『The Athletic』にデニス・スアレスのインタヴュー記事が掲載されていた。(※要課金)
Suarez: ‘I was fully fit only for first week at Arsenal – I…
これは、若干議論のあった彼の2019年冬のアーセナルへのローン移籍の舞台裏を語るものでもあり、興味深い内容だった。
これまで信じられていたことと合致すること、あるいは相違する部分もあり、彼のローン移籍の真相について明らかになったと思われる部分もある。
いまさらではあるが、ぼくもこのブログではさんざん彼のローン移籍については批判的に疑問を呈してきたこともあり、認識の間違いを正す意味でもフォロウしておきたい。
2018-19アーセナルFCでのデニス・スアレス
ちょっと振り返っておこう。
2019年1月31日。冬の移籍ウィンドウ、最終日のいわゆるデッドラインデイにバルセロナからローンでの獲得が発表された。アーセナルにとっては、このウィンドウで唯一の補強。
アーセナルはトップ4フィニッシュに向けて、シーズン後半はブーストをかけねばならない状況で、実質イウォビとミキタリアンしかいなかったワイドプレイヤーを厚くする意味でも、スクワッドに必要な人材だった。
ただ、25才でバルセロナで戦力外になっているということもあり、前評判はあまり高くなく、ファンのあいだでもお世辞にも大きな期待をされているとは云い難い状況はあった。
そして移籍してからはご存知のとおり。AFC在籍中は終始フィットネスに問題を抱え、シーズンの半分での出場は6試合(PL4、EL2)。すべてがサブからで、すべての試合を合わせても合計95分のプレイにとどまるなど不本意な結果に。
結局£18Mと云われた買取オプションが行使されることはなく、シーズン終了後にはFCBから古巣のセルタ・デ・ヴィーゴにパーマネント移籍した。
このウナイ・エメリのファーストシーズン、アーセナルはトップ4フィニッシュを1ポイント差で逃したこともあり、ヘッドコーチ自らが熱望したと云われる選手は、ファンには残念な結果とともに記憶されてしまっている。不幸である。
デニス・スアレスが語ったこと「アルテタには成功してほしい」
アーセナルでの半年について話している。
要約するぜよ。
- 悪いローンだったとはわかっている。でも事情があったことはファンには理解してもらいたい
- ウナイは「ウィンガーを探している」と云った。自分のベストポジションではないが、プレイはできる。「ここに来い。キミはプレイするんだ。バルセロナに留まるな。プレイしてプレイしてプレイしろ。FCBとの残り契約はあと1年。われわれはキミとサインする」
- ぼくはアーセナルにサインしてほしかった
- そのときベティス、セヴィーヤ、ACミランが4-5年契約でぼくをほしがっていたがすべて断った。アーセナルにローンに行くほうに賭けた
- そしてぼくの願いがどうなったか。これはみんなが理解していないことだ
- 最初にマンシティとプレイし、その10日後にELのBATEボリゾフ(前半)で怪我をしてしまった。鼠径部にかなり痛みがあった
- その後の検査とスキャンで鼠径部には何もなかったが、恥骨に水が溜まっていた
- 走るとき、シュートするとき、パスするときに鋭い痛みがあった。かなりキツかった。フィットネスでは30%といったところ
- (AFCでフィットしていたことはあった?)最初の週だけ。あとはBATEボリゾフのあとどんどん悪くなっていった。ひどい痛みだった
- 痛みのなかなんとかトレインしようとしたが、続けることはできなくなっていったし、ウナイもぼくが50%もフィットしていないと知りプレイさせられなかった
- そうするうちに訊かれ始めた「デニスはどうしたんだい? 来てからプレイしていないじゃないか。ベンチにいて15分しかプレイしていない」
- ぼくは痛みに苛まれていた。試合のHTでほかのサブ選手がピッチでドリルをやっているとき、ぼくはドレッシングルームで痛みを緩和するために別のエクササイズをやっていた
- ぼくがバルセロナを去ったのはアーセナルで毎週プレイして移籍を勝ち取るためだ。それが望みだった。バルサに残ってシーズンを終わらせるほうが安易なオプションだった。そこにいればラ・リーガを取り、コパ・デル・レイを取り、CLでプレイできた。だが、ぼくはアーセナルでのプレイを決めた
- ローン中、アーセナルはぼくとサインしないだろうということが次第にわかってきた。でもそれがわかっても、バルセロナもまたぼくを望んでいない。それも人生だ。コントロールできない
- ぼくはラウル(サンレヒ)とウナイのサインだったし、彼らに報いるために自分を証明したかった。ぼくよりプレイをしたかったものはいなかった。だが、状況は持続しなかった
- アーセナルのサポーターたちはぼくが経験した状況についてはほんとうには理解していない。申し訳ないと思う。彼らはぼくのプレイを見なかったし、このローンを評価することも難しいはずだ
- もちろんそれは悪かった。プレイしなかったのだから。しかし事情があったんだ。たとえばぼくは(3月のIB中ドゥバイでのアル・ナスルとの)フレンドリーで90分プレイし、翌日は痛みでほとんど動けなくなってしまった。それが現実。復帰するために休息が必要で、その後2-3ヶ月は筋力エクササイズを強いられた
- イングランドはスペインと違うところがある。スペインでは怪我や故障があると、クラブはプレス向けに声明を出す。イングランドでは全然違うんだ。怪我はもっと秘密みたいになっていて、ミステリーになる
- ファンはぼく(のプレイ)を観ることはなかった。でもいいんだ。アーセナルはグレイトなクラブだ。ぼくの子どものころからの憧れだ。ロンドンでの生活も大好きだったし、巨大なクラブで、グレイトなステイディアム。クラブの重要な選手になりたかった。そこの誰とも問題はなかったし、サポーターもリスペクトする。それがぼくが彼らにぼくのことを理解してもらいたい理由さ
- ミケル・アルテタには成功してほしい。アーセナルは成長するとてつもないポテンシャルがある。5ヶ月そこにいてわかったんだ。何人かのクオリティある選手がいて、財政のポテンシャルがあり、情熱的なファンベイスがある。アーセナルに成功をもたらす、いるべき場所に戻れる条件は揃っているよ
以上。後略。
更新お疲れ様です。
どんなチームのどの選手でも怪我で活躍できないできないのは心が痛みます。アーセナルの選手なら尚更です。
今のスカッドでそんな選手が出ないことを祈ります
こんばんは。
ケガと言えばアーセナルの名物みたいな印象もありますが…世界中のフットボーラーが大なり小なりケガしてるわけで。移籍して早々満足にプレーどころか練習も出来ないのは辛いですね。
アーセナルの選手ではないですが、私はケガと言えばロベルト・バッジョを真っ先に思い浮かべます。ロナウドもそう。膝をやらなきゃもっとどれだけ凄かったのかな…と。
当時より様々な事が進歩している現代ですから、選手の故障が少しでも減ることを願ってやみません。
いわゆるベンゲルチルドレンがケガなくプレイしていたら、まだボスはクラブにいたと思います。
特にウィルシャーとディアビ。ラムジーやウォルコットだって長期離脱のきっかけとなるケガをしなかったら、もっとレジェンドだったでしょう。