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チェルシーの独走ゴールから二年。ガビ・マルティネリが語るキャリア、自分のプレイ

こんにちは。

昨日のCL。リヴァプールとインテルのハイライトだけ観た。われらにとってはすでに懐かしい人物、アレクシス・サンチェスが2枚のカードで退場。しかも、アンフィールドでのゴラッソで(ラウターロというFWはすごいな)、インテルがアグリゲイトスコア2-0をひっくり返す気満々だったタイミングでのできごとだった。まさにカード地獄。彼もそんなところで、アーセナルマンだったことを思い出させなくてもいいのに。つまらん! でもつぎのリヴァプールとバイエンは少し楽しみ。ふだん、アーセナルしか興味ないぼくでも、現在のトップオブトップのフットボールには多少の興味はある。

さて、ガビ・マルティネリ。ひきつづき調子はよさそうで、先日のワトフォードでも素敵なゴールをぶっこんだのは記憶にあたらしい。少し前にこのブログでもちょっとだけ触れた彼の『The Athletic』でのインタヴュー、今回はそれを紹介したい。※ペイウォール

My Game In My Words. By Gabriel Martinelli

もうかれこれ2週間ほど前にアップされた記事ながら、内容的に賞味期限切れということもないだろうと思う。

彼がアーセナルに加入してから、この夏で3年になる。衝撃のデビューシーズンから、マルティネリ本人もケガなどでチームになかなか貢献できなかったりと紆余曲折ありつつ、最近ではファインフォームをつづけるアーセナルのなかでしっかりと存在感を発揮している。先日、ESPN Brasilのインタヴューで「一生アーセナルにいる」と述べたように、いまは本人も充実した時期を過ごしているはず。ガビ本人に自分を振り返ってもらうにはいいタイミング。

なお、この記事はThe Athleticの“My Game In My Words.”というシリーズ記事のひとつだそうで、選手の自宅でキャリアについて語るのにくわえて、これまでの印象的な試合をライターと一緒に彼のハイライト映像を観ながら振り返るというスタイルになっている。これはシリーズ共通のものかもしれない(ほかの記事を見ていないのでわからない)。そのため、オリジナルの記事のなかでは試合のキャプチャ画像がふんだんに使われているが、それもつかうとフェアユースの範囲を逸脱するような気がするので、ここではそれは引用しない。そのせいで、ハイライトを観ながら語らっている部分はわかりにくいかも。

あと、毎度同じように、これは有料会員サイトの記事なので、紹介するのは基本的にマルティネリのコメント部分だけとする。超長い記事全体(英語)を読むには、The Athleticに会員登録を。

では、Here we go.



ガブリエル・マルティネリのロングインタヴュー 2022年2月

マルティネリ:(ウォルヴズでは2枚のイエロウカードで退場に)重要なことは3ポインツ取って試合に勝ったこと。ウォルヴズとのリターンゲイムではぼくも戻る。みんなもぼくのことをわかっている。ぼくはいつだってトライするし、チームとクラブにとってベストをしようとする。チームにひとり減るようなことはぼくもしたくなかったけど、それは起きてしまった。だから、チームを試合に勝たせてくれたみんなに感謝。

ぼくらはすごく若い。シティでの試合ではラカが最年長で、あとは22、23、24才。ぼくらも成長しなければいけないし、そのためにやっている。100%。世界のベストチームスのひとつになる。

コリンチャンスでのフットサルからセレソンへ

(3年前はブラジル4部のItuano FCでプレイ。サンパウロで育ち、コリンチャンスでのフットサルからキャリアをスタート)ぼくは、そこで11才までプレイしていた。5対5。

(ロナウドがキャリア晩年をコリンチャンスで過ごしていたころ、マルティネリはフットサルを始めた)そのころは、ぼくもロナウドと同じNo.9のシャツを着てプレイしていた。

ミドルスブラでプレイしていたブラジル人MFのJuninho Paulistaが、Ituanoのプレジデントだったんだ。ぼくのエイジェントが彼と友だちで、13才のときにそこでプレイし始めた。つらかったよ。だってコリンチャンスはぼくの人生だったし、自宅の引っ越しもあったから。学校の友だちともお別れだった。引っ越ししなきゃいけないと聞いたときは、たくさん泣いた。子どものぼくにとっては難しかった。でも結局それがよかったのだけど。

