もまた最近はローマで大活躍をしているようだ(※ここまでリーグ13試合でG6 A3)。
先日「このままいけばローマは€20M出しても買うのではないか」というファンのツイートにはたくさんのLikeが集まっていた。
そんなイタリアンカルチョを満喫するミッキー。
現時点では来シーズンにアーセナルでプレイするとは考えにくいし、ノースロンドンでとてもいい時間を過ごしたわけでもないので恨み節もあるかと思いきや、いまもアーセナルのことを好意的に話しているということもポイントが高いインタヴュー。そしてマンU、というかモウリーニョについては……
ではHere we go!
ヘンリク・ミキタリアン インタヴュー「ヴェンゲルのアーセナルでプレイするのは子どもの頃からの夢」
※質問回答の内容が時系列でおかしなところが多いので気づいたところはソートした(順番間違えていたらごめん)。小見出しは訳者による。
イタリアでの現在とこれから
(ローマへの移籍と個人的な目標……)
ミキタリアン:9月1日、アーセナルとプレイした試合のすぐ2時間後に、ミーノ・ライオラからすぐにローマに飛ぶように云われた。すべてがとても早く起きた。
ぼくは自分自身に今シーズンは、ものごとを変えていかなきゃと誓っていた。30才にもなれば、もう無駄にしている時間もないし、楽しむ必要がある。
シーズンの始まりにはわれわれ(※ASローマ)の目標はトップ4に入ることと、イタリアンカップのファイナルへ行き、ヨーロッパへ行ける道をできる限り続けていくことだった。
ここでのプレッシャーはぼくには問題にならない。年齢のためではなく、ぼくがマンチェスター・ユナイテッドやアーセナルでプレイしてきたからだ。
ここのひとたちはみなフットボールに生きていて、とてもいい。
(将来について……)
ぼくの目標は37才までプレイを続けること。これからどうなるかなんてわからないし、もしフィジカル的にそれができればということ。できるだけ長い間最高のレヴェルでプレイしたい。それがぼくの目標。だがどうなるか見てみよう。
キャリアの終わりにぼくが何をしているかって? わからないな。コーチかもしれないし、マネージャーか、あるいは検事かもしれない。まだ考えていないんだ。
これまでのキャリアについて
(シャフタール時代……)
シャフタールにはスポーツセンターはないが、宮殿があるようなところ。ぼくはヨーロッパでプレイすることを夢見ていた。Lucescuがぼくによくこう云っていた「さっさとスポーツセンターから出ていけ、なぜそんなに長居しているんだ?」。ぼくはシャフタールにいた3年くらいは、もうそこに住んでいたみたいなものだったから。
その後、ボルシア・ドルトムントに移籍したときは、空き部屋などはないと云われたので、アパートメントを借りるよりなかった。
(ロシアへの移籍失敗……)
ぼくはスパルタク・モスコウを拒まなかった。シャフタールにいたとき、以前のソヴィエト連邦では最強チームにいると思っていた。スパルタクに行く理由はなかったんだ。だってぼくの夢はヨーロッパでプレイすることだったのだから。
アンジは、ぼくに頭のおかしいほどの契約にボーナスを約束してくれたが、自分の夢を求めるために断った。どれくらいだったか? エトーより少し少ないくらいさ。20ミリオンとかそんな感じ。
スーパーエイジェント登場
(ライオラとの契約……)
モニカ(ヘンリクの姉):彼がウクライナチャンピオンシップでトップスコアラーになったところからすべて始まった。いろいろなひとが関わろうとしてきた。わたしたちの知らないところで、弟をいくつかのクラブにオファーし始めた。彼らは彼を呼んで、契約にサインしろと云ってきた。だから、わたしはヘンリクにヨーロッパでプレイしたいのなら、エイジェントが必要だと伝えた。
そしてわたしはミーノ・ライオラの噂を彼に伝えた。彼にとってはどんな移籍も不可能じゃないと。彼にどうやってコンタクトしていいかわからなかったけど、Eメイルを何度か送ってようやく成功した。
わたしたちが彼に会ったとき、彼はミキタリアンについては何でも知っているよと云った。そして、彼はヨーロッピアンクラブのパワフルなマネージャーたちに話をしようと。弟との仕事に興味を持ってくれた。
BVBとクロップ
(ボルシア・ドルトムントへの移籍……)
ライオラと一緒にロンドンに行ったとき、最初はトトナムと話したんだ。ぼくらはリヴァプールからのオファーを待っているところだったが、それは確かなものではなかった。
そこから突然ドルトムントから招待があり、ジャーマニーに飛んだ。彼らはゲッツェを売ったところで、新しい「ナンバー10」が必要だった。
リヴァプールとトトナムではもう席は埋まっていて、だからボルシアへの移籍はベストな選択だった。クロップはすぐに彼のアイディアについて話してくれた。ピッチのどこで使うかとか。
(ボルシア・ドルトムントでのクロップとの関係……)
クロップと話す前、彼はぼくにハグをし、グラウンドに引っ張っていってこう云った「契約にサインするまではキミを離さないゾ」と。会話の最後には彼はこう付け加えた「きっとボルシア・ドルトムントに帰ってくる。そう約束してくれ」。
ぼくにとって彼は友だちとか、親とか兄弟みたいな感じなんだ。ドルトムントを去るとき、ぼくは本当にフットボールというものを理解し始めたときだった。
更新お疲れ様です!
英文が読めないわけでもないのですが、こういう風に分かりやすく丁寧に翻訳してくださるサイトがあることに本当に感謝です。。。
Twitterでchanさんがシェアされてたミキタリアンの記事の英語原文を読もうとしましたが疲れて途中でやめてしまいました。笑
このブログは本当に貴重な情報ソースになっています。ありがとうございます!
個人的にはムヒのこと嫌いじゃなかったですね。パフォーマンスが一貫しないことがありましたが、エメリ時代はみんな同じような感じでしたしね(笑)
やはりオーバとの阿吽の呼吸というか、二人にしか見えてない細いラインがあるような変態的なパスには痺れましたね。
ローマにフィットしてるみたいだし、アーセナルは変にけちらず放出してあげた方がいいと思いますね。
現状ではムヒタリアン以上に攻撃的にバランスのいいMFがアーセナルにいるのかしら、と思う節はあるけど、年齢的に放出した方がいいのだろうなあ、と