なんとか再開の道を模索するPL、中国での19-20シーズンを完了させる案が出ているとオーンステイン
Majority of PL clubs want 2019-20 season played to conclusion & are scrambling for ideas to do so – one suggestion was to explore feasibility of completing campaign abroad, with China mooted be likely to be dismissed. With @AdamCrafton_ for @TheAthleticUK: https://t.co/bhsRL6myMi
— David Ornstein (@David_Ornstein) April 2, 2020
海外で残りの試合を消化するようにすれば、国内のステディアム等の自分たちの各施設をNHSに提供できるというメリットもあると。事態が収束しつつあるチャイナ開催の可能性もあるのではと、そういう主張をしているクラブもあるらしい。
チャイナという国の名前が出ているのは、べつにそれが具体的に検討されているというわけじゃなく、要するにそれだけ暗中模索なんだろうと思われる。そういう案すらも議論されているような大変にメッシーな状況だと。
ところで、いま怖いのは揺り戻しというかぶり返しというか、一旦収束に見せかけてまた感染者が増えるという。中国や韓国でそのきざしがあるとかないとか。仮に事態が落ち着きつつあるように見えて、そこで油断したらまた流行が再開するとかマジ地獄だけど、かなりありそうよね。
昨日と今日とドイツリーグやイタリアリーグが再開するようなニュースが出ていたが、大丈夫なんだろうか。
アトレチコ・マドリッドが430名の従業員を救済するため、選手と幹部が70%のペイカットを受け入れ
BREAK – #AtleticoMadrid players confirm they will accept a 70% pay cut during Spain state of emergency in order to protect the salaries of the club’s 430 non-playing staff. https://t.co/HTzg931gg5
— footballespana (@footballespana_) April 2, 2020
バルセロナにつづいて。立派。
バルセロナへ移籍したマーカス・マグエインのその後をAFCアカデミー時代のマネージャーが語る
6才から12年在籍したアーセナルアカデミーからバルサ(バルサB)に引き抜かれたプロスペクト、マーカス・マグエイン。もう21才になっていた。
1989年のリネカー以来、FCBのファーストチームでプレイする初めての英国人ということで当時話題にもなったが、結局バルサではうまくいかず。その後ダッチリーグ(2部)のTelstarにローンされ、今年の2月にはノッティンガム・フォレストに移籍している。
このブログでも彼の退団については書いたが、彼のその後は知らなかった。
ジョージ・バードが指摘していたのだけど、AFCアカデミーでマグエインを指導し、その後Telstarのマネージャーに就任したAndries Jonker(※バルサでファン・ハールのアシスタントをやっていたこともあるベテラン)がインタヴューで語っているなかに、なかなか興味深いくだりがあるのでそこだけ。
アンドリース・ヨンカー:アーセナルでは250人ものユース選手がいた。そのなかに3人、アーセナルでもイングランドNTでも行くところまで行くと、わたしが確信していた選手がいた。
ひとりはリース・ネルソン。ひとりはマーカス・マグエイン。そしてもうひとりは若かったからまだそこにはいなかったが。それについてはいつか明かすかもしれない。
あとひとりは誰なんだ? ESRか? サカか? アズィーズか?
ていうか云い淀む理由がわからない(笑い)。
クラレンス・セードルフがアーセナル移籍に近づいていたと語る
Clarence Seedorf Reveals the 3 Premier League Clubs He Came Close to Joining
もう44才か。彼は3度、PLクラブへの移籍に近づいていたことがあるそうな。セードルフがアーセナルに来ていたかもって有名な話? ぼかあ初めて知った。
セードルフ:わたしはPL行きに近づいていたことがあるんだ。3度、寸前までいったよ。ひとつはマンチェスター・ユナイテッド。ひとつはアーセナル。ひとつはチェルシーだ。どれも行きそうではあったが、結局違う選択をした。
イングランドに行くかわりにレアル・マドリッドに行ったし、イングランドに行くかわりにインテル・ミランに行った。それとやはりイングランドには行かず、ACミランに残った。
何もかも実現できるわけじゃない。でも自分のキャリアはワンダフルな経験だったから、わたしはハッピーさ。アッハッハ。
タイミングがわからないが文脈からすると、アーセナルに行かずにインテルに行ったってことかな。彼がRMからインテルに移籍したのは2000年。2002年にはミランに移籍して10年間プレイしている。やっぱりミランのセードルフというイメイジが強いなあ。
この当時はイタリアンリーグが世界をブイブイいわせていたのだから、トッププレイヤーがセリエAクラブを選ぶのは当然とも云える。
2000年にアーセナルに来た選手は、シルヴァン・ウィルトール、ロウレンにロベール・ピレスら。うーん、セードルフがインヴィシボーズのひとりだったかもしれないのか。それはそれで。ペップ・グアルディオラとセードルフのCMコンビだったかもってやべえな。
ギャリー・ネヴィルがマンUを退団するならアーセナルに行きたかったと語る
うーんこれは。
Off Script: Inside Manchester United’s transfers with Gary Neville
いまではSkyパンディットでおなじみのギャリー・ネヴィル。Sky Sportsのポッドキャストシリーズ「Off Script」で自らの現役時代を語っていたなかで、アーセナルに言及していたパートが話題になっていた。
ネヴィル:わたしはある意味で幸運だった。だって29のときに5年だか6年だかの契約にサインしたのだから。契約が切れるのは34だよ。サー・アレックスから「ギャリー、キミの時間は終わったよ」なんて云われるかもしれなかったが、そうなってもわたしはほかのクラブには行かないと覚悟を決めていた。マンチェスター・ユナイテッドだけがわたしがプレイしたいチームだと決めたんだ。
しかし、もし28才のときに終わりだと云われていたなら、もちろんわたしは別のPLクラブに行っていただろう。わたしは完全にフットボール選手だったし、そうしなきゃならなかった。
もし完璧な世界があるとして、PLで育ちプレイしてきたわたしにとって、どのクラブが本当の意味での伝統を持っているかと問われたら? ちゃんとしたクラブがあるか?
アーセナルがナンバーワンだろう。ハイベリーへ行けば、その場所の伝統を感じることができたし、わたしには彼らがいつも正しいやり方でものごとを行っているように感じたものだ。
ヨーロッパならユヴェントスとバイエルン。彼らのことはいつもリスペクトしている。とくにバイエルン。海外も含めるならバイエルンを選ぶ。
PLならアーセナルだ。アーセナルがわたしを欲しがっていたとか、わたしが行きたかったということではないよ。そういうクラブだということだ。歴史に関しては伝統がある。アストン・ヴィラやニューカッスルも好きだ。これじゃあ、どこでもいいみたいじゃないか!
28か29でサー・アレックスにどこでも行けと云われたら、アーセナルを選んだかなと。
さあここでご覧いただこう。アーセナルの伝説的な49試合無敗をぶち終わらせた04/05マンチェスター・ユナイテッドの勇姿をとくと。
これはダーティすぎでしょうが。GNもレイエスにナツメグくらった腹いせに後ろから思いっきり削りに行ってるとゆう。
2020年基準ならカードが乱れ飛んで試合にならんよね。WC2002のコリアンチームくらいひどい。
しかし、マンUほどのチームでもこれくらいしないと止められなかったインヴィンシボーなわれら。隔世の感がありますな。
そういえば昔、エジルが選ぶベスト11みたいな価格で、ニャブリが入ってましたよね。その時は冗談みたくなってましたが、今ではあり得ないことでもない感じになっちゃってます。複雑な気持ちです。。