(セレソンへの招集 ※Copa Americaのキャンプ)すごかった。ネイマール、ガブリエル・ジェイズース、ファビーニョ、フェルナンジーニョ、選手全員がトップレヴェル。TVで観ていたひとたちだ。ぼくはちょっとシャイなところがあるから、緊張した。でもピッチのうえでトレイニングしてプレイするときは自分を出す。

(セレソンでのイニシエイション?)オリンピックチームに行ったときには、うたを歌わなきゃならなかった。みんな初めてだったよ。ここイングランドでは歌うしかないけど、ブラジルでは動物のモノマネをやらされるんだ! 椅子のうえで15分も冷や汗をかく。みんなが云う。「犬のマネをしろ!」とか「猫みたいになれ!」みたいな。「OK、ニャア!」。正直すごく緊張したね。

(17才のときのBragantino戦を観ながら。カウンター。ハーフターンで最初の敵をかわし落ち着いた連携でゴール)フットサルでは、タイトなエリアでクイックにドリブルする。それが大きなピッチになるとやりやすく感じる。利用できるスペイスがあるし、クイックならDFを抜ける。走り始めれば、あとは本能。

これは「cavadinha」だ。ぼくらがリトルチップと呼んでいるもの。狭いスペイスのプレイではフットサルが役に立っている。解決策を見つけられる。

チェルシー戦のファインゴール

(落ち着きといえばチェルシー戦のフィニッシュ)これは、何回見返したかわからないけど…… 100万回くらいかな!

(エンゴロ・カンテにひるまなかった?)それはない。どんな相手だろうとそういうことは考えない。自分自身を信じる。(並走していたぺぺにパスしようとは?)ノー! ぼくがゴールに向かって走っているとき、そこが一番やりやすい部分なんだ。チャンスを得るためならなんでもやる、だからキーパーの前にいるときは、ただ落ち着く必要がある。ああいうタイプのフィニッシュは、ぼくは子どものころからずっと練習してきた。

コリンチャンスでもItuanoでもとてもいいコーチがいた。そのひとりはZe Sergioで、彼はサンパウロとブラジルNTでプレイしていた。ぼくと似ているところがある。彼がいつもぼくに云っていたんだ。「ドリブルしてフィニッシュしろ。そしてつねに自分であれ」。

(腕組セレブレイションはファンを真似た?)違う! あれはその日よりもっと前からやろうと思ってたんだ。母さんにもあれをやるよって云っていたくらい。そのあとにあのファンがそれをやって、「ガビーが彼を真似した」って思ったんだね。

CFでのプレイ

(将来はセンターフォーワードでプレイする可能性)ぼくは子どものころからウィングでプレイしてきた。でもミドル(中央)でも、どちらのサイドでもプレイできる。マネジャーの望むところならどこでもプレイできる。

アーセナル移籍、マンUのトライアル。英国フットボールにショック

(ヨーロッパからの関心が伝えられたときにはブラジルでトーナメントでプレイ中)そのあとに、エイジェントから決断する必要があると云われた。

彼が「アーセナル」と云ったときには、ぼくは「OK、ほかには何も云わなくていい。ぼくらはロンドンへ行く」と云ったんだ。

ぼくは、よく父さんと一緒にPLを観ていた。すべてのチームを。マンチェスター・シティ、マンチェスター・ユナイテッド、アーセナルやレスター。

じつは、ぼくはユナイテッドでは4回もトライアルを受けているんだ。13、14、15それと16のとき。マンチェスターにあるクラブのトレイニングベイスで行われて、ぼくはそこでMason GreenwoodやBrandon Williamsらのグループに入ってプレイした。ズラタンとかポグバやルーニー、エヴラみたいなファーストチームの選手たちにも会った。結局そうはならなかったけど、契約したいとも云われた。

でもそれが、実体験になって適応しやすくなったところはある。イングランドでのフットボール経験を持ったのだから。そのトライアルズのあとでも、ぼくはつねに自分を信じたよ。ぼくの気持ちはいつだってこうだった「ぼくはやれる」。

ぼくがアーセナルと最初にサインしたとき、ウナイ・エメリがマネジャーだった。ぼくはU-23の選手として契約したのだけど、ファーストチームと一緒にトレインした。そのあとプリシーズンに入ってからは、一度もU-23ではプレイしていない。

そこでイングランドでは、試合がまったく違うものだと知ったんだ。ここでは、もっとクイックでなければならない、試合を速く読み、失敗する時間もない。ちょっとショックだった。プリシーズンでは、どれだけ選手が素早く向かってくるんだと思ったのをおぼえてる。「Woah!」みたいになった。でも、それに慣れて、自分を進歩させて準備しなければならない。コーチも選手もぼくを家族の一員だと感じさせてくれた。

(ブラジルからヨーロッパ最大の都市へ)ビッグステップだった。ことばも大きなチャレンジだった。だってぼくは「Hi」とか「Thank you」以外、ひとつの単語すら知らなかったのだから。レッスンを受けたよ。でもケガをしてからが一番勉強した。フィジオとつきっきりだったし、半年はただ英語だった。ピッチとかドレッシングルームでは、ダヴィド・ルイスと話すこともできた。

Covidパンデミックとケガとアルテタ

ぼくはいつもポジティヴであろうとしている。でもあのときはほんとうにタフだった。両親がいつもそばにいてくれて、いいことを云ってくれて、悪いことは見ずに自分を信じるよう云ってくれた。

そうして、5ヶ月半ケガに苦しんだあと、復帰した。イングランドでリハビリテイションをやって、あとは少しだけブラジルで過ごした。チームメイツを助けられないことが悔しかった。でもそうした悪い日々はもう終わったんだ。

ミケルはとてもナイスガイで、愛すべきひとだね。マネジャーとしても、彼はアンビリーバボー。彼はいつでもみんなを助けようとしている。ぼくがケガをしていたときも、彼はよくぼくを呼んで、どうしてるかと訊いてきた。彼はとてもいいマネジャーというだけでなく、とてもいい人間だ。

「ぼくらはファミリー」

ぼくらはファミリーだ。仕事をしに行くんじゃなく、フットボールをやるんだ。ぼくらにはそれ以上のものがある。ピッチのなかでも外でも、全員がいっしょに強くなること。いっしょにでかけたり、いっしょに食事をするようにもしてる。ドゥバイでのミッドシーズンのトレイニングキャンプでは、スタッフとチームと全員でバーベキューをやったのはすごくよかった。

選手の全員がぼくにはアンビリーバボー。エミールもサカも大好きだよ。彼らのプレイ、彼らはとても賢くて、試合をすごく速く読む。正直、彼らとのプレイが大好きなんだ。

ホワイトとラムズデイルを称賛

ベンとアーロンもとてもナイスなひとたちだし、彼らはみんなに話しかけようとしている。ラムズデイルのボール扱いもアンビリーバボーだね。どこでも彼の望むところへボールを送れる。ベンは、すごくセキュアで、ドリブルもできるし、ロングボールもできる。彼もボールを持てば何でもやりたいことができる。ふたりともチームにとってすごくいい。

(ラムズデイルがボールを持ったときにもっとランをやるようになった?)今週それをトレインするんだ。アーロンはそれができるし、ぼくは彼にオプションを与えるために走る。ゴールキーパーがそれをできると、フィールドにもうひとり選手がいるみたいだ。

※コメントくださるかたにお願い
プレヴューエントリでは、試合の結果がわかるようなコメントはお控えください
お互いリスペクトしあって楽しく使いましょう

4 Comments on “チェルシーの独走ゴールから二年。ガビ・マルティネリが語るキャリア、自分のプレイ

  1. ありがとうございます。
    いいインタビューですね。
    クロップはみる目ありますね。あげねぇけど。

  2. 自然と応援したくなる選手ですよね!

    人柄なのかプレースタイルなのか天性のカリスマ性かわからないですが、何よりも価値がある事だと思います。

  3. 大きな怪我も乗り越えて、今まさに飛躍しようとしてますね。否が応でも今後に期待しちゃいます。

  4. あーフットサルだったのか!知らなかった。道理でものすごく狭いスペースでも苦にしないわけだ。

    それで中央をやれるのか?記者が聞きたくなる気持ちも分かる気がする。ラカのところでもっとダイレクトな脅威を与えられないか?質問者はグーナーじゃかなろうかw。僕はその判断は分からないが、間違いないのはあんなストライカーがウイングにいたらDFはメタクソしんどい。CFならともかくウイングに完全にスペースを与えないなんて、どうやったってできっこない。

    得点してもちゃんと「でもあの時マーク外してたよな」ってツッコむコーチがいるのもいいことだと思う。それでも本能でゴールに突進するFWがいて、その相克の中でチームが強くなるんじゃないかなあと。

